第56話 天皇
「海軍は何を考えているのだ」
「玲那も別に詳しく存じているわけではございませんけれど」
臨時召集で帝都へ顔を出した閑院宮。
"上川宮廷"の新本部に立ち寄った彼とお茶をしながら、玲那は適当に絵を描く。
「このような感じになりましょうか」
「徹甲弾か?」
「御名答にございます」
閑院宮は煙草を出して、火をつける。
「で、徹甲弾の新しいものでも作るのか?」
「ええ。バルチック艦隊の装甲はそう簡単には抜けませんから」
「まぁ……左様だな。なんとて相手はあの『世界最強の』艦隊だ」
「彼らはもちろん、それに恥じない装甲を擁してございます。けれど――それは、水上においてのみの話」
「……どういうことだ?」
「艦政本部いわく、『水中弾効果』と申しまして」
閑院宮は煙をはきながら首をかしげる。
「砲弾を目標の手前に落とし、水中である程度の距離を水平に直進、艦船の水中防御部に命中させることです」
「どういうことだ。水の抵抗で弱りきって当たりすらしないのでは」
「いえ――これが意外に強力と、秋山は申しておりました」
従来の尖頭弾は水中では非常に大きな水の抵抗を受け、不規則な挙動を起こして失速し海底に沈んでしまう。だが、形状を最適化すれば、水中を安定して進み浮上気味に200口径を直進することができるのだそうだ。
「ふむ……秋山に直接聞いた方がよさそうだな」
「ぎゃーっ!助けてくれぇ!」
なんか、聞こえた。多分声質的に秋山だ、ちょうどいい。
閑院宮に断りを入れて、玲那は急いで上の階に駆け上がる。
「なにをしていらっしゃいますか、秋山大佐。いきなり大声出して」
「ぐわーぁっ!あぁーっ!」
勢いで彼の部屋のドアをぶちあけると、洗面台の前で絶叫しながら顔面を洗面器に突っ込んでいる彼の姿があった。
「目がっ! 目がァァ――!」
「ここは空中要塞ではありませんよ、落ち着きなさって」
「大体わかりにくいんだよ! 洗顔剤と歯磨き粉は別の場所に置きやがれ!」
瞬時に玲那は踵を返した。
「秋山はいたか?」
「顔に歯磨き粉塗って自滅していらしました」
「……そうか」
閑院宮はコメントに苦しんだ。ろくなやつじゃない。
「とりあえず続きを――」
「たしかに史実、退役艦『土佐』に対する射撃試験では後部機関室内で3,000トンの浸水を発生させ、『安芸』に至っては初弾発砲から17分の一瞬で沈没した。水中弾は中央が予期しないほどの効果を叩き出したんだ」
振り返れば、まだ顔の節々に白いものを残した海軍大佐が立っていた。
「どうしたんですか顔面ペースト大佐」
「まずはその呼び方をやめろ」
「ふたりとも座れ静かにしろ」
渋々と彼は席に着く。
「いいか、水中弾効果を突き詰めた九一式徹甲弾ってのを帝国海軍が開発してる。昭和6年のことだ」
憮然と語る秋山に閑院宮が問う。
「大佐、形状はどうなっているんだ?」
「仮帽付被帽付徹甲弾、つまりAPCBCになります」
「……APC、BC?」
「徹甲弾は概ね4種類ありますが、そのうちでも最高ランクです」
そう言いながら彼は机上に図面を広げた。砲弾が水面に命中した際には、風帽と被帽頭が飛散して、水中を直進した砲弾が敵艦の水線下に命中するという構想らしい。
「まて、最初からの問題が解決されてない。水中での抵抗はそれでもきついぞ?」
「スーパーキャビテーションを採用します」
超高速魚雷で帝国を無双させるやつに出てきた推進原理か。おそロシアのロケット魚雷でも開発するつもりか?
「高速の砲弾が海中を進む際に、平らにした弾頭部周辺から気泡が発生します。それに弾体を包み込ませて水抵抗を著しく下げて、弾道を安定させるんです」
「信管はどうするのだ? 陸軍のそれとはもちろん違うだろう」
「水中弾効果を最大限に活用するため調停秒時の長い大遅動信管の装備が必要でしょうね。0.4秒位を目標にします」
閑院宮がほうと頷いて煙管をふかす。煙は、窓を抜けて原宿の森へと消えていく。彼はその様子を眺めながら、また一つ疑問を口にする。
「水中弾効果はどれくらいの国家が把握している?」
「現状誰も知りません」
秋山はにぃと笑う。
「合衆国海軍も1935年頃には実験で水中弾効果を確認しており、サウスダコタ級やアイオワ級は帝国海軍の戦艦同様に水中弾防御を施しています。 ですが、英独仏伊の新型戦艦は水中弾に対する防御を持たなかった。つまり――」
「史実では日米しか知りえなかった、か」
「そうなりますね」
「……なら、今それを世界に誇示して大丈夫なのか?」
秋山は資料を丸めて、肩を竦めた。
「枢密院次第ですね」
「というと?」
「水中弾効果は戦艦あってこそです。第一次大戦に皇國が本格的参戦をしなければ、これが皇國海軍における最後の戦艦決戦になる可能性が高い」
なるほどな。枢密院としては、ここで水中弾効果が知られても大丈夫と。さしずめ戦後には艦隊設計の思想を航空主兵にでも転換するつもりなのだろう。
「さぁ。彼らの思い通りに進めばよろしいのですけれど」
玲那の言葉に、秋山は半笑いで空を仰ぐ。
「どうだろうな。先日も、あの有様だったろう」
「……」
思い出すのは、二人して枢密院会議へ呼び出されたあの日のこと。旭川から戻ってきてすぐのことであった。
・・・・・・
・・・・
・・
「……」
ごくりと息を呑んでから、ゆっくりと重い扉を押す。
視界に飛び込んできたのは絢爛たる高天井。その下にちょこんと置かれた円卓。そこに明治重鎮たちが並んで座って、こちらを凝視している。
「うぉ……」
秋山が思わず感嘆の声を漏らした。たしかにわかる。集められたメンバーが豪華キャストすぎる。これは明治偉人勢ぞろいという感じだな。
伊藤博文、黒田清隆、松方正義。そしてもう一人の逆行者、磯城。そして、円卓の後ろには壇があって、ここに簾がかかる。影が見える――鎮座するのは聖上か。
しばらく沈黙が続く。まぁそれをぶち破っていくのが秋山なのだが。
「みなさま、お久しぶりですね」
「……おお、元気そうで何よりだ」
反応が一歩遅れたが、松方はそう答えた。
「もしかして。歓迎されてはいなくって?」
ふふっと茶化すようにそう言ってみると、磯城が思い切りこちらを睨みつけてきた。『主人公』にとっては、玲那の存在は目の上の瘤か。
「諸々方、含むところもありましょうが……この場は何卒、暖かくなさいませ。今を以ては、紫禁城や真珠湾にて皇國に貢献しているお二方ですから」
最初に松方が喋りだす。なるほどこいつの仕業か、玲那たちを枢密院へ呼び出したのは。
「まぁ、なに。まずは……おかえり、だな」
「7年ぶりだが、ただいま諸君」
秋山が皮肉交えてそう言う。玲那もスカートの裾を持ってそれに続いた。
粛然としてぶれない伊藤博文のほうへ松方は向き直る。
「ここで固まっていても進みませんよ。陛下をお待たせするのも不敬でしょう」
催促された伊藤は重たらしく口を開く。
「本日出頭を命じたのは他でもない。明治二十八九年戦役ならびに真珠湾作戦に際しての諸君の多大なる貢献に、畏れ多くも陛下ご自ら褒誉あそばせんとす」
(8年前の戦争じゃないですか。それに真珠湾だって)
(俺の追放からすぐだったからな。すぐ表彰ではメンツがない)
目配せあっていると、伊藤がこちらを促す。
「玉座のもとに進みたまえ」
玲那たちはため息を一つ、絨毯の上を踏み出した。
二人並んで壇の下に辿り着くと、そこで止まるよう近衛兵に制止される。
「皇國海軍大佐、秋山真之」
厳かながら、よく通る。それが簾の声の第一印象で――遠い親戚にあたる聖上だけれど、玲那はその人となりを知る由もなかった。現人神だし当然か。
「は」
あの秋山が、簾のもとに進み出て厳粛に跪く。普段はあんなにも落ち着きがないのに、こういう儀礼はできるのか。玲那も皇女のはずなのにな。それからどうしたら普段あの体たらくのこの男を皇族の威厳で黙らせられようか思索にふけっていたところ、秋山がすすっとこちらに下がってくる。一ミリも聞いていなかったけれど、つつがなく叙勲されて来たらしい。
「有栖川宮家第二皇女、有栖川宮玲那」
次は玲那か。階級じゃなくて身分で呼ばれたということは、武功勲章ではないのだろうか。不敬ながらいろいろ考えつつ踏み出して、翠星杖を手前に置き、跪く。
「杖を取り給え」
不意に玉座の上から降りる玉音。それこそ不敬じゃなかろうか、陛下の前で杖をつくなんて、日本海海戦後の東郷平八郎くらいにしか認められなかった特権だろうに。
困惑のままおそるおそる翠星杖をつき立てると、簾がふわりと上がり、がっしりとした大きな御手が伸びてくる。それは杖柄に添えられたかと思えば、そこへスルリとリボン状の何かを結びつけた。
(こ……れ、は?)
色づかいを見遣って、それから目を見張る。
「紫禁城における武功。開拓と農業改革における智功。此等を併せて褒し、宝冠を勲一等に陞叙せしむ」
杖に新たに輝く琥珀色の紐飾り。紛れもなく宝冠章――女子が叙されうる唯一の勲章――の最高章級だ。ゆえに、玲那が受けることのできる勲章のうちで最高のものになる。渇いた笑いが漏れた。動揺のあまり、この年でもう伸びしろがなくなったかという寂しさのほうがむしろ勝ってしまう。
「もったいなき玉言にございます」
玲那は目を瞑って、杖を下ろそうとした。けれど聖上の御手は離れない。どうしたのかと少しだけ目を上げれば、聖声がつづく。
「附して。此の臨時徽章にも公位を与えん」
終身闕杖官を示すこの杖。一振りで禁闕部隊を召集できるほどの代物ゆえに、陸軍徽章としては制式のものではない――玲那のためだけに用意された特権。なるほどたしかに、公の場では扱いに困らされてきた。
「当杖の位級は、菊花章に準ずるものと定む」
声を失った。
「きっ……?」
反芻する。菊花章、たしかに聖上はそう言った。けれど玲那は皇族の端くれとしてよく知っている、その勲章を佩用できるのは維新の英傑クラスの男性だけだ。皇族とて婦女では無理だ。それこそ皇太子や皇太孫でもない限り。
(玲那は叙される資格すらないのですよ、だって、菊花章は正真正銘の)
簾が上がって、御手から勲一等の宝冠を載せられる。すぐ頭の上に聖上がいるというのに、玲那は始終呆然としていた。だって宝冠章など比較になりやしない。この上の瑞宝章や旭日章すら従えて、皇室の紋章たるその花は君臨する。
「では、また会おうぞ」
ふと耳元に響く玉音。目を見開く。
聖上は戴冠の退き際に、玲那へ囁いた。
「何れ世継ぎとなる皇女よ」




