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白龍と金の鳥籠  作者: 茗子


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第2話 精霊の癒やしと、誠実な騎士

雲海にそびえ立つ、白亜の城。

 人外の領域である『龍宮』に連れてこられた私は、目を覚ますなり、身の回りの世話をしてくれようとした竜の侍女たちに頭を下げた。

「どうか、私にも仕事をさせてください」

 魔力を持たない私には、労働で返すしか存在価値がない。何もせずに保護されるなど、いつかまたあの冷たい泥の中へ捨てられるのではないかと恐ろしかった。

 侍女たちは突然の人間の懇願に困惑していたが、私の必死の訴えに折れ、銀食器の修繕や、来客用サロンの清掃といった裏方の仕事を少しだけ任せてくれるようになった。

「おや。君はまた、そんな退屈なことをしているのかい」

 誰もいないサロンの片隅で、私が真鍮の花瓶を磨いていると、ふわりと甘い香りが鼻先をかすめた。

 振り返ると、そこには美しい長椅子に深く腰掛け、長い足を優雅に組んでいるルシアン様の姿があった。

 彼は雌竜たちからの熱烈な茶会の誘いを「面倒だねぇ」とすべてすっぽかし、わざわざ下働きである私の作業スペースにフラリと現れては、こうして長居をしていく。

「ルシアン様。申し訳ありません、私の作業が目障りでしたら別の場所へ――」

「いや、いいよ。そのまま続けておくれ」

 ルシアン様は気怠げに頬杖をつき、私の手元を不思議そうに眺めた。

「世界のすべてが色褪せて見える俺にとって、君の傍だけは、なぜだかひどく心地が良い。君の淹れる茶も、不思議と喉に引っかからなくてねぇ。……ふふ、面白い生き物を拾ったものだ」

 彼は私のことを「お気に入り」として扱ってくれているようだったが、そこに執着や熱情はない。ただ、暇つぶしの玩具を眺めるような、大人の余裕と無関心が同居した瞳だった。

 そんなある日のこと、サロンの飾り棚を丁寧に拭き上げていると、一人の青年竜と出会った。

 銀色の髪を持った気品あるその青年は、龍宮でも屈指の名門貴族の嫡男であり、近衛騎士を務めるシオン殿だった。

「おや、珍しい。人間の令嬢がこのような場所で働いているとは」

 シオン殿は最初、不思議そうに私を見ていた。しかし、私が毎日黙々と、それでいて公爵令嬢としての最低限の礼節を崩さずに清掃や茶の準備をこなす姿を見るうちに、彼が巡回の折にサロンを通りかかるたび、徐々に声をかけてくれるようになった。

「メルティア殿、今日も熱心ですね。あなたが手を入れた後の部屋は、空気が澄んでいて心身の疲れが安らぐようだ」

「滅相もございません。シオン殿、お仕事中にお引き留めしてしまい申し訳ありません」

「いや、あなたの丁寧な仕事ぶりにはいつも感銘を受けている。どんな境遇にあっても誇りを失わないあなたの姿を見ていると、こちらの背筋まで伸びる思いだ」

 シオン殿はとても誠実で、魔力のない人間である私に対しても、一人の対等な存在として優しく言葉を交わしてくれた。冷遇しか知らなかった私にとって、彼のその真っ直ぐな敬意は、とても温かく感じられた。

 ――そんな、彼との穏やかな交流が始まってしばらく経った日のことだった。

 その日は、シオン殿のご両親である名門貴族の当主夫妻が、龍宮へ正式な挨拶に訪れていた。私が来客用の茶を淹れるためにサロンの控え室で準備をしていると、突如として、壁の向こうから悲痛な叫び声が上がった。

「母上! しっかりなさってください、母上……っ!」

 驚いてサロンへ駆けつけると、シオン殿が、長椅子に倒れ伏した中年の女性を抱き抱えて叫んでいた。その傍らには、彼の父親である屈強な当主も膝をつき、顔面を蒼白にしている。

 シオン殿の母親が、過去の戦いで受けた古い呪いを突如として暴走させ、顔を土気色にして苦しそうに喘いでいたのだ。

「誰か、治癒の魔法を! 頼む、妻を助けてくれ……っ!」

 父親の悲痛な叫びに、龍宮が誇る高名な治癒士たちが次々とサロンへ駆け込み、強力な治癒魔法をかける。

 しかし、母親の体を蝕む黒い痣は魔法をことごとく跳ね返し、みるみるうちに全身へと広がっていく。

「……駄目です。呪いが深すぎる。我々の魔力では、もう手遅れだ……」

 治癒士たちが次々と首を横に振り、絶望の宣告を下す。

 その言葉に、当主である父親が床に膝から崩れ落ち、愛する妻の冷たくなっていく手を握りしめて慟哭した。

「おお……なんということだ。私の命に代えても構わん、どうか妻を助けてくれ……っ!」

「母上、そんな……!」

 誰の目にも、彼女の命の灯火が消え去るのは明白だった。

 皆が成す術もなく諦め、重く沈痛な空気がサロンを支配する。

 その絶望の光景を目にした瞬間。私は無意識のうちに駆け出していた。

 私に治癒の魔法なんて使えない。それでも、皆が諦めて命が消えようとしているのを、ただ見過ごすことなどできなかった。

「あ、あの……っ」

 私は弾かれたように母親の傍に膝をつき、震える両手で、黒い痣に覆われた彼女の腕をそっと包み込んだ。

「危険だ、素人が触れるな!」と治癒士が制止の声を上げた、その瞬間。

 ――私の手のひらから、淡く温かい、真珠のような光が溢れ出した。

「な……これは……!?」

 シオン殿と父親が驚愕に目を見開く。

 その光は魔力とは全く異なる、大自然の息吹そのもののような清らかな力だった。人間界では測定する術すらなく、無能の烙印を押されていた私の本当の力――規格外の『精霊力』による癒やしの力。

 温かな光が体を包み込むと、母親を苦しめていたどす黒い呪いは、まるで春の雪解けのようにスゥッと溶けて消え去っていった。

「あ、あぁ……痛みが、嘘のように……」

「おおお……! 奇跡だ、なんという奇跡だ……っ!」

 完全に血色を取り戻した母親を抱きしめ、父親は涙を流しながら私の前で深く、深く頭を下げた。

「メルティア殿。貴女は女神か……! 我が一族の大恩人だ、この御恩は生涯忘れない!」

 名門貴族の当主が、ただの人間の下働きである私に向かって、額を床に擦りつけるようにして感謝を述べる。

 そしてシオン殿もまた、震える手で私の両手を恭しく包み込んだ。

 元々抱いていた好感は、この決定的な出来事によって、一瞬にして激しい熱情へと変わったようだった。彼の瞳には、はっきりとした熱い恋心が宿っていた。

「あなたは、こんな所で下働きなどするべき方ではない。あなたの気高さと優しさは、もっと尊ばれ、大切にされるべきだ。……どうか、私にあなたを守らせてはいただけませんか」

 それは、実直な貴族の騎士からの、あまりにも熱烈で真っ直ぐな求愛だった。

 私はあまりの急展開に戸惑い、どう返事をしていいか分からずに固まってしまう。

 ――その時。

 騒ぎを聞きつけてふらりと現れ、少し離れた扉の柱に背を預けて気怠げに成り行きを眺めていたルシアン様の瞳孔が、爬虫類のようにスッと縦に細まった。

 常に浮かべていた優雅な微笑みはそのままに。けれど、その底知れないエメラルドの瞳の奥に、彼自身すらまだ気づいていない、ひどく冷たくて重い『苛立ち』の炎が、チリリと音を立てて燃え上がっていた。


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