第55話 帝都凱旋
新聞をたたみ、座席の下に捨てた。
弁当などに代表される列車内で出たゴミは、座席の下に重ねおいておくのがこの時代の乗車マナーである。
「……瓦屋根が多くなってきましたね」
急行列車の札幌行に揺られ、稚内から旭川を経て函館まで一日半。青函連絡船を抜けて、青森からまた一晩。ようやく汽車旅は終盤に差し掛かったようだ。
(わぁ、……帝都だ)
たくさんの線路が交錯する情景が一気に開けた。
そして、ぽつぽつと煉瓦建築が見え始める。
『長らくご乗車ありがとうございました、まもなく列車は終点、上野――上野に到着いたします、お忘れ物なさいませんよう、荷棚座席下など車内お手回り品をお確かめください。右側の扉が開きます――』
(そろそろ行きましょうか)
席を立ち、手荷物と乗車券を確認する。
汽車は黒煙を吐きながら、ゆっくりと13番ホームに入線する。流れるホーム柱はやがて、その一つ一つに縦書きで記された『うえの』の文字がしっかり読めるようになるまで、ゆっくりとその速度を落としてゆく。
「……本当に、戻ってきたのですね」
それを捉えて呟いた直後、アナウンスが入る。
『ご利用頂き有難うございました。終着――上野、上野です』
ホームに待機する鉄道員の手によって扉が勢い良く開けられる。
玲那はそうして、帝都の地に再び舞い戻った。
・・・・・・
・・・・
・・
「なんですかこれは」
「"宮廷"の新本部ですわ!」
帝都に戻るや否や、掛澗お嬢様に上野駅で出迎えを受けたかと思えば自動車に乗せられ、東京市電や人力車や牛車の往来を堂々と駆け抜けた。そして辿り着いた先には新築された掛澗家別荘の姿が。
「サプライズと申し上げればしっくり来ていただけて?」
掛澗はそう振り返ってから、アール・ヌーヴォー調の荘厳な新本部へ足をすすめる。これまでは学修院の図書室を間借りして開いていた部活動みたいなものだったのに、突然こんな建物を与えられるとは。上川宮廷も見違えたものだ。
「内装も華やかですこと……こんなもの、帝都に建てるお金なんてあったのですか?」
国難は目前だというのに、大丈夫かこのお嬢様は。
「ここは東京郊外の丘陵地帯、豊多摩郡渋谷村でしてよ」
「し、渋谷!?」
そう言われてまわりを見渡してみれば、どこまでも広がる丘、林、沼地、森。渋谷と聞いて思い浮かべたどデカいスクランブルは影もない。ここのどこに、あのチカチカする雑居ビルの情景の欠片があるというのか。
「東京市西部が帝都のベットタウンとして市街地化されていったのは、昭和初期から高度成長期にかけてでしてよ。ここはまだ田園地帯なのですわ」
「さようにございますか……」
「けれども、5年前には省線山手線が電化されて電車が走り出したのをきっかけに、このあたり――西部の沿線に人口が流入し始めまして。残念にも、地価は無にはならなくってよ」
「では、なんで」
「北方であれだけ励んで頂きましたもの、わたくしたちも全力で"宮廷"の再建に打ち込んだのですわ」
「それは……ありがとうございます」
目を丸くする。まさか、この守銭奴に人の心が残っていたとは。
「失敬なことをお考えでいらして?」
「いえいえまさか! あ、そういえばそんな帝都って人口増えているのです?」
「露骨ですこと……。ええ、まあ。特に今年からが顕著ですわ」
「え。それってもしかしなくても」
「あまりに安価な道産米の流入、そして農業聯合の組織によって、本州の地主が一気に農業機械の購入に踏み切って小作農を一斉解雇したことに起因しますわ」
「…ついに、都市部へ大規模に流入し始めましたか。」
「都市部もそうですし、特に、炭鉱と軍需工場と造船所、そして北海道――姫宮の城下に、ですわ」
掛澗は語る。日露戦争迫る中、ジェイコブ・シフによる臨時国債の大量購入が行われ、総動員の準備がなされた。結果、今年から始まる建設ラッシュで一気に完成する軍需工場の諸々は、人口供給を遥かに上回る雇用枠を持つことになるのだと。
「然しまもなく、半ば難民となった膨大な元小作農の都市流入が発生しましてよ。その受け皿になりまして」
高度経済成長期まで、都市部には常にスラムがあった。農村を出たはいいものの都市に来て働き口を得られなかった難民の住処だったのだ。そこは非常に悪い衛生状態の中、様々な犯罪の温床となる、都市の裏の顔であり暗部である。
その形成を阻止し、欧米の都市とは一線を画するゴミなし貧民窟なし犯罪なしの「江戸」の保持に成功したというわけか。
「食糧管理制度で順調な成長を示していた出生率は、硝安の導入で一気に上向きましたわ。おそらく――…今年を境に人口は大きく伸びますわよ。」
「たしかに、さようですね。大きな戦争のあとには市井は子を為すと、歴史は語りますもの」
その通りだと、玲那は頷く。
「今年、東京市の人口は300万人を突破しましたわ」
「お待ちください。さ、300万……?」
「ええ。今年の流入人口も20万人を超えていまして」
「……今年って。明けてまだ2ヶ月も経ってございませんけれど」
「お察しくださって。地主制度は崩壊をはじめましたの」
地主制度の分解は各地で同時多発的に発生し、帝都への人口が爆発しているようだ。
「それでは絶対住居足りませんよね?」
「ええ。都市部の地価は暴騰しておりまして。その解決策としての郊外開発ですわ」
外を御覧くださいまし、と掛澗が指し示した先へ視線をやる。
結構な向こう側だが、はっきりとたくさんの重機が動いているのがわかった。
「聞きたいこと色々ございますけれど……、まず。この時期に郊外化ってどういうことです!? 史実では戦後のお話でしょう!」
「厳密には史実でも戦間期には萌芽はございましたけれど。とはいえ、おかしくはございませんわ。戦後の農業機械化を、農業聯合を通じて列島全土で指導していますもの」
「で、でしたら二つ目。人口爆発、と申しますのになぜそれに対応できる速度で市街地を造成できるのですか!」
空前絶後の宅需爆発。これに対応できる供給量を平時から建築業界が持っているわけもないだろう。
「それは、日清戦争からの一連の流れに起因しますわ」
掛澗は話し出す。日清戦争の賠償金を湯水の如く使って、各地で一斉に製鉄所や民需工場が整備され、工業地帯が形成され始めた。ここで建築力の不足が顕になり、一気に整備された。
さらに長江勢力圏の確立で長期的な経済成長が列島を渦巻き、民需工場の建築増加になんとか建築業は追いついた。しかし、そこに建築用重機が投入されはじめると、一気に作業効率が向上し、建築業界は就労人口過多の傾向をとり始めた。
「けれども、そこに来てちょうど、住宅需要の爆発が建築業界を襲ったのですわ。建築業が抱える大量の超過人口が、大量生産の始まった建築用重機に乗り込んで、都市圏の新市街造成を行っていましてよ」
呆気にとられた。それをすべて見込んで、この時期での農業革命だったのか。感動と言うか、戦慄というか。滑らかに需要と供給のバランスを操り続けるその技は、さすがの大蔵省の悪役令嬢というだけある。
「……感嘆の限りにございますわ。プロの技ではありませんか」
「まさか。こんなのは準備体操に過ぎませんわ。一番むずかしいのがいかに人口流動を把握し分析し、流すかですわ。これは経済の運命を左右しましてよ」
「具体的には……?」
「日清戦争後、都市人口はそもそも少なすぎたのですわ」
工業地帯造成と対清輸出景気で、ますます増える工場の雇用を満たす数に届くわけもなく、慢性的な都市部の労働力不足が発生した。その原因は農村に労働人口を取られてすぎていたからである。
「農業革命は、建築業界のどうこうを解決したくてやったわけじゃありませんわ。むしろこちら――農村における集約農業の解決――のほうがメインですのよ。姫宮にやって頂いたことはこの所以にございますわ」
「え、ええ? その結果、人口不足を一気に解決する量が流れ込み、それをうまいこと、昨年の総動員で新築や拡張した軍需工場や鉱山に割り当てたということですか?」
「そうなりましてよ」
「……――なんですか、そりゃあ」
悪いがついていけない。その計画経済は完璧すぎるのだ。そこまで考慮して、動くと確信を持って緑の革命を断行したのか。あの爺さんの影をちらつかせるほどの周到深さだ。玲那より、悪役令嬢の名に相応しい実力を持っている。
「北海道には総流出小作農のうち半数ほどが流れ込んでますわ。姫宮の硝安の効果ですこと。あんなに大粒の米は初めてですわよ」
「召し上がったのですか」
「ほのかにガソリンが香りましたわね」
「設計ミスです、お許してくださいませ……」
「味くらい気にしませんわよ。経済さえ好転すれば」
さすがのお嬢様である。カネの前には味ごときじゃブレない。
「こほん。北海道における急速な工業化は姫宮が一番お分かりでしょうから触れませんわ。でも、内地のほうも相応ですのよ。」
「え、そうなんですか??」
「史実では第一次大戦前後に始まった都市間工業地帯の成立ですけれど、これが今まさに進行していましてよ」
掛澗は語る。
1に、国内最大の平野を背後に、帝都から横浜にかけて君臨する京浜工業地帯。
2に、商業のメッカ・大阪を中核に、淀川流域と東洋最大の港・神戸を控え、京阪神に広がる阪神工業地帯。
3に、広大な筑豊炭田に灌漑の進行する筑紫平野と、大陸への玄関たる下関を抱え、関門海峡を跨ぐ海峡工業地帯。
「特に海峡工業地帯は緑の革命による利益を大きく受けていましてよ。余剰人口は筑豊炭田の開発を推し進め、わたくしの財閥のほうでも投資をしているところですわ」
「……もうなんというか、さながら高度成長期にございますね」
「わたくしとて、戦前にここまでに至るとは予想していませんでしたわ。ですけれど、想定のかなりいい方を現実は走ってくれた。」
掛澗は満足げに資料を出す。それを覗き込んで、絶句した。
「総人口5500万人って、これ大正末頃の水準ではございませんか……!」
「ドーナツ化現象が起こっていますもの、決して時代錯誤ではなくってよ」
市街地の造成が圧倒的なスピードで進んでいる。京浜工業地帯の完成を急ぎ、東京市郊外のみならず、鶴見や川崎などの都市間地帯に建造は進む。内務省では帝都開発計画が策定されたといい、掛澗の広げたその図案を見せてもらう。
「……"通勤五正面作戦"ですか。常磐線、東北本線、総武本線、中央本線、東海道本線の沿線に新興住宅地が」
でも、なんか面白い。自家用車が普及していないので、戦後の欧米風の比較的大きな一軒家が続くニュータウンではなく、延々と造成されるのは、木と紙でできた伝統建築、木造長屋の密集住宅地なのである。
「あ、でも史実より都市圏は遥かに狭いのですね」
「建築様式が時代ですもの。一世帯あたりの面積が小さくなりますわ」
つまり時代劇とかで見る江戸の長屋が、江戸城下だけじゃなくて平気で電車で1時間の場所まで延びるということか。
「ですけれど阪神間はそうもいきませんわ。阪急や阪神が競って高級住宅地を誘致していますもの、官府主導による長屋は大阪から堺にかけてになりそうですわね」
「あのあたりは私鉄の抗争が恐ろしいですから……」
やはりこの世界線でも高級住宅地は阪神間に造成されるか。
「というかこんな人口、交通政策は大丈夫なのですか?」
さきほどの上野駅の地獄のような混雑を思い出す。横須賀に出向いたときのようなのには二度と乗りたくない。痴漢されるし。
「帝都に集中して省線電車の整備を急いでいますわ。余力がございませんので、関西地区は私鉄に一任しましてよ」
「具体的には?」
「東京駅の開業ですわ。西に向かう列車はすべてあの重厚なレンガ駅舎から発着するようになりましたの」
残る上野と東京の間も用地買収が進んでいるそうだ。なるほど、山手線の環状運転開始も遠くはないだろう。
「それに、再来年には地下鉄も開通いたしますわ」
「ち、地下鉄!?」
たしか、東洋初の地下鉄として開通した銀座線でも1927年、昭和に入ってからのことだったはずだ。いったいどういうことだろう。
「市電の混雑がおぞましい物になりつつありましてよ。増え続ける人口を輸送するのに自家用車やバスがない以上、活躍するのは市電でして。帝都じゃ屋根の上に乗車するのは日常の光景ですわね」
「やっぱりバングラディシュではございませんか」
「ええ、ですから地下鉄――路面電車に代わる都市内の大量・高速輸送手段ですの。1863年に世界初のものがロンドンで、それからブダペスト、イスタンブール、ボストン、パリ、ベルリンと続きまして、再来年には上野浅草間で、世界7番目、アジア最初の地下鉄開通の予定ですわ」
「……さようですか。ついに、帝都も世界都市ですね」
「なにをおっしゃられて? とうに帝都は世界都市でしてよ。」
お嬢様は誇らしげに資料を見せてくる。
都市人口順位
1位 ロンドン 648万人
2位 ニューヨーク 424万人
3位 パリ 333万人
4位 東京 322万人
5位 ベルリン 272万人
6位 大阪 187万人
「………っ!?」
「大阪に続くシカゴやウィーンは精々170万人レベル、大きく差をつけていてよ。帝都と大阪はもはや、東洋における金融の中枢。世界都市ですわ」
列強の首都名が錚々と並ぶ中、東京と大阪の名前が記されていた。続く港湾貨物取扱量ランキングも、香港・広州を遥か凌ぐ東洋最大の貿易港として、ロンドン・ニューヨーク・ハンブルクと並び、神戸の名が世界四大海運市場として刻まれている。
「そして、それに恥じない国力になりましたわ」
お嬢様が、一連のとどめとして机に叩きつけた資料。
そこにはこう記してあった。
明治36(1903)年度 最新国力明細
・[史実] 帝国
人口:4613万 総生産:852億$
国家予算:3億1500万圓
産炭:1000万 産鉄:3万
軍事費(比率):1億5100万圓(47.9%)
陸上戦力:13万人
船舶総トン:259,000
【皇國】
人口:5874万 総生産:1303億$
国家予算:6億5100万圓
産炭:1400万 産鉄:14万
軍事費(比率):2億1300万圓(34.6%)
陸上戦力:18万人
船舶総トン:312,000
・[参考] ロシア帝国
人口:1億3200万 総生産:2185億$
国家予算:11億2300万圓
産炭:1600万 産鉄:220万
軍事費(比率):4億3700万圓(38.9%)
陸上戦力:100万人
船舶総トン:574,000




