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ココロのトバリ  作者: サザンク
最終話 闇の帳/傷跡二人

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98/100

◇11 空骸黑

◇11


 右肩が痛い。

「……」

 痛い……なんてもんじゃない。

 皮膚は左右に裂けて、奥が見えている。ちょっとでも身じろぎして、空気の揺らぎにそこが触れる度、鎖骨の裏にまで激痛が走る。だから、呼吸はゆっくりとしなきゃいけなかった。

 白い光を纏わせた杖の先を、傷口に近づけると、裂けた肉が内側から引き寄せられて、少しだけくっつく。糸を使わずに縫合するようなものだから、簡単にはいかない。その間も右の指先は痺れていて、ずっと感覚がなかった。

「っ、づ……!」

 叫びそうになるのを、奥歯をぐっと噛んで堪える。

 額を伝った汗が顎から落ちるのは、何度目だろう。いつのまにか、床には染みが広がっている。それだけの長い時間を使って、あたしは治癒魔術を使っていた。

 拠点にしていた廃ホテルは、織草帷が結界を壊したので使えなくなってしまった。なので、今は別の場所に拠点を構えている。元々は塾だか自転車屋だったらしいけど、あたしにはどうでもいい。何にせよ、廃墟には変わらないし、どこにいるよりも、こっちの方がよかった。

 身体の中身が照らされる度、あいつの——織草帷の顔が浮かぶ。そして、あの時を思い出すと、寒くもないのに全身が震える。

 

『——あああああああああああ!!!!!』

 

 目の前で雷が落ちたような叫びだった。魔術で耳を撃っても止まらず、流れ出た血の力であたしの肩を削いできた。勢いは止まらず……斐上さんが横からふっ飛ばさなかったら、きっと……あのまま殺されていた。

「……っぁ……」

 痛い。

 熱い。

 ……怖い。

 傷の縁が、脈拍に合わせて熱を発している。

 こんなのを食らって動くなんて、やっぱり正気じゃない。

 今も……〝体育館で戦った時も〟……そう思う。

 織草帷。

 あの女は……おかしい。

 腹を、腕を、脚を……身体中を穴だらけにするほど撃った。それなのに——皮膚が削れても、血が吹き出ても、構わず踏み込んできた。

 恐ろしかった。

 治ることが……じゃない。

 あいつが……〝ちゃんと痛がってた〟ことが……だ。

 悲鳴をあげて、顔を歪めて——泣きそうになりながら、それでもあたしを倒そうとした。

「……なんで」

 巫女の力で不死身になっても、痛みを消せるわけじゃない……らしい。だから、帷は、これまでだって、あたしが負った何倍もの痛みを抱えながら、ずっと化心と戦ってきた……そういうことになる。

「……なんなんだよ……っ、……」

 つこうとした悪態が、痛みのせいで途切れた。

 痛い。

 痛い。

 痛い。

 同じ感覚が、リピートされ続ける。

 痛いのは嫌だ。

 苦しいのも嫌だ。

 誰だって、そうに決まっている。

 なのに、そのはずなのに、あいつは————

 

 こつ、と。

 廊下から、足音がした。

 肩が大きく跳ねて、杖が指から滑り落ちそうになる。

 こつ、こつ。

 一定の間隔で近づいてきたその音は、閉じられた扉の前で止まった。

 軋む音。

「——傷はまだ深いようだな、黑」

 ドアを押して現れた男は、あたしのよく知る人だった。

「斐上……さん」

 名前を呼んだら、詰まった息が抜けるようだった。

 二人になるだけで、ただの埃臭い部屋でも、立派な〝砦〟に変わったような気さえする。

 そんな意味のわからないこと、わかって貰えるわけがないから、あたしの中であたしにしか言わないけど。

「……! その怪我っ!」

 斐上さんの肩口から胸にかけて、裂けたような跡があった。薄く鋭いものが通ったような断ち方。ジャケットの内側から滲んだ血が、生地を染めて黒い染みを広げているのがわかった。

「座ってて、すぐに治すから」

 杖を握り直して立ち上がる。響いた痛みは、どうでもよかった。

「必要ない、既に塞いでいる」

 斐上さんはそのまま、あたしの横を通り過ぎていく。足取りはいつも通り、歩幅も速さも、まるで怪我なんてしてないかのようだった。彼の言う通り、とっくに処置は済ませているんだろう。

 埃が薄く積もった机の前まで移動して、足を止める。

 そして、左手に持っていたものを——〝透明な箱〟のようなものを置いた。

 あたしからは遠くに置かれたそれがなんなのか、初めはよくわからなかった。よくわからないので、腕を動かさないようにしながら、ゆっくりと近づく。

 ガラスかアクリルのような四角い箱、その中にぴったりと収まるように、赤黒い物体が入っている。中には同じく透明な液体が詰められているのか、置かれた時に輪郭が揺れていた。

「……」

 やがて揺れが落ち着き、それの姿がはっきりと見え始め————どくり、と。

 〝脈打った〟。

「……!」

 心臓だ。

 人の、心臓だった。

 塊から伸びる管は、どこにも繋がっていない。それなのに、小さなそれは、規則正しく脈を打っている。その度に、液面が細かく震えて、箱の縁に小さな波が走っていた。

 あたしは、それを見たことはない。

 けれど、何なのかは知っている。

 きっと、それは————

「織草……帷、の」

 名前が零れた。

 ……いや。

 正確には、それが彼女のものじゃないことも、知っている。

 千年前にいた花の巫女、織草筺花のものだ。

「…………」

 どく。

 どく。

 どく。

 脈はゆっくりと、けれども確かに動いていた。眠っている時の心音のように、規則正しく、途切れない。

 身体から離れた心臓が、一人でに鼓動を繰り返す。

 ……〝生きていた〟。

 あり得ない光景を、あたしは見ている。

 説明のできない気持ち悪さを——たとえば、頭や四肢を捥いでも動いている虫を見ているような、そんな気分。ただそこにあるというだけで、どうにかなりそうだ。

 けれども——と、気づく。

 こっちが生きていたところで、これが入っていた〝もの〟は——どうなったのか、と。

「あいつは……」

 声が掠れる。

「帷は……死んだの」

 斐上さんは答えなかった。

 ただ、箱をじっと見つめているだけ。

 その様子を見て、自分はなんて馬鹿なことを訊いたんだと思った。

「そ、そうだよね! 心臓ないのに、生きてるわけないか。あいつがヤバいのは全部、心臓(それ)のせいなんだし」

 斐上さんはやっぱり何も言わない。

 ジャケットを軽く治しただけだった。

 いつもと同じだ。この人は、あたしの言うことに一つ一つ答えたりなんてしない。必要なことだけを、必要な分だけ、伝えるだけだ。むしろ、いつも通りに無視されることで、悪いことは何も起きていないんだと、安心できる。

「二時間後だ」ふいに、斐上さんが言った。「それまでに治しておけ」

「は……はいっ」

 背筋が伸びる。

 右の肩が、じくりと灼けた。

 斐上さんがようやく、こっちを見てくれた。怒っているとか、心配するとかではない、ただあたしがここにいることを確かめるだけの目線。こう見られるのは、嫌いじゃなかった。

「俺は……少し休む」

 それだけ言うと、彼は近くの椅子に腰を下ろして、目を閉じた。背もたれが一度大きく軋む音がして、それきり動かなくなった。

「…………ぁ」

 寝てるとこ、初めて見たかも。

 あの怪我は、帷から心臓を奪うときに負ったものだろう。治っているとは言っても、浅かったとは思えない。だから、疲れて休むのは何も不思議じゃない。それなのに、椅子に沈んだその姿を、あたしはじっと見つめてしまった。

 そっと息を吐いて、さっきまで座っていた席まで歩く。起こさないように……ずっと〝そうして〟生きてきたから、物音を立てないように歩くのは、慣れていた。

 窓の無い部屋に、剥き出しの配線が這っている。聞こえるのは、水滴が落ちる音と、蛍光灯が点滅する音、そして——規則正しく、鳴る心音。

 静かだった。

「——ああ」

 声が掠れる。

 胸と喉に何かがつかえて、息が詰まったみたいだ。飲み込むこともできないその何かが、あたしの中に留まっている。

 ……イラついてる?

 かもしれない。

 肩を抉られて、まだ痛くて、なのにあいつはいなくて、だから————ううん、

 違う。

 織草帷はもういない。斐上さんが、あたしの代わりにやっつけてくれた。だからもう、怖がる理由も、悔しがる理由もない。

 ……嬉しい?

 そのはずだ。心臓も手に入った。ずっと進めていた計画が、最後の段階に入ったんだから、それは嬉しいことだし、喜ばないといけない。

 でも……なぜか笑えない。

 口の端は、上がらない。

 この感情を言葉にしたその途端に、それが全部誤魔化したものになるような気がする。

 あたしは、いま、何を考えているんだろう。

 自分のことのくせに、そんな簡単なことが、わからない。

「…………」

 わからないまま、あたしの目だけは、箱から動かせないでいた。

 どく。

 どく。

 どく。

 あんなものを、何の関係もない人間に入れる。

 斐上さんが真相を言うまで、帷は何も知らなかった。何も知らないまま殺されて、何も知らないまま心臓を入れ替えられて、何も知らないまま戦って、そして今度こそ————殺された。

 初めは織草鏡花の都合で、そして終わりは——斐上弦慈の都合のために。あたしと……たぶん同じ年くらいの子が、大人の目的に振り回されて……〝使われた〟。

「…………っ」

 指先が冷たい。

 なんであたしは……〝怒っている〟んだろう。

 もっと喜ばなきゃいけないのに、なんであいつの側に立って、自分だったらどう思うか、なんて考えてるんだろう。

 織草帷は敵で、あたしは斐上さんの————。

「いった……!」

 痛みを思い出したせいで、考えが全部吹き飛んだ。

 なぜだか、ホッとした。

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