第2話 付かず離れず
「伊織くーん!この後、空いてたりしない?」
ふいに甘ったるい声がして、伊織の背後から派手な身なりの女の子がひょっこりと顔を出した。
先週、駅前で伊織と一緒に歩いていたのとは、また別の女の子だ。
「んー、ごめん。今日はこいつらといるから、また今度ね」
伊織は少しも悪びれる様子なく、ひらりと手を振って適当にあしらう。
断られた女の子は「えー、残念」と口をとがらせつつも、手を振り返してすぐに去っていった。
「伊織さ…その…恨まれたりしない?大丈夫……?」
葵がミルクティーの缶をぎゅっと両手で包みながら、心配そうに眉を下げる。
「大丈夫だよ。上手くやってるから」
「でも……」
「そんなことより。ほら、みて葵。お前の好きなやつ、限定で出てるよ」
伊織はスマホの画面を葵に向け、手際よく話題を切り替える。
画面を覗き込んだ葵が「あ、本当だ」とぱっと表情を明るくするのを、伊織は満足げに目を細めて眺めていた。
その横顔は、さっき女の子をあしらっていた時とはまるで違う。
(……ほんと、よくわかんねえ奴)
葵と伊織とは、この高校に入ってからの付き合いで、かれこれ一年半はこうして一緒にいる。
俺が葵への想いを密かに募らせるには十分すぎる月日だったが、その一方で、伊織という男への理解が深まることはついぞなかった。
もっとも、それは当たり前のことだ。
俺も伊織も、お互いに対してまるで興味がないのだから。
ただ、だからといって別に嫌っているわけではない。
向こうがどう思っているかは知らないし――いや、普段の素振りを見れば、俺のことなど空気くらいにしか思っていないのは確実だろうけれど。
それでも俺の方は、こうして同じ時間を過ごすうちに、あいつのことをそれなりに『友達』だとは思っていた。
次から次へと女の子を取り替え、甘い言葉を軽薄に振りまくチャラい男。
けれど、葵が少しでも困っていれば誰よりも早くその異変に気づいて手を差し伸べるし、その扱いはまるで壊れ物にでも触れるかのように、どうしようもなく丁寧で慈しみに満ちている。
あの献身的な態度を見る限り、伊織もきっと、根は優しい奴なのだろうと思う。
葵という共通の接点がなければ、俺たちは一生言葉を交わすことすらなかったはずだ。
だから、きっとこれからも俺と伊織の距離がこれ以上縮まることはないだろうし、お互いの領域に踏み込むこともない。
それでいい。
この付かず離れずの希薄な関係こそが、俺たちにとって1番ちょうどいいはずなのだから――。
◇
数日後の、昼休み。
特別教室棟へと続く人けの少ない渡り廊下で、ふと見慣れた色素の薄い金髪が視界に入った。
伊織だ。
冷たい日差しが差し込む窓際で、壁に気怠げに背を預け、向かい合う女子生徒の顔を上から覗き込むようにして話しかけている。
またいつもの気まぐれな女遊びか――そう思って素通りしようとした俺は、相手の横顔を目にして思わず足を止めた。
(……嶋坂さん?)
そこにいたのは、同じ学年の嶋坂みゆりだった。
普段の伊織が好んで連れているような華やかで派手なタイプとは対極にいる、真面目でどこか落ち着いた雰囲気の女の子だ。
「ねえ、本当に放課後も空いてないの? 少しだけでいいからさ、どこか寄って帰ろうよ」
「あ、あの、葛町くん……ごめんなさい、今日は本当に予定があって……」
伊織が一歩分の距離をわざとらしく詰め、鼓膜をくすぐるような甘い声でからかうように笑いかける。
対する嶋坂さんは、困り果てたように長い睫毛を伏せ、逃げるように小さく後ずさっていた。
どう見ても、伊織が一方的にちょっかいをかけて相手を困惑させている図にしか見えない。
(珍しいな。あいつが、ああいう大人しいタイプの子に自分からいくなんて)
いつもの伊織なら、向こうからすり寄ってくる好意を適当に受け流しつつ、ノリのいい女の子ばかりを相手にしているはずだ。
それなのに、わざわざ自分からしつこく食い下がり、困らせるような真似をしてまで距離を詰めようとするなんて。
(もしかして……嶋坂さんが『本命』だったりするのか?)
本命が相手だからこそ余裕を失って、小学生みたいに意地悪な絡み方しかできないのだろうか。
だとしたら随分と不器用なアプローチだが――さすがに、目の前で女の子があそこまで困り果てているのを、このまま見過ごすわけにもいかない。
「――おーい、伊織!こんなとこにいたのかよ」
俺はわざと足音を大きく響かせながら、持ち前の明るい声で二人の間に割って入った。
ビクッと肩を揺らした嶋坂さんが、まるで救世主でも見るかのようにパッと俺へと顔を向ける。
「悪いな嶋坂さん、こいつにちょっと急ぎの用があるんだわ。……ほら伊織、早く行くぞ、もう予鈴鳴るって」
「え……あ、うん、じゃあ私、これで……!失礼しますっ」
俺が作った逃げ道に飛びつくようにして、嶋坂さんは小さく頭を下げると、小走りでそそくさとその場を立ち去っていった。
「……ふぅ。お前なあ、いくら気になる子だからって、あんな風に困らせるのは良くないと思うぞ?」
遠ざかっていく彼女の背中を見送りながら、俺が苦笑混じりに肩をすくめて振り返ると――。
「……は?何、今の」
壁に背を預けたままの伊織が、先ほどまでの甘い笑顔など微塵も残っていない、氷のように冷え切った瞳で俺を睨みつけていた。
「余計な真似しないでくれる?俺が誰とどう話そうと、絢人には関係ないでしょ」
吐き捨てるような低い声に、思わず言葉が詰まる。
そのまま伊織は、俺の肩にわざとぶつかるようにして横を通り過ぎ、足早に渡り廊下を去っていった。
(……なんだよ、せっかくフォローしてやったつもりだったのに)
もしかして、本命へのアプローチを邪魔されて本気で機嫌を損ねたのだろうか。
少しの違和感と後味の悪さを覚えつつも、俺は小さく息を吐き、誰もいなくなった渡り廊下で一人頭を掻いた。




