第十三話:出陣命令
今話から第二幕となります。話数は第一幕から継続です。
報告議会はそのまま緊急会議に移行した。
会議は長かった。怒号が飛び、名が呼ばれ、視線には鋭さが宿っていた。地図が広げられ、駒が並べられ、誰かが机を叩き、誰かが沈黙した。
タルナ陥落。
その報が議場に投じられてから、貴族院は平時の顔を失った。
卿たちは次々に立ち上がった。軍務卿は伝令を走らせ、財務卿は必要経費を数え、法務卿は緊急時の法案をまとめ、食糧卿は備蓄の残量を思案し、交易卿は街道の確認を急かし、水利卿は地図の水路だけを見つめ、工務卿は防壁線と街道とどこかの橋の名を上げ怒鳴った。
ワラン王は黒炉の玉笏を握ったまま、最後まで席を立たなかった。席に並ぶ王族もまた、最後まで席についたままだった。
カランにとって重要だったのはその過程ではない、決まったことだけだ。だからといって「帰っていいですか」などと言い出せるわけもなく、しばらくその場で後ろ手を組み、直立したまま行く末を見守っていた。
しかし、カランは会議が終わりよりも早く退出を許された。
タルナは落ちた。
ナールムは門を閉ざした。
そして、術士兵団第一戦団にはキャンベラ要塞への出陣命令が下った。
場を移し、術士兵団の兵舎にてダルミンが指令を告げる。
「キャンベラ要塞への出陣命令だ。第一から第四までの全連隊、全分隊を合わせた第一戦団全体での行軍となる。それに加え王国軍の第九大隊の第一中隊が随行する。補給隊はいつも通り王国軍の第三輸送隊と合同。出立は明朝だ」
兵舎の一室でもその声はよく通った。
議会は終わった。いや、正確には終わっていない。貴族院では今も緊急会議として、怒号と指令が飛び交っているのだろう。省、庁、局、軍。王国を動かす全ての機関が、今この瞬間に平時の形を投げ捨て、戦時の形へ組み替えられている。それも戦時の中の戦時といえる形にだろう。
だが兵士にとって、会議が終わったかどうかなど関係ない。指令が出た。ならば従う。動く。それだけだった。
「早ぇな〜明朝かよ、ろくに休む暇もねーな」
バルドが腰掛ける椅子の背にもたれ、舌打ち混じりに言った。彼の顔には疲労が残っている。
歴戦個体の”ツノ持ち”を相手にしたばかりだ。飯を食い、よく眠り、疲れを癒すには一日という時間は少々短い。
それでも、その目はすでに戦場に向いていた。
「遅いくらいでしょう」
カランは壁際に立ったまま言った。部屋の中にいた数人がこちらに視線を向ける。
ダルミンも、ミラリも、バルドも。そして、椅子に深く腰掛けていたタルガンも。
「タルナは落ちた。ナールムの都市勅令の報せが到着した時点で敵の行動はすでに次の段階に移っているでしょう。であるならばキャンベラがどうなるかは大方の想像は付きます」
「分かったように言うな」
タルガンが短く吐き捨てた。
「分かっていることしか言っていない」
カランは淡々と返した。
タルガンの眉間に皺が寄る。
だが、言い返す前にダルミンが手を叩いた。
「やめろやめろ。言い争ってる場合か。時間がないんだ」
その声は普段聞く声色と変わらなかったが、視線は鋭かった。顔面の斜め傷と合わさって童顔さの消えた戦団長の顔だ。
「聞け。キャンベラ要塞はワラネとナールムの中間にある。内陸への橋頭堡だ。そして同時に防衛の中核でもある」
ダルミンは地図の上に手を置いた。
ワラネ。ナールム。その中間に灰色の駒が置かれている。
キャンベラ要塞。
都市ではない。多くの民が暮らす殻ではない。
そこにあるのは、壁と塹壕と兵舎と炉。そして、内陸へ向けられた無数の刃だ。
人類が大地に打ち込んだ楔。あるいは、人類が壁の外へ突き出した拳。
それがキャンベラ要塞だった。
「ナールムが勅令権を行使した以上は全ての門は閉じているだろう。タルナが落ちた事も含め、距離と時間からして直接支援は難しい。野戦を強いられれば終わる」
ミラリが肩をすくめる。
「つまり、助けに行っても食われるだけってことね」
「まあそうだ。言い方は悪いがな」
ダルミンは否定しなかった。
「まずはキャンベラを固める。敵の目標がナールムで終わりじゃないなら、次は順当に行ってワラネだ。敵がワラネを狙うなら、キャンベラは外側の防衛線になる。あの地は捨てられない」
「だから俺たちが行く」
バルドが短く言った。
「そう言うことだ」
ダルミンは頷く。
カランは地図を睨んだ。
黒い線で描かれた街道、水場、野営可能地点、防壁都市の境界、旧開拓道。そして、その外側に広がる空白。
地図というものは人類が知っている場所しか描けない。描かれていない場所には何もないのではない。何があるかわからないだけだ。
このアウストロメリアの地図には、そういう空白が多かった。
「敵の主力はどこに?」
カランは問うた。
「わからん」
ダルミンは即答した。
「タルナを落とした軍勢、ナールム方面に出た軍勢、あとは先日の鎧人の軍勢もか。それらが同じ指揮系統かも不明だ。十中八九同じだろうがな。斥候は出しているようだが、戻ってこない者が多いようだな」
「戻ってこない人が多い?」
ミラリの声から、軽さが消えた。
「ああ。現在わかっているだけでも、常任の斥候班が三組、工務省の街道確認班と護衛についてる王国軍の小隊も戻ってない、術士院からも伝達班の術士が昨日から連絡が無いらしい」
部屋の空気がわずかに冷える。
斥候が死ぬことはある。小隊が壊滅する事もある。術士だって死ぬ時は死ぬ。壁の外で任務に就く以上、それ自体は珍しい事ではないのだ。
だが壁外任務に出向いたものが、これほど同時に、見計らったように戻らない。そうなると話は変わってくる。
敵がいる。しかも、おそらくはただ暴れるだけではなく、選び、潰している。
「こないだの連中かね」
バルドが言うのは先日討伐した歴戦個体の”ツノ持ち”と”平鎧”の集団のことだ。
「可能性はある。だが斥候や伝達班の術士なら大隊規模の集団を見逃すとは思えん」
行動人数が違えば、できる対応も全く違うものとなる。情報収集を専門とする班が”平鎧”の大集団を見逃すとは思えなかった。もし見つけたところで、その場を早急に離脱するだろう。
「じゃあ糸女か?」
バルドがつぶやいた。
「可能性はある」
糸女または軍部では八脚とも呼ばれる。峡谷や岩壁に糸を張り、罠と奇襲を得意とする人と蜘蛛を合わせたような異形の民。正面から戦いを挑む鎧人とは性質がまるで違う。鎧人が甲を武器にするように、糸女はその呼び名の通り糸を武器にする。見えない場所から絡め取り、足を止め、首を絞める。
「それに毒尾の目撃もある」
ダルミンは続けた。
「尻尾持ちまでかよ」
バルドが顔をしかめた。
「面倒だね〜。硬いの、速いの、隠れるの。壁の外は随分賑やかじゃない?」
ミラリが笑った。だがその笑みは薄い。
カランはその間も地図から視線を離さなかった。
鎧人、八脚、毒尾。それぞれが敵対行動を取ること自体はいつも通りだ。だが、それらが同じ時期に、同じ戦域で、人類の要所を脅かしている。
「カラン」
ダルミンが名を呼んだ。
「お前は第一分隊の独立遊兵として動け。基本は俺の指示下だが、現地判断で離脱、遊撃、迎撃を許可する」
「いつも通りですね」
「いつもより範囲が広い。勝手に死ぬなよ」
「善処します」
「善処じゃなくて守れ」
ダルミンが眉を寄せる。カランは返事をしなかった。
守る必要のある約束ならする。守る必要のない約束はしない。
どこまで行っても人は死ぬ時は死ぬ。死んだらそれで終わりだ。そして壁の外はたとえカランのような術士であろうと慈悲はない。
「タルガン」
「はい」
名を呼ばれたタルガンは背を伸ばす。
「お前の第三連隊には中央で火力支援を任せる。キャンベラでも壁上火点と連携しろ」
「承知しました」
タルガンの返答は硬い。
先日の戦場で彼は”ツノ持ち”に殴り飛ばされた。命に別状はなかったが、誇りには傷がついたはずだ。今のタルガンはいつもより静かだった。静かな火は時に厄介だ。
「ミラリ」
「はいはい」
「第二連隊には側面警戒と初期対応を任せる。八脚や毒尾がいるなら正面だけ見ているわけにはいかないからな」
「りょ〜かい。かわいい後輩たちを死なせないように頑張るとしますか!」
「本当に頼む」
「そこ真顔で返されると困るんだけど」
ミラリは肩をすくめたが、目は笑っていなかった。
「バルド」
「おう」
「第一連隊第四分隊は補給隊に付いておけ。戦闘になったら前に出てもらうが、カランが出たらその補助だ」
「面倒な上に地味な仕事だな」
「得意だろう」
「否定はしねぇよ」
バルドは鼻を鳴らした。
戦場での花形は確かに火術士だ。しかし派手な術を放つ者だけが必要なわけではないむしろ軍を動かすのは地味で、泥臭い、汗水を垂らす仕事の積み重ねだ。荷を守る。道を確保する。水場を押さえる。負傷者を下げる。火を絶やさない。それらを怠れば、どれほど強い術士がいても軍は腐る。
「第四連隊は補給隊に付ける。出立までに各隊で準備を済ませろ。術具、触媒、食料、水袋、野営具、負傷者搬送具、過不足は許さん。術士院の補給庫は開いてるから必要なものは持っていけ。申請は忘れるなよ」
ダルミンはそこで一度言葉を切った。そして全員を見回した。
「これはいつもの遠征ではない。救援でもない。王国防衛戦の一部だ。タルナは落ちた。ナールムは閉じた。次に何が起こるかは分からん」
誰も口を挟まなかった。
「だから俺たちは、それが起きる前に行く」
その一言で話は終わった。




