第57話 皇國枢密院
「姫宮、姫宮」
松方の声に、はっと意識を取り戻す。
簾はすでに降りて、その向こうには影も形もなかった。
(世、継ぎ?)
聖上の言葉が脳裏に反響する。
誰が? まさか、この玲那が?
まずもってそんなはずはない。皇位継承順的にも有栖川宮家では10のうちに入らないし、そもそも禁中典範には女子の即位に関する規定がない。だから去り際のお戯れに違いない――なのに、背にはずっと悪寒のような鳥肌が残り続けている。
嫌な予感なんて、縁起でも言いたくない。死ぬまで公人、どこに行っても国家の顔なんて、戦時に首相になって処刑されるよりも勘弁だ。
「はっ」
まわりを見回せば、とうに解散の流れとなっていた。秋山が松方をひっかけて談笑しながら出ていく。そこに伊藤たち元勲が続く。まもなく部屋に取り残されたのは、玲那ともうひとり。
(……あ、やられた)
二人の未来人が相まみえる。
こころなしか口角をほんのすこし上げる『主人公』。これは仕組まれたセッティングか。
「二度とその顔、見ることなく済むと思ったんだがな」
もう誰の目もないからか。玲那が何を言うより早く、彼はそう発した。
「……見込みが甘かったのではなくって?」
「はぁ、全くだ。お前の良心を一寸でも信じた俺が馬鹿だった」
先程の笑みから一転。
主人公は、拳を握って玲那を睨む。
「正々堂々、真っ向からの開拓勝負で追放解除へと足掻く。そんな――後腐れのない情熱的決着をお前に求めた、俺が愚かだったんだ」
「情熱的けっ……、はい?」
「正直、お前の陰湿さを舐めてたよ」
はーぁっ、と彼は深く溜息をつく。
「たまたま近くにあった兵村。それを合併するだけで……1個師団2万人、人口要件なんてすぐ解決できるもんなぁ?」
玲那は目を見開く。
「制度を悪用して俺の許可なく周辺村落を合併。そりゃ面積が広がれば人口も増えたように見える……それで追放ゲームの勝者を詐称して帝都へ凱旋気取り。よくもまぁ、そんな事ができる」
「追放ゲーム、ですって?」
「田んぼに種を撒いて、その生育を眺める傍ら、人を集める――……たったそれだけのゲームだろ? 俺がやれば1年経たずクリアできるだろうこのヌルゲーを、お前にやらせて、どこまで実力で出来るか見るつもりだった。なのに」
主人公は、ばっと玲那を指差した。
「出来損ないの令和人に、手を差し伸べるべきかどうかを試すつもりだったのに。お前はそれを合併なんて最悪のチートコードで蹴飛ばした」
「チート、コード……」
「もしかしてお前、地図上の境界線をコネコネして見せかけの統計を出すことが、『実力』だとでも思ってんのか?」
たしかに永山村には連隊の本部があって、軍民あわせてそこそこの人口がいた。これを合併したことが気に食わなかったらしい――けれど合併だけで旭川は市になれたわけじゃない。あの開拓をヌルゲーと称するあたりからして、現実を知らなすぎだ。
「どこまでも卑劣、醜悪。いかにも"令和人"らしい小賢しさだ。……あぁ。そもそも思えば最初から――お前らは救いようのない無能だった。」
「……はい?」
「もう忘れたのか。樺太住民5万人を見捨てて、逃げかえってきたことを」
思考が真っ白に染まる。いまなんと云った、この男は。
「……ふ、ふふっ。枢密院の素敵な外交手腕で、清朝が介入なさいましたから」
「この期に及んで言い訳かよ。俺なら清朝介入までに北方戦役を終わらせた」
ぐいと杖を握り締める。
「大層な自信が、おありで?」
「だってお前、機関銃も飛行船も使ったんだろ。それで19世紀の軍隊相手に敗走?――笑わせてくれる。この恥晒しが」
どの面下げて戻って来やがった、と彼は眉間を寄せた。
「お前らのせいで、たくさんの犠牲が出た。俺の救国譚まで邪魔された……!」
玲那は頬肉をひくつかせて、なんとか笑顔を張り付ける。苦虫を嚙み潰したような笑みを。
「玲那たち北鎮が朝鮮戦線を立て直したのですよ。枢密院肝いりの東京鎮台は、それまで潰走状態にございました」
「あったり前だろ。自分のケツくらい自分で拭けよ」
「は、あ……?」
「そりゃ、準備もない戦線を奇襲されたら負けもする。そもそも、清朝の介入はお前らが樺太でのろのろ戦争やってたからだろ」
それに、東京鎮台だって準備を整えただけだ。戦線の立て直しに北鎮の到着は関係ない、と彼は息を荒くする。
「俺たちはお前らとは違う。お前らが引き起こした逆境からだって、立ち直ってみせる――朝鮮での勝利、満州への侵入。そして下関条約。全部俺たちのおかげだ」
謝罪か感謝の一言もないのか、と主人公は凄む。だから玲那はこう返す。
「……言ってくれますね。豊島沖と東郷の離反、どう説明なさいますの?」
主人公はいかにも楽しげにくつくつと笑いだした。
「本当に令和人は頭が弱いなぁ……」
令和人、か。玲那のことを皇族とは露ほどにも見ていないのだろう。玲那の前世を透かし見ている、というべきか。彼はトントンと指で机を叩く。
「豊島沖なんかもろ、権力によって腐っちまったあの秋山のせいだから、ただのお前らの言いがかり、もしくは嫉妬だろ。それに。東郷が本当に離反してるとでも思ったか?」
「思っていますけど」
はぁ〜ぁ、と彼は失望の息を吐く。
「東郷が離反するわけ無いだろう。なんだかんだ言って、豊島沖じゃお前らの無能秋山の失態を尻拭いして、なおかつ勝利に導いたんだ。きっと内心じゃ俺達の浪漫あふれる改変計画に共感してくれてるさ。ツンデレ、ってやつだろ?」
玲那はもはや言葉出ず、目を閉じて空を仰ぐ。
「こんなことすらわからないって。俺としてはお前らみたいな足枷、すぐさま切りたいんだが……心優しい陛下と松方が聞かなくてな。」
彼は言葉を継ぐ。
「陛下が認めたお前らの功績だって、俺ならもっとうまくやれた。真珠湾作戦はもっと華やかにこなしただろうし、農業革命だって開戦直前にぎりぎりセーフじゃなくて、もっと早期から取り組めたはずだ」
もはや反論する気力もない玲那に、ふっと軽く主人公は笑った。
「調子に乗るな、役立たずが」
全身に走っていた緊張はどこへやら。力は抜けきって、変に落ち着いた声で、玲那は問うことにした。
「……本当に、何ら落ち度はございませんの?」
カン、とペンを机に軽くうち付け言った。
「仮に、北方戦役で負けたのは玲那たちのせいだとしても。戦役自体を起こしたのは枢密院ではなくって?」
「は?」
「清朝との戦争も終わっていないのに、あの時期にロシアと戦争を起こす利益があったようには思えません。……本当に、八年前に学ぶことはございませんの?」
主人公はふぅと息を吐いた。
「まぁ、なら百歩譲って、仮にロシアを巻き込んだのは失敗だったと認めてやるとする。でもなあ? それ以降ずっと成功続きだろ? だからもうすでに、お前の言う学びは完了してるんだ」
「具体的に何を学んだと申しますか」
「莫迦なことを。『あっ、俺またなにかやっちゃいました?』ってパターンだよ。きっと運命的に、失敗しない秘訣を掴んだんだ。もうそれからは成功続きさ。なんたって俺は選ばれた改変者だからな」
理屈以前に、なにか狂気に取り憑かれている。
「まぁ……たしかにこのまま一方的にズタズタに論破されたままじゃ可哀想か。一応フォローしてやるよ。確かに"宮廷"とやらは役立つ時もある。」
奥歯を噛みしめる。玲那が欲すのは評価じゃない。
「ほら、機甲部隊だったか?発想は浪漫溢れてて実にいいじゃないか。だけどな。しょせん発想だけだ。」
彼は革靴を突き鳴らす。
「お前らは確実に失敗する。だって豊島沖で示されたとおり、うまく指揮する能力……お前らに無いだろ?」
「……っ!」
「いいか?東郷は俺らがつくりあげた八八艦隊率いて勝ちに行く。俺はお前らを指揮して陸戦で勝利をつかむ。おまえんところは無能が多いがそれも俺がカバーできる。――俺こそが主人公だ」
直感的に察した。この男は満州戦線に、それも独立第26連隊『魁星』の戦闘に介入するつもりだ。そうでなければこんな物言いはしない。
「仮にもお前らは陛下や松方に期待されてんだ。そんなお前らの正体がこんな体たらくじゃ、お2人に顔見せできねぇからな。もうじき戦争が始まる……だからお前には警告をしに来たんだよ」
一歩、踵を返すと主人公はドアノブを握る。それから顔をあげて、ドアを開けてつつ、めいっぱいにこちらを睨めつけた。
「決して戦地で、俺の顔に泥を塗るんじゃねえぞ」
「……はぁぁ」
誰もいなくなり、沈黙する部屋に深いため息をつく。
最初は不敬罪で斬り捨ててやろうかとも思ったけれど、レコーダーなどこの時代にはなく、この部屋に二人きりにされた時点で立証できない。なにより主人公は枢密院議員で、枢密院には聖上がいる。所詮10番目の宮家のお姫様には何もできまい。
問題は八年前とは違って、あの主人公が直々に戦場へ乗り込んできそうな所だ。彼の気を引くようなもの、それこそ装甲部隊なんて率いるんじゃなかった。尤も端から率いるつもりなんてなかったけれど。玲那は松方と閑院宮にやらされただけだ。ともかく実に、よろしくない。
(魁星の人事は、独立連隊ですし親王殿下が握っています。内側に潜り込んでくることはございませんでしょうけれど)
方面軍や総軍といった上部に滑り込んでくるだろう。具体的な形は想像つかないけれど、それだけでも戦争が幾分もやりにくくなる。
「あるいは……最初から、玲那は当て馬なのかもしれませんけれど」
暴走する主人公への抑え。そのために松方は玲那を抜擢し、当てているのかもしれない。じゃあ伊藤博文だの黒田清隆だの枢密院の主流派は何をやっているんだという話だ。あんなのとお手々繋いで歴史改変なんて、正気の沙汰じゃない。
(詳しい事情があるのかもしれませんけれど)
彼を無下にすると彼の未来知識が得られなくなる、とか。理由はいくつか思いつくけれど、玲那の知ったことじゃない。開戦をすぐそこに控えて、今はただひとつ、重い事実があるだけだ。
「……戦地の敵は、ロシアのみに非ず。ですか」




