第二話:異形種・鎧人
「第九大隊!対鎧人第一陣形用意!」
人類の防壁から南西の荒野、旧開拓道沿い。そこに築かれた仮設防衛線では若く凛々しい女術士官の声がこだましている。その号令が何度も飛んでいた。
「迅速に隊列を整えろ!接敵までそう時間はないぞ!」
掘り返された赤茶色の土塁は乾いた風に削られ、塹壕の向こうでは黒褐色の群れが蠢いている。突き出した口吻、丸い頭殻と背甲、前傾姿勢の身体、同族の口吻を穂先にした短い槍と、同じく同族の殻を削り出した粗末な盾。
「”平鎧”だ…」
兵の誰かが噛み締めるようにつぶやいた。噛み締めたのは不安か、憎悪か。
数だけなら人類が戦場で最も多く目にする異形の民だった。
異形の民の中でもとりわけ長く人類と争ってきた敵対的存在。
人類は彼らを総称して鎧人と呼んだ。
その呼び名に敬意は無い。
だが侮りがあるわけでもない。
「穂先を下げるな!甲を狙うな!首ではなく脚を狙え!」
鎧人が持つ最大の特徴は、その呼び名の通り鎧のような硬質な外骨格にある。
その”鎧”には生半可な攻撃は通用しない。矢を弾く甲を持ち、刃を滑らせる殻を持ち、土を掘り起こす膂力を持つ。人類の兵士が革を重ね、木盾を構え、鉄金具を惜しみながら身につける防具を鎧人は生まれながらにして身に纏っている。
ただし、鎧人の恐ろしさは単なる防御力だけでは無い。
彼らは膨大な労働力、兵站力を持つ”平鎧”と個体戦闘力に優れる”ツノ持ち”によって構成される。
”平鎧”とは、人型に似た二足歩行のゾウムシのような異形の民を指す。やや小柄で丸みがあり、前傾した姿勢を持つ彼らは鎧人社会における労働階層であり、農耕階層であり、戦時にはそのまま徴兵される大人口階層でもある。
一体一体は大した脅威ではない。
「案ずるな!敵勢力は目下”平鎧”のみ!隊列を維持すれば殲滅は可能だ!」
少なくとも訓練された王国兵はそう教えられる。
だが、倒せる事と、容易いことは同じではない。背甲は硬く矢を弾く、丸い頭殻は浅い斬撃を受け流す。槍を刺すなら関節を狙え、脚の付け根を狙え、腹側を狙え、首は狙おうとするな、口吻に引っ掛けられる。
兵士たちはそう叩き込まれる。
”平鎧”を倒すには技術が要る。
”平鎧”の群れを止めるには規律が要る。
「盾兵構え!槍兵は低く構えろ!弓兵威嚇射撃用意!」
徐々に群れの輪郭が顕になり、その駆ける足音が地を伝って響いてくる。
敵はもう目の前だ。
「弓兵構え!……放てっ!」
一斉に数百の矢の雨が”平鎧”の群れに降り注いだ。しかし止まる事はない。人類にとって必死の攻撃でも、鎧人にとっては脅威になり得ない。
その姿勢を一層前傾に屈ませ突き進んでくる。しかし、その速度は目に見えて遅くなった。そして速度が落ちれば激突の衝撃も小さくなる。
「くっ…!」
女術士官はその目元を歪めた。塹壕に逆茂木があればその必要もなかっただろう。相手が突進の速度そのままに逆茂木に突っ込めば串刺しだ。むしろ勢いがあればあるほど深く刺さり込む。しかし無いものは無いのだから仕方あるまい。
その数瞬後、次の動きを見せたのは”平鎧”の軍勢だった。塹壕に滑り込んだ前列が高く盾を上向きに高く構える。そして後列がその盾を足場にするように突撃し槍を突き出す。
「盾の密集を解くな!槍兵は脚だ!相手の脚を狙え!」
彼らは野獣ではない。
命令を聞き、隊列を組み、損耗を前提に前へ出る兵である。
だからこそ厄介だった。
「「おおおおおおおおおおぉぉぉぉ!!!!」」
敵とも味方ともわからぬ怒号が戦場を震わせている。
そう、まさしくこの場は”戦場”だった。
「弓兵第二射用意!」
硬い木盾にガンガンと口吻の穂先が突き刺さり、それに足を掛け盾の壁をよじ登ろうとする”平鎧”達。
彼らは槍を失おうと、自前の口吻を突き立ててくる。人類は首でも突き刺されれば絶命は免れないだろう。
「放て!」
しかし、人類とてそれを容易に許すわけもない。
盾を乗り越えようとする”平鎧”の内側はガラ空きだ。弓兵の精密な近接射撃が”平鎧”の第一陣の腹部に矢を突き立てていく。
”平鎧”の死骸が次々に積み重なる。塹壕の底に、盾兵の前に。
そして”平鎧”の最も厄介な点。
それは個の生命に対する執着の薄さだった。
死ぬ事を恐れぬ突撃、味方の死骸を足場として乗り越えてくる異常さ。群れの全てが死兵として攻め立てる戦い方は間違いなく脅威だ。
「前列後退!隊列を崩すな!」
その異常な突撃を前にすれば、人類は壁無くして長時間は耐えられない。
この日、この大隊にとって不幸だった事が三つある。
一つ、接敵地点の塹壕の防備が不十分だった事。
「第四小隊!後退遅れています!」
二つ、第九大隊が新設されて間もない実戦の連携不足な部隊だった事。
「第五小隊!敵の突撃が止まりません!」
三つ、そして敵影が想定より多く決定力に欠けた事だった。
続く報告に女術士官は凛々しい表情を苦々しいものに歪める。現実は正しく受け止めているつもりだった。自分が大隊を率いるにはまだ早いという声が多かった事、実家の威光で無理に通された昇進だと揶揄されている事。
それでも任された責務は全うしなければならない。
しかし気概では状況は好転しない。このままだと確実に死者が出る。戦場である以上、死傷者が出るのは当たり前だ。しかし指揮官として、ただそれを見過ごす事はできない。
「第三小隊!第四小隊の後退を援護!第二小隊は前線を維持!第一小隊は私について来い!第五小隊の前線を狩場にするぞ!」
女術士官は指示を出しながら自らの体の内の熱を燃やし、術を練り上げる。
第九大隊の総員は、従来からの隊員である第一から第三小隊までの第一中隊、新設で追加された第四から第六小隊までの第二中隊、計六小隊で構成される約九百名、前線はそう広くない。第五小隊の前線にはすぐ辿り着いた。
「小隊長!無事かっ!」
「ははっ!しかし敵の前線が厚く、状況は…!」
第五小隊の隊長である下級術士官は既に何発も術を撃ち込んだようで、げっそりとしていた。
「だから私が来た!第一小隊!前列と交代しろ!交代する瞬間に火術を撃ち込む!小隊長は私の足場を作れ!」
小隊長は、なんとか術を練り上げ女術士官の足元を1メートル程盛り上がらせた。
「よしっ…第五小隊!密集陣形解除っ!」
お世辞にも第五小隊の動きは良かったとは言えなかっただろう、しかし温存していた直轄の第一小隊の動きに乱れは無い。
「ふっ…!!!」
渾身の勢いと共に練り上げた火術を解き放つ。その火炎は相対する敵前線の真ん中に落ち、炎がまるで激しく地面を舐め上げるように”平鎧”を焼き払った。
「「おおぉっ!!!」」
その火力に小隊の面々がにわかに湧き立つ。されども事態は好転しない。”平鎧”は止まらない。
「…くっ!!…まだまだっ!!!」
二発、三発と続け様に火術を撃ち込む。容赦のない連撃に、さしもの”平鎧”も脚を止め、攻め淀む。彼らとて無駄死にがしたい訳ではないのだ。確実に敵の数は減っている。このままいけば問題ない。女術士官のみならず、その場の兵士は皆がそう思ったであろう。
そう、その場では。
「報告!報告!第六小隊!崩れましたっ!!」
「なんだとっ!?」
思わず第六小隊の方向に首を向け、視線を凝らす。怒号と共に聞こえてくるのは微かな悲鳴。確かに崩れている。崩されているのだ。
「第一小隊!半数は第五小隊と共に隊列を維持しろ!残りは私に続け!急ぐぞっ!」
敵影を確認した時点で苦戦は覚悟していた。しかし、小隊が崩れるほどのものは想定していなかった。”平鎧”相手に簡単に崩されるような隊が壁外に出るのを許されたりはしない。
「まさか…」
ぞわぞわと不快な感覚が女術士官の胸中を巡った。
このアウストロメリアの大地は、弱者に対して無慈悲である。




