初めての身体強化
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「お、覚えておけよ……。乙女の体を埃取りに利用しおって……」
「お前も自分の行動を見直すんだね」
レイラは霊体で、陰丸にとってひたすらうるさいことを除けば現実世界に干渉することはできないらしい。黒短剣と黒剣の形を入れ替えるのも、陰丸が心の中で命じれば強制できたし、拒否すれば抑制できた。
どうやら本当に、陰丸とレイラの関係は主と従のようだ。
たっぷりと時間をかけて掃除をした後、陰丸はそう結論付けた。
時刻は深夜、場所は月城家所有の1キロトラック。
黒短剣の形を取ったレイラが、肩をすくめた。
「それにしても、まさか主様が身体強化すら使ったことのないずぶの素人だったとはな」
「使わなかったんじゃなくて使えなかったんだよ。退魔基数が0だったから」
退魔基数の値は、言葉通り各人の術の基になる。
そして、人によるばらつきはあるが、身体強化は1時間で基数を5程度消費することで発動する初歩技能だ。
故に、基数が0の陰丸は今までどんなに頑張っても何もできなかったわけだが。
「もう一度聞くけど、本当にできるの?」
「できるに決まっておろうが。昨晩あんなに激しいのを迸らせたくせに何を言っておる」
「その言い方含むところあるからもうするなよ」
黒短剣を水平に構えて、陰丸は目を閉じる。
薄く息を吐く。
「身体強化」
閉じていた目を開くと、視界が随分と広がったような気がした。
無理やり付けられていた曇りガラスを外されたような、そんな感覚だ。深夜にもかかわらず明暗がくっきりと分かれ、視界の端の情報まで均等に入ってくる。注視すれば風の流れすら分かりそうだった。
きょろきょろと周りを見る陰丸をレイラがせっつく。
「ほれ、動け。とにもかくにも、まずは強化の感覚を覚えるのじゃ」
「わかってるよ」
「気を付けろよ。油断していると急加速して森に突っ込むぞ」
「いや、さすがにそこまでは……」
小さく笑って、ふくらはぎに力を入れる。足の指で地面を掴み、とん、と跳ぶつもりで前に出る。
直後、全身を猛烈な風が叩いて、陰丸は思わず両腕を体の前で交差した。それがよくなかった。
「うわっ」
移動中に急に動いたせいで重心がずれ、ごろんごろんとトラックを転がる。
仰向けに寝転がった陰丸に、レイラが呆れた声を出した。
「……無様じゃの」
「うるさいな、初めてなんてこんなもんだろ」
「じゃが、身体強化は問題なくかかっているようじゃの。素体のまま今の速度ですっ転んでいたら紅葉おろしのようになっておったじゃろうが、傷一つない」
言われて、陰丸は後ろを振り向く。先ほどまで自分が立っていた場所から、ここまでおおよそ50メートルぐらい。
途中でバランスを崩して、これか。
再び立ち上がり、今度は慎重に歩を踏み出す。体を打つ風にはしばらく慣れそうにないが、なんとか元の場所に戻る。
初期位置まで戻って、陰丸は夜闇に浮かぶレイラに言う。
「黒剣になってくれ」
「あいよ」
ぐにゃぐにゃと、生物的な動きで黒短剣が伸びていき、二メートルを超す黒剣になる。
―――武器が持ち主の性能を引き上げるなんてことは、ないはずだけど。
武器の使用にだって『残機』は消費する。
もちろんそれを上回る旨味があるから退魔士は武器を持つわけだが、その旨味は自己強化とは全く別の話だ。
ただ、レイラは今朝がた『黒短剣になると出力は1/100に落ちる』と言っていて、それが少し気になっていた。
「さて……どうなるか」
すう、と深呼吸をして、覚悟を決めた。
全力全開の誘魔剣を持ったまま、一歩を踏み出す。
◇
結論から言うと、陰丸は後悔していた。
軽く踏み出したはずの一歩で、1キロトラックを余裕で突き抜けて、周囲の森に突っ込んでいた。
挙句に数本の木をへし折ってようやく停止した陰丸は、ずるずると重力に従い地面に寝そべって、ごろんと仰向けになる。
「これは……」
「すごいじゃろ、すごいじゃろ? まさか本当に木に激突するとは思わんかったがの」
「まあ、すごいけどさ……」
予想以上ではあったが、正直に言うと論外だった。明らかに現状の陰丸に扱える代物ではない。
これだけ派手に激突しても傷一つないことに感心しつつ、陰丸は立ち上がって伸びをした。
「さて、一応最大出力もわかったし、短剣に戻ってくれ」
「なんじゃ。なんとか決闘は短剣でやるのか」
「というか、学園で黒剣は出さないよ。身体強化はろくに使える気がしないし、昨日みたいなのを撃ったら学園が更地になる。ひとまずは、短剣での身体強化に慣れるのが目標かな」
がさがさと森から出る。そして陰丸は、顔をひきつらせた。
トラックに、人がいた。
国守の隊服に身を包んだすらりとした体躯に、陰丸の黒剣と同じぐらいの刃当たりを持つ大太刀。腰まである長い黒髪は後ろで束ねられていて、涼しげな顔がよく見えた。
「姉貴……」
「久しぶり、陰丸」
月城家次期当主にして、当代最強。
月城夜子が、そこにいた。
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