姉との夜話
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「城壁の外で長期任務だったんじゃないの?」
「最中にちょっと不思議なことがあってね。今でも原因はわからないんだけど、そのおかげで思ったより早く終わった」
「その、怪我とかないか」
「大丈夫だよ、ありがとう」
「そっか……」
それきり話すことがなくなってしまい、しん、と重たい空気に満ちる。むべなるかな、と思いつつも陰丸は内心でため息をついた。
かたや城塞国家の要、退魔士の頂点である国守。
かたや退魔士学校にコネで入学したくせに身体強化も扱えなかった無能。
済む世界が違いすぎるとはいえ、姉弟でこうも話題がないものか、とか考えていたら、夜子がすっと視線を落とした。
「武器、見つかったの?」
「武器庫の奥の方に転がっていてね。なんとか」
「あれ、身体強化でしょう」
倒れた木々を指さして夜子は仄かに笑う。
「懐かしいな、私もやった。最初は感覚に慣れなくて、曲がり損ねてこけたり、木にぶつかったり」
「………本当?」
「ほんと」
木に頭から突っ込む姉貴というのはどうも想像できない。激突の瞬間も涼しい顔をしていそうだが、それはそれでシュールな気もする。
「だから、ちょっとアドバイス。強化を使うときは、体のパーツをもっと細かく使ったほうが良い。特に陰丸は、身体強化を使えない期間が長かったから、動作に全身を使いがち」
緩く大太刀を握って、夜子が何かを唱える。
そして、ふっと夜闇に溶けたかと思えば、次の瞬間には陰丸の目の前にいた。
移動前の彼我の距離はおおよそ10メートル。それを最大速度で詰めきり、眼前で急停止。
涼しい顔で、夜子はとんとん、とつま先を指さした。
「強化中は、あらゆる動作に倍率補正がかかるの。だから私の場合、これぐらいの距離移動だったら足の指で地面を弾けば十分。これより長い距離の場合は、ふくらはぎ、膝、太腿、体幹、腕の振りって、順番に部位を解放していく」
「……………なるほど」
確かに、さっきの自分は、軽く動いたつもりではあったが、それはあくまで『全身の動きを軽く抑える』という思考だった。
だが、関節での加速プロセスのすべてに補正がかかるなら、それでも莫大なエネルギーになる。
だから、使う関節を制限する。
「これは……思ったよりも大変そうだ」
「頑張って。上手く扱えば、悪喰にも余裕で追いつける」
悪喰。城塞国家を襲う襲う魔物の中で、最底辺とされているもの。
くるくると短剣を弄びながら、陰丸は問うた。
「魔物って、どんな感じなんだ?」
「かんじ、って?」
「いや、ほら、俺は無能だったから校外演習とか行ってないんだよ。だから魔物って見たことなくて、どんな感じかなと」
「そう」
なぜだか少し機嫌が悪そうにして、夜子は大太刀から手を離した。
「確認されている魔物のランクは4種類あるけれど、よく遭うのは下2種類だから、とりあえずそれだけ覚えればいい」
ぴん、と人差し指を立てる。
「悪喰。最底辺の魔物。大きさは150cmぐらいで、腕が長いのと脚部が異様に発達してる。個体数が多いからうち漏らしたりしがち。過去には食料輸送の馬車に侵入した悪喰に気付かなかったせいで、一区画分の食料を全て喰われつくしたなんて記録もある」
「うわ………」
身の毛もよだつ話だ。きっと何十人もの餓死者が出たのだろう。
続いて夜子は、中指を立てる。
「剛鬼。下から二番目の魔物。シンプルな人型で速度もないけれど、背丈が3mから4mある。打撃が砲弾みたいで、まともに食らえば強化してても骨折ぐらいはする。同僚がそれで左腕を折られて、痛そうだった。……陰丸が退魔士として任務に当たるとき、最初に当たるのはこのどちらかだよ」
「………姉貴?」
「冷泉家とのことはお父さんに聞いた」
「そっか、まあそうだよな」
夜子は立てた指を下ろして拳の形を作ると、感情の読めない無表情のまま言った。
「頑張って」
この嫌味に聞こえがちな台詞が、実は本気で言っているだけというのを知っている陰丸は、小さく笑った。
「ありがと」
「なにかあったら、私が守ってあげるから」
「それは言わないでほしかった」
◇
陰丸はコツが掴めるようになるまでは演習を続けるらしいので、夜子は先に家に戻った。
―――汗臭くなかったかな。
すん、と鼻を鳴らすけどよくわからない。任務から帰ってきたままだったから、本当は先にお風呂に入りたかったけれど、木々の倒れる音を聞いてついつい駈け出してしまった。
それでも、立ち寄った価値は十分にあった。
「『無能だったから』か」
陰丸はすごい。私なんかよりすごい。ずっと努力を続けて、ずっと負けずに戦っている。
だから、陰丸が自分を卑下するようなことを言うと、とても悲しくなる。
だけど。
―――知ってた? いつもは、『無能だから』って言っていたんだよ。
わずかな変化かも知れないが、それがとても嬉しい。
でも、あれ?
もぞもぞと隊服を脱いでいた夜子は、そこでふと動きを止めた。
陰丸が持っていたのは、刀身のくすんだ、いかにも量産品のような黒短剣。
「あんな粗悪そうなの、武器庫にあるはずないんだけど」
ちょっと引っかかったが、まあいいか、と夜子はそこで考えをやめた。
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