第三十八話:貴族院議会・紛糾
その日もまた、貴族院の議場では激論、もとい怒号と野次が飛び交う喧騒に包まれていた。
「キャンベラは金城鉄壁だとぬかしていたのは貴様だろう!あの要塞にいくらかかっていると思っている!!」
報告板を卓に叩きつけ吠えるのは財務卿のバルナムだ。この一月で少し痩せたようにも、やつれたようにも見える。
「だ〜か〜ら〜!キャンベラはまだ未完成だって言ってるだろ〜!そりゃ完成すれば金城鉄壁さ!鎧人どころか百脚が攻めてきたって追い払えるね!」
そう豪語して返すのは工務卿タルナグだ。
縮れた黒髪に、もじゃもじゃの豊かな髭はいかにも土方の大将といった風貌だが、つぶらな黒い瞳は無邪気な子供のように澄んでいる。第一に建築、第二に生産、第三に資源と口にしてはばからないこの工務卿は、普段から常人には少々理解し難い建築理論を捲し立てたり、新技術を提唱したりする。タチが悪いのは、それらが玉石混合だということだ。そのくせして仕事や重要事項は完璧にこなす如才ぶりを発揮する。キャンベラを一から設計した鬼才だ。
「だとしても現在の段階で鎧人の軍勢を寄せ付けぬだけの性能があったはずだ!外壁上にまで侵攻を許したんだぞ!」
「それはあんたの責任だろ?バルナムさん」
タルナグは両手を頭の後ろで組んで席にもたれかかた。それだけでは飽き足らず、大欠伸までしてみせた。
「なんだと?」
財務卿バルナムはその言に静かに反応した。
「俺っちが設計したキャンベラには胸壁なんて必要ない。バルナムさんが”余った土で防御力を上げろ、追加予算は出さない”って言ったんだ。その結果があの胸壁だろ〜?」
キャンベラは、まだタルナグの構想した姿の半分にも達していない。
東西に連なる山岳を階段状に削り、その稜線と北の大防壁を接続する。南には大河を天然の堀として取り込み、荒野も山も水路も、すべてを一つの要塞として組み上げる。それが本来の計画だった。
「あれがなきゃ、”ツノ持ち”は外壁まで何もない荒野を突っ走るしかなかったんだ。胸壁を置いたせいで、身を隠す場所と飛び台をまとめてくてやったんだよ」
着工から、まだ数年。現在のキャンベラは、完成後には内側へ組み込まれる荒野へ塹壕を巡らせ、かろうじて防衛拠点の形を整えた段階にすぎない。タルナグに言わせれば、要塞ですらなく、巨大な建設現場に仮の壁を立てただけの場所だった。
「最終的に設計へ組み込んだのは工務省だ!現地司令官も認可している!お前の叔父の認可だぞ!」
キャンベラ総司令のジャイグと、工務卿タルナグは叔父と甥の間柄だった。
「俺っち、それ知らないし」
タルナグはそっぽを向いた。
「き、貴様なっ!!」
バルナムは思わず席を立ち上がりかけたが、どんなに言っても無駄だと悟ったのか力抜けたように席に背を預けた。
この対立に議場は騒がしくなりかけたが、そうはならなかった。
「その話はひとまず後にしてくれ」
この瞬間を話の切り口と見たのか軍務卿ガルンダが口を開いた。
「どれほどキャンベラの設計上の瑕疵を論じたところで、要塞が落ちてからでは遅い」
ガルンダは立ち上がり、両手を卓につける。
「我々が決めるべきは、今この時、キャンベラへ何を送れるかだ」
その言葉に議場のあちこちから賛同の声が上がった。
「そうだね。キャンベラだっていつかは備蓄が底をつく。それまでに私らがなんとか補給を届けなきゃならない」
賛同する者の一人、食糧卿カラワナだった。
だが、それを打ち消す声も上がった。
「現実的ではありません。鎧人がそれを容易に許すとでも?街道の安全すら確認できていない状況です。数万の軍勢が待ち受けている可能性すらあるのです。その中へ補給隊を送り込めと?」
交易卿ブールナンだった。この発言にも、いくつもの賛同の声が上がった。
しかし、カラワナはいつも浮かべている微笑みを消した。
「キャンベラの子たちを見殺しにしろっていうのかい?」
「そうは言っておりません。ただ、現状では補給隊を送り出すのは現実的ではないと申し上げているのです」
「だから、それが見殺しにするって言ってるんだよ」
「では、数万の鎧人がいるかもしれない街道を補給隊に進ませろと?それこそ、彼らを見殺しにするのと同義では?」
どちらの意見も正しい、しかし、どちらの意見にも見過ごせない点がある。
「俺っちもキャンベラを見捨ててほしくはないね」
「補給にも限りがある。無駄にはできんぞ」
先ほどまで反目していた工務卿タルナグと財務卿バルナムも、別々の側へ加わった。それを皮切りに議場の方々から声が上がり、たちまち野次と反論が飛び交い始める。
「ならば、補給隊を通せるようにするしかないだろう」
再びガルンダが切り込んだことによって、議場は静けさを取り戻した。
「方法は?」
そう問うたのは術士院長アリンタだった。
アリンタは普段は議場を静かに見渡しているばかりで、滅多に議会で口を開かない。だが、ひとたび発言するときは、必ず議論の根幹に触れた重要な話をする。短い問いに議場に低いざわめきが広がった。
「まずは敵を知らねばどうしようもない」
「そりゃそうだ。敵の数も位置も、補給路を塞いでいるかどうかもさえわからない。その状態で通せるとも通せないとも決められまいよ」
まずは敵情を確かめるべきだという点に、異論を挟む者はいなかった。
「第一戦団を出す」
ガルンダは短く答えを出した。
「出さないよ」
しかし、即座にアリンタが否定した。
「…なんだと?」
術士兵団は、組織上は軍部の指揮下にない。術士院に属する戦闘を専門とした術士の集団である。軍部が術士兵団を動かす際は、術士院へ出動を要請するのが本来の手続きだった。平時には指揮系統を簡略化するため、軍部の命令がそのまま通るのが慣例となっている。しかし、術士院長であるアリンタが否と言えば、その命令に強制力はない。
「通常遠征から戻った足でキャンベラへ向かわせて、”ツノ持ち”百体狩らせて呼び戻したら、今度は未開の森の鎧人どもの様子を探ってこいって?どれだけこき使うつもりだい」
第一戦団の消耗を考えれば、アリンタの主張はもっともだった。
「だが、それ以上の部隊がいない。そして一刻を争う」
ガルンダとて簡単には引けない。無理を押してでも動かすべき時だと考えている。
ワラネの都市軍は健在で、王国軍の半数も王都に残っている。しかし、敵中へ踏み込み、確かな情報を持ち帰れる部隊となれば、第一戦団以上の適任は存在しなかった。一刻を争う現状で、代わりの部隊を仕立てる時間も惜しい。
「だとしても休む間がいる。第一戦団は出さない。これは変えないよ」
「むぅ…」
アリンタの意思は固かった。そこまで言われては、ガルンダもそれ以上は押せない。かつては黄金世代といわれた同期同士、それなりに付き合いも長い。こうなったアリンタが折れない事をガルンダは重々承知していた。
行き詰まった議場で、おずおずと手を挙げる者がいた。
「それでしたら僕から提案が……」
くたびれた風体の灰色男、異種族対策局所長ナルギンだった。
「オルスタを使いましょう」
その提案に、議場がにわかにどよめいた。
「……意見を聞こう」
ガルンダは席に座り直すと、腕を組み傾聴の態度を示す。それを合図に議場の視線がナルギンへ集まった。
「では…」
ナルギンは自らの提案を語り出した。
「軍部では敵側の鎧人は最大十万規模と推察されています。ここまではよろしいですね?」
「うむ」
ガルンダは肯定を返す。
「それほどの数を集めているなら、必要となる兵站も膨大な量になるでしょう。少しでも多くの食糧を欲しているはずだ」
兵の数が増えれば、当然必要になる食糧も増える。当然の理だ。
「そこでオルスタに食糧を運ばせます」
ナルギンは卓上で手を組み、居並ぶ者たちを見回した。
「オルスタは行商を生業とする異形の民です。その交易相手は、我々人類だけではありません」
「……なるほどな」
「お察しいただけたようですね。彼らには少量の食糧を商品として持ち込ませ、さらに大口の取引を持ちかけてもらいます」
「取引を餌に、敵の内情を探らせるのか」
「はい。我々の知らない交易路を持つ彼らなら、軍の斥候よりも青き森の奥地まで入り込める可能性は高いでしょう。鎧人がどこに集まり、どれほどの食糧を求めているか。それだけでも、敵の規模を測る手がかりになるでしょう」
ナルギンが提案を延べ終えると、議場は再びざわつき始めた。
「そんなに都合よくいくものか?」
「そもそもオルスタどもは信頼できるのか?」
「だが、試す価値はあるだろう」
「そのまま鎧人へ食糧を売り渡したらどうする!」
「こちらが渡さずとも、連中はどこからか仕入れるだろう」
「だからと言って、敵に兵糧をくれてやる理由にはならん!」
その中でガルンダがナルギンに疑問を投げかけた。
「飛脚は引き受けるのか?我々に命令権はなかろう」
飛脚はオルスタの軍部呼称だ。彼らはその優れた脚力で飛ぶように移動できる。
「それは心配いらないでしょう。彼らからしたらむしろ商機ですから。危険に見合うだけの報酬を上乗せすれば、引き受ける者はいるはずです」
「金で動くと?」
「ええ。もともと彼らには、我々ほど明確な敵味方の区別がありません。対価さえ釣り合えば、鎧人とも取引し、そこで得た情報を我々にも売るでしょう」
「ふむ……」
ガルンダは左手で右肘を支え、右手を顎に当てた。眉間の皺が深くなる。
「では、我々の情報も鎧人に売るのではないかね?」
口を開いたのは財務卿バルナム。それはもっともな懸念である。
「もちろん、その可能性はあります。ですが、さほど心配する必要はないかと」
「どういうことだ?」
「彼らからすれば、我々は長年に渡って取引を続けた大口の顧客です。一度きりの情報料欲しさに、安定した商いを失うような真似はしない。ここまで申し上げれば財務卿閣下にはお分かりでしょう?」
ナルギンは薄い笑みを浮かべた。
「…なるほど。我々が滅びれば、奴らも上客を一つ失う」
「その通りです。少なくとも、我々が致命傷を負うような情報は売らないでしょう」
「そうでない情報なら売ると?」
「ええ。ですから、初めから売られて困る情報は与えません。依頼の目的も、必要な報酬も、窓口ごとに切り分けましょう」
「当たり前だ」
バルナムは鼻を鳴らしたものの、それ以上の異論は口にしなかった。
やがて、議場の声は一つずつ収まっていった。オルスタを青き森に送り込み、鎧人との取引を装って敵情を探らせる。他に有効な手立てがない以上、危険を承知で試す他なかった。
「では、異種族対策局を窓口として、すぐにオルスタを募れ」
ワラン王がそう言い放ち、ナルギンは深く頭を下げた。
「承知しました」
こうして王国はようやく、青き森を探るための一手を打った。
だが、この時、議場にいる誰一人として知らなかった。
自分たちの知ろうとしている敵が、すでに青き森だけにいるのではないことを。




