第45話:魔王のダンジョン・クリエイト(4)
「――お気づきに、なられたのね」
酷く淫蕩な女の声が、仄暗い暗闇に染み渡った。
女は、椅子に座ったまま、足置きの上で足を組み替えた。乱れたドレスの裾を撫でて伸ばしていく中、彼女の目は陶然と細められている。自分が足で踏みつけている人間のことなど眼中にない。
当たり前である。
恋しい相手を思う女が、家具に注意を払うわけがない。
一本の燭台の上で、部屋で唯一の灯りが頼りなく揺れる。その灯りによって照らし出される室内の調度は煌びやかで、この部屋の主には一定の権力があることを物語っていた。
もっとも、その権力者も彼女の足元に転がるその他大勢に過ぎないが。
「今代の魔王さまは、いささか注意が散漫なのですね。わたくしが城内に潜んでいた可能性を思い付かないなんて……」
女――アシッドは、悩ましげにうなる。
まさか、自分が城内に隠れていたことに気づかないなんて、考えていなかった。よしんば隠れていると思わなくとも、周辺の警戒や調査くらい頼むべきではないか。
で、なければ、どうやって自分が天下の王城、その地下牢に侵入したと思ったのだろう?
ここは白銀城塞。さしものアシッドといえども、誰にも悟られることなく門外から街に入り込んで城の内部に入り込むのは、困難だ。
「ああ、けれど。出来が悪い子ほど調教え甲斐があるというものね」
アシッドの目には苛立ちはない。あるのは、情熱だけだ。燃える使命感だけがある。
怠惰で、なにもせず、漫然と過ごすだけだった日常の中に、再び目的が生まれたのだ。そうなっては、もう他のことなんて考えられるわけがない。
「まったく、手の込んだことをするものだね。さすが、〝魔王の教育係〟と呼ばれたこともある女だ」
いつからそこにいたのか。燭台の灯りに、人影がひとつ増えていた。
否。人影しか増えていなかった。
人の影はあるのに、肝心の人間の姿はどこにもない。あるのは、シルクハットを被ったようなシルエットの影法師がひとつだけだ。
声の主は、男か女かも判然としない中性的な声音でアシッドに語りかける。
「キミなら、城を落とすことなんてワケないだろうに。どうしてまた、こんな手の込んだことをするのやら」
「……よくよく、人の逢瀬を邪魔するのが好きみたいね、闇の人」
アシッドの声に、あからさまに嫌悪の感情が乗った。
「本当、自殺でもしたいのかしら」
「それだったら、キミの機嫌が良いとき以外に来てるよ。今じゃないと殺されるから出てきてるのさ。まったく、三〇〇年ぶりに会ったのになにも変わってやしない」
影がおどけて肩をすくめる。
「キミの機嫌が良いときは、魔王さまに対して教育係として辣腕を振るおうとしているときだけだ」
「教育係、とは人聞きの悪い。今なら訂正を許すわよ。そら、繰り返しなさい。
〝魔王の妻〟、と」
「はいはい、どうかお許しを。――魔王、その永遠の妻よ」
大袈裟な脚色に、しかしアシッドは笑みを深めた。
「よろしい。さて、それでは、何故こんなことを、だったかしら。それは勿論、こう答えましょう。
それは、わたくしが魔王の妻だからです。
妻たるもの、夫の道行きを支え、人生を謳歌させるのは使命でしょう。ならばこそ、かの者の成長のためでしたら、ええ、このアシッド、知恵を使って立ち回りますとも!」
両腕を広げて、アシッドが声も高らかに宣言する。熱を孕んだ声と、今にも人を抱き留めんと伸びた細腕。愛の告白のようで、言葉の意味を理解してしまえばおぞましさすら感じる。
「……吾なら逃げ出してるな、そんな妻なら」
思わず、影もうめいてしまったが、アシッドには虫刺されひとつほどの痛痒も与えることはなかった。
恋とは、無敵だ。
「逃げる? 出来るわけがないでしょう。だって、これは運命なのだから。かつて、ある魔王さまは言いました。これを運命の紅い糸と言うのだと。わたくしと魔王さまは運命の紅い糸で結ばれているのです、逃げられるわけがない」
「それを教えてくれた魔王さまって、誰だったの」
「さあ。過去の男なんてどうでもいいでしょう?」
「……まあ、それもそうか」
かつて、など、彼ら魔性の者たちにとってはどうでもいいことだった。
だって、暇潰しに使えなくなった道具に、いったいなんの未練がある?
それが替えの効くものなら尚更だ。使い捨てた鉛筆の、そのひとつひとつに思い入れを持つ者はいない。
「吾としても、キミがキチンと状況を進めてくれるならなにも困らない。これからも、楽しく視聴させてもらうよ。
魔王の堕落劇をね」
人影が、燭台の影に向かって縮んでいき、消えた。
「確認しに来たなんて、相変わらず暇なのね」
わたくしは、こんなにも胸が熱いのに。
今の自分に暇はない。いつでも夢想で胸が熱いのだ。
急かされるまでもなく遂げてみせる。
いつもその日を夢に見ている。
「魔王さま、必ず、貴方さまを王道に堕としてみせます。そして、わたくしを愛してもらいます。
だって――」
だから、こうして愛を囁く練習をする。
「これは、運命なんだもの」
*
兵士が城壁をハンマーでたたき壊すと、鼻の奥にススがこびりついたような錯覚を覚えた。
扉のない部屋を探索に来た俺たちは、兵士を呼ぶと、俺の能力でアタリを着けた壁を破壊させていた。
ボロボロとブロック状にこぼれ落ちる壁を乗り越えて、部隊長である兵士が部下を引き連れて中に入っていく。彼らによる安全確保の合図で、アーリヤも部屋へと足を踏み入れた。
「これは、いったい……こんな空間が、わたしの城内に?」
呆然とした声。
俺も続いて中に入ると、焼け焦げた黒い塊が床に転がっているのが見えた。
丸まっているから焼け落ちた家具かと思ったが、違う。両腕を抱えるように縮み上がった、それは焼死体である。
「……うげ」
サード・アイで部屋を覗き込んでいたときに見たとはいえ、改めて自分の目で目撃すると気分が違う。映画で見た舞台セットを、実際にその場で見ると迫力で圧倒されるように。俺は初めて焼死体という存在に向き合ってしまった。
突然、目の前が遮られる。アーリヤの手だ。
「子供が見るものではありませんわよ。下がっていなさい。
メイド! 主人の行動にくらい目を光らせておくべきではなくて?」
振り返ると、ゼノビアさんは俺の背後に立って辺りを見回していた。
アーリヤに声をかけられて、ようやく俺たちの方に目をやる。
「……ああ、申し訳ありません。配慮が足りませんでした。さあ、魔王さま、こちらへ」
すんなりと言うことを聞いたゼノビアさんが、俺の肩に手を置いた。
そのまま俺を外に押し出そうとするゼノビアさんと入れ違いに、ミレイナが部屋に飛び込んでくる。
「アーリヤ! いまネジローのことを主人って!」
「意図的に読解力を下げて解釈をねじ曲げるのはお止めなさい姉上さま」
にべもなく否定するアーリヤに、ミレイナはチッと舌を打った。
「慌てたら無意識にネジローを認めはじめたんだよ的に誘導して追い詰めようと思ったのに……」
「妹を精神誘導する姉がいます?」
そんな騒がしい姉妹喧嘩を背後に、俺たちは兵士が行き交う廊下へと出た。
廊下の窓際に立って、俺はゼノビアさんを見上げた。
「意外だな、ゼノビアさんがあっさり人の言うこと聞くなんて」
「魔王さまとふたりになりたかったので」
「……なにか気づいた?」
ゼノビアさんが、コクリと頷いた。
「部屋の中にいくつもの焼死体がありましたが、そのどれもにある共通点があります。お気づきになられましたか?」
「いや……ああいうの見るの初めてだし、なにも」
「彼らが抵抗した形跡がありませんでした」
彼女の眉間に皺が寄る。余程のことであるらしい。
「ふつう、火に捲かれた人間はどうすると思いますか?」
「火を消そうとする。手で払うとか、のたうち回るとか」
俺は自分の腕を払ってみたりして、手振りで行動の真似をすると、ゼノビアさんが頷いた。
「ええ、つまり、動き回ります。ですが、あの焼死体は総て。
その場からピクリとも動いていないのです」
「元から死んでて、それが燃やされたってこと?」
例えば、火葬みたいに。遺体を後から燃やしたとか、そう言いたいのだろうか。
しかし、俺の言葉にゼノビアさんは首を振った。
「いいえ。手足の縮み上がった様子からして、彼らは間違いなく、生きた状態で燃やされています」
彼女はこう言いたいのだ。
あの焼死体は全員、生きたまま、全身を焼かれ、死ぬまで一歩も動かなかったのだ、と。
「そんなバカな」
「バカな話です。けれど、私は彼らをそう仕向ける手段を知っています。私にも出来ることですよ」
それはなにを、と訊ねようとしたが、それより先に俺たちにかかる声があった。
「お前ら、そこでなにをしている。怪しげな企みか?」
廊下を行き交っていた兵士の男に咎められたのである。
最近は功績を挙げたとはいえ、まだまだ俺たちのことを疑っている兵士の方が圧倒的多数だ。
そんな環境で、怪事件の直後に密談をしていたら警戒されるのも当然だろう。
お城つきの兵士は、顔の全面を覆う兜ではなく、顔の前面には鼻当てしかないものを被っていた。そのため、疑いの眼差しが直に突き刺さってきた。居心地が悪くなる。まるで職質を受けているようだ。
「ちょうどいいですね。魔王さま、いま先程のことを実践してみましょう」
「へ?」
「お願いの仕方です」
無視される形になった兵士が、眉間に皺を寄せた。
「おい! 話を聞いているのか――」
「これは失礼を。少々、立て込んでいまして……ご無礼、大変申し訳ありません」
ゼノビアさんが、詰め寄ってきた兵士の手に自分の掌を重ねる。
「中のご遺体を見てショックを受けた主を介抱しておりまして……」
そのまま自分の胸元に手を寄せると、すり足で距離を詰めた。
「あ、ああいや、そういうことなら……」
目を泳がせて歯切れの悪くなる男の肩に、ゼノビアさんが片手を置いて体重を乗せる。預けすぎず、ただそこに自身の存在感は確かに感じさせて。
「お手を煩わせてしまって申し訳ありません。ああ、これ以上は職務の邪魔になってしまいますね」
「いえ、こちらこそご無礼を。失礼致します」
兵士はゼノビアさんに一礼すると、周囲の目を気にするように視線を巡らせて足早に去っていった。
「っていうか、今のってさ」
「はい。お願いをしたのです。淫魔ですから」
俺がゼノビアさんを見上げると、先程までの柔和な表情はどこにもなかった。さっきのは幻だったかのように、そこにはいつもの仏頂面がある。
演技――しかし、あの兵士にはそれが判らなかっただろう。
だって、俺にだって判らなかった。
「あの焼死体も、おそらくは動くなとお願いされたのでしょう」
「いやいや、そんな、いくら頼まれたからって……」
「魔王さまは女の怖さを知らないようですね。
お願いされたら、人は願いを叶えてしまいたくなるものですよ。
それこそ、命を削っても」
反論できなかった。仕方がない、今まさにゼノビアさんは容易くやってのけたのだ。警戒心剥きだしの男をひとり、容易く手玉に取るということを。
なので黙り込んでしまった俺を見下ろして……ふっ、とゼノビアさんが微笑した。
「まあ、さすがに冗談半分ですよ。本当は他にもトリックはあります」
「なんでそんな冗談を」
「悪い虫に誑かされないように、です。アーリヤや――アシッドとか」
再び、表情から笑顔が消えた。
「アシッド、あの女は毒物のスペシャリストです。本人の意志に関係なく、躯にお願いするのですよ。意のままに動け、と。そして当然、なにもさせないこともできる。絶対的な強制命令権ですね」
それは、ぞっとしない。アシッドがその気になれば、いくらでも他人を言いなりにできるのだ。
しかも相手は、こちらに気づかれず城内に潜伏できる?
……策略でどうにかなるとは思えない。
「おそらく、この城内にもいるのでしょうね、アシッドの言いなりになる人間は」
「参ったな……。
って、いやちょっと待って。アシッドは毒物で言うことを聞かせていたって、じゃあゼノビアさんはどうやって相手に言うこと聞かせたの?」
「ですから、申し上げたでしょう。私は淫魔です」
さも当然のことを言うのだからと、平然と言ってのける。
「誘惑するのに、言葉以外がいりますか?」
アシッドは毒を必要としたと言うけれど。
貴方の方がよっぽど質が悪いですよね。
ただ喋っているだけで相手を自分にとって都合良く動かせるなんて、そんなのどんな魔法より便利じゃないか。
「でもさぁ、ゼノビアさん」
「なんです?」
「……あんま、そういうの見たくない。禁止」
目を見て言えなくて、思わず逸らした。
演技だと思えなかった。本気にしか見えなかった。だから心底胸が冷えた。
彼女が自分以外のものになるような――違う。そんなんじゃない。そもそも俺のものじゃない。俺のものでいてくれようとしているだけで、彼女は断じて俺のものではない。故にそんな自惚れを覚えてはいない。
そう、ただ、……ひとりの女なのだなぁ。と、そんな当たり前のことを実感して、居心地が悪くなっただけだ。
言ってから、ああ怒られるかなと思った。淫魔という種族を侮辱しているのかと取られるかと思った。
なのに、頭の上にある掌の感触は柔らかいものだった。
「はい、承知しました。では、これからも何かありましたら、そのようにお申し付けください。私は側におりますから」
……むう。
いかん、なんかすごい嬉しい。
これは、なんだろう。俺も淫魔の話術に絡め取られている最中なのだろうか?
ただ応答するのが気恥ずかしくて、頷くだけで返事に変えた。
しまった、なんだこの空気。俺はいったいどうしたら――。
「女王陛下! 女王陛下はおられますか!」
そんな不安は、廊下を駆けてきた兵士によって打ち払われた。
重たい甲冑を打ち鳴らしながら現れた兵士の大音声に、アーリヤが扉のない部屋から姿を表す。
「そんなに慌ててどうしたのですか。その様子、火急の用と見受けましたが」
アーリヤの反応は迅速で、肩で息をしている兵士も慌ててその場に片膝をついた。
「はっ、申し上げます! 食料庫に、火が放たれました!」
「なんですって!? 被害は!?」
「半焼程度で消し止められましたが……その、下手人が問題でして」
兵士の顔が上がり、俺と目があった。
……あれ?
俺のことを見てないか?
「それでその、現場の兵がこう証言しています。
子供が、火種を放ったと」
周囲の兵士が、一斉に俺を振り返る。
「犯人は、魔王の少年であるとのことです!」
「――――へっ?」
いつの間にか、俺は放火犯に仕立て上げられていた。
さっそく、ゼノビアさんの言っていたことを思い出す。
アシッドには、人を操る力がある。
つまり、こうして――
――俺を簡単に、事実無根の罪で、追い詰めることができるのだ。




