第72話 ファンファーレ
「ここウラジオストクに敵が迫っているだと? 冗談も大概にしてください」
イェッセン海軍少将はそう笑い飛ばした。
『冗談でもなんでもない!ハルビンに敵部隊は来ていないんだ、既にそちらに向かって敵軍が猛進しているッ!』
クロパトキン極東軍総司令が悲痛な声でそう訴えるも、指揮系統の異なる海軍の彼には全く響かない。
「そこまで此処を心配なさるのなら陸軍が守衛すればいいではないですか」
『その回す陸軍がいないから言っておるのだ!今や西部戦線も全滅、3ヶ月前には40万いた極東軍も今や18万に半減、陸戦判定ではもはや『全滅』に値するッ!!ウラジオストクまでもを取られては戦争継続すら怪しくなるのだぞ!!』
「だからって軍艦乗りに小銃持たせて塹壕へ潜らせろと?ますます無理な話です」
イェッセンは話を真面目に受けない。
「そもそもこのウラジオストクへ連中が攻め込むには露韓国境の豆満江を渡河するしか道はないじゃないですか。あそこにはあなた方陸軍が河川要塞を築いているはずです、十分防衛可能だ」
『後ろから攻撃されたらどうなんだッッ!!』
クロパトキンはそう怒鳴る。
「……後ろ?はっ、まさか、露満国境のあの長白山脈を突破して、沿海州にあの猿どもが雪崩込んでくる、と仰るんですか??くくく…、バカバカしいにもほどが。」
『その可能性があるから言っておるのだ!現に敵軍は自動車で侵攻している、鉄道線に囚われない進軍が可能なのだぞッ!』
「自動車?またまた。だとしたら山脈の突破など歩兵より遥か難しいでしょうに」
『既存の欧州戦法は連中に全く通用せんッ!!楽観するでないッ!』
「くはははっ!蛮族独自の戦法ですと?更に戦争が楽じゃないですか。我らの文明を受容しなかった猿どもの末路など中央アジアを見ればわかるでしょう。」
なおも彼は極東軍の惨状を一蹴した。
『敵軍の正確な位置も特定できないのだ!すぐそこに――』
「長白山脈で遭難したんじゃないです?そもそも主戦場は満州でありそれ以上でもそれ以下でもない。そこから2000m級の山脈を隔てた『ロシアで最も戦火から離れた街』と呼ばれる沿海州になど来るはずが有りません」
彼は一旦そこで言葉を切って、嫌味のようにニタァと笑いつつこう言う。
「それも、ここはロシア内地です。おサルが人間様の本土に侵入するなど、文明化された現代となっては笑い話もいいところ」
クロパトキンの返答も待たず、イェッセンはガチャリ、とすぐに受話器を置いてしまった。
彼は肩をすくめてウラジオストクの軍港のほうを向く。
「半年前の開戦直後に軍港こそ機雷封鎖されウラジオストク巡洋艦隊は行動不能になったものの、以降連中は旅順のような直接的な攻撃に踏み切っていない。これこそ、蛮族どもが我らがウラジオストクを恐れている証拠だ。」
敵の海軍が攻撃を躊躇するくらいだ、陸軍が来るなどバカバカしいにも程がある、と彼は続ける。
「それに、市民だって平時と変わらない生活を続けている。ここが戦火に晒されるなど、それこそ帝国が崩壊でもしない限りあり得んことだな。」
市街は普段どおり活気づき、聞くところによる満州での悲劇的な戦線崩壊など、全く感じさせないほどの日常を謳歌しているのだ。それが彼の確信を与える最大の理由になっていた。
次の瞬間が来るまでは。
バタバタと足音が急速に接近してきたかと思えば、扉を乱暴に開けて伝令が転がり込んで来る。
「き、緊急報告ですッ!」
「ここをどこだと弁えておる、巡洋艦隊司令長官の執務室だぞ――」
「しししっ、シベリア鉄道が封鎖されました!!」
「……は?」
イェッセンは聞き返す。
「シベリア鉄道が敵の手に落ち、ウラジオストクは完全に孤立、連絡途絶です!」
「妄言ももっとマシなのにしたまえ、山脈を越えて、アムール川を渡って、シベリア鉄道を封鎖だと?歩兵の進撃速度では夢物語にも程がある。」
「で、ですが修復に向かった部隊は未帰還、斥候騎兵から接敵の報告が相次いでおります!」
「味方の敗残兵と誤認したんじゃないか?下らぬ、そんな話を取り合うな――」
ドガァン!!!
その爆音に場が凍りついた。
「…――な、なんだ?工廠で爆発事故でも起こったか??」
「ちょ、長官アレを!!」
伝令兵が指した空の一点。
雲からその雄大な姿を表した巨大船団、十数隻。
中央に、菊花紋章。
「なァ!??ば、馬鹿な何故ここに奴らがいる!?航続距離が到底足り――」
パラパラパラ――…
ヒュルルルルルルルル―――!
ドォン!
ズガァァアン!!
ボァッ――ダガァアン!!
――ァアアア、ドオォオオン!
「な、な…――!」
市街中核の軍事基地が一瞬で火の海に包まれる。
――うわぁああ!?
キャアァアアアァアア!
な、何だアレは!終末が来たのか!?
怪獣だ!神の裁きだぁっ!
市下は一瞬で大混乱に陥り。
『ウラジオストク市民に告ぐ――。皇國陸軍部隊は、これよりウラジオストクの攻略を開始する』
そのうちの一隻が、市街全体にその名を轟かす。
――…や、ヤポンスキー、だとぉ!!?
…な、なぜだ!戦場から1000kmも離れてるのに!?
…どうして俺らが、ばば蛮族の攻撃に晒されている!
…ここ、ここは本土のハズだろう!?!
『ひいては、軍事基地、司令部、官庁街区――当該区域に留まる者は命を保証しない。中心街より速やかに退避せよ、繰り返す、速やかに退避せよ。』
「なにが…、何が起こっている!?!」
ダァンと机を殴るイェッセン。彼は眼前の光景に狼狽えるしかない。
「ッ…、敵軍が、ここに!?クソ、露韓国境を越えられたかッ!??」
「ですが!シベリア鉄道破壊の件から北から敵軍が来ている可能性も――」
「そんなわかりきった欺瞞工作を信じるなッ!敵飛行船は西空から来たのだから敵軍は西だ!」
「は、はッ!」
「絶対に、絶対に穢らわしい猿どもを、人間の庭園に入れさせるな!!」
彼は命令を押し通して軍兵を応急で南に動かす。
「最悪の場合シベリア鉄道を使用して北へ撤退出来るようにもしておけ!奥の平原に引きずり込んで殲滅戦は我らの方が場を踏んでいる、圧倒的に有利だからな!」
「ウラジオストクはほ、放棄すると??」
「なわけないだろう、それは最悪の策だっ。絶対にウラジオストクは……蛮族相手に列強国が本土防衛で負けたとあれば、ロシア帝冠の権威は失墜するッ!」
彼は後方への撤退を考慮に入れるよう指示し、退路を真っ先に確保した。シベリア鉄道が使用できることを前提として、だが。
暫くしないうちに、他の伝令兵が司令室へ走り込む。
「報告!南西の露韓国境へ展開始めましたが、敵影見当たりません!」
「…――??」
予想に反し、国境方面へ派兵した兵からの接敵報告が一向に訪れない。
「なら敵軍はどこから来ているというのだ?」
彼は苛立ちながらも的確な命令を下そうとこう言った。
「この街が爆撃されたのだ、国境に敵がいないわけがない!今一度」
ドガァァアアアン!!!
突如、イェッセンを遮った爆音。
「な――ッ、なに――…??」
脊髄反射的に彼が振り返って先には。
ガラガラガラ……、
ズドォ…オオオ――…ォン…!
炸裂箇所から次々と崩落してゆく、ウラジオストク北城壁。
「……ど、どうしてそちらの壁が…!?」
そう、北の城壁。
彼が軍を動かした方向と見事真逆。




