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ココロのトバリ  作者: サザンク
最終話 闇の帳/傷跡二人

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◇6

◇6


 パァン――。

 

 男子高校生の〝身体〟が床に倒れる寸前に、同じ音がした。

 通路を挟んで斜め向かい、トートバッグを膝に乗せた女が、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。バッグから落ちた財布が、広がり続ける血だまりの中を転がった。

 わたしたちを含めて、乗客の数は二十七人。

 たった数秒で、生存者は二十五人になった。

「嘘……」

 わたしは大人しくしていた。

 新たに乗車する客を妨害するのもやめた。

 だって、人質とはそういうものだから。

 身の安全を保証されることと引き換えに、相手に従う……そういうものだと思っていたからだ。

 たしかに、斐上から何か条件が提示されたわけじゃない。

 座っていれば、誰も殺さないと約束されたわけじゃない。

 けれども、だとしたら。

 どうやっても殺されてしまうなら。

 わたしは、何のために――――!

「おまえはァッ!」

 顔を失った二つの死体。

 凄惨な光景が広がっているのに、悲鳴すら聞こえない。

 車内は不気味なほど静まり返っている。

 撃たれた者も、撃たれなかった者も、何が起きているのか、把握する術を剥ぎ取られているのだ。

 座席を蹴り、一直線に駆ける。

 武器はない。折れた剣鉈は、たぶん処分されている。今できるのは、杖を持った腕めがけて、闇雲に突っ込むことだけだ。その後どうすればいいかは、何も考えていなかった。

「〈二度と還らぬ砂の城(リグレット)〉」

 が、

「……!?」

 わたしの攻撃は、斐上に届かなかった。

 伝わったのは、硬質な――岩盤を叩いたような衝撃。

 しかし、目の前には何もない。

 遮る壁も、守る盾も、存在しない。

 透明な空間の前に、わたしは立ち尽くしていた。

「これは……っ」

「理解してみろ、できるものならな――〈二度と還らぬ砂の城(リグレット)〉」

 即座に再び〝言葉〟が唱えられる。

 わたしの首から左頬にかけて赤い線が浮かんだ。

「――うっ!?」

 線から、血が吹き出す。

 カミソリのような刃が、肌を切り裂いたような感じだ。

 ――見えない。

 どこに壁があり、どこに刃があるか、わからない……!

「〈二度と還らぬ砂の城(リグレット)〉」

 再び同じ言葉。

 また不可視の刃か――と、警戒で強張った身体は、

「わっ……!?」

 今度は途端に……〝滑った〟。

 踏み込んでた右足が、まるで氷の上を撫でたように、地面を掴む手応えを失った。

 腰と肩が地面にぶつかる。

 受け身はなぜかとれなかった。

 しかし、そんなことは些末な問題だった。

 ――これから〝起こる〟ことからしたら。

「あっ……、な……!?」

 衝撃を受けた身体が……〝止まらない〟。

 電車の床に触れたわたしの身体が、勢いよく車体後方へとスライドした。

「――――!」

 止まれない!

 転んだのに!

 滑り続けている!

 そうして車両の扉に激突するまで、わたしは無様に回転し続けた。床を掴もうとしても、指は虚空を掻くだけだった。

「…………ぅぐ」

 ぶつかることで滑走が止まったものの、上下左右がわからず、咽せ返るような自分の血の匂いで、吐きそうだった。

 慎重に、扉に手をつたって立ち上がる。

 切られた傷はもう治っているし、打撲もすぐに消える。

 撃たれたところで、動けなくなることはない。

 ただし……。

「……この、デザイアは…………」

 斐上がさっきから唱えているのは、空骸や七凪が使うのと同じ、デザイアの名だ。魔術師としてのアイデンティティとなる能力。発動する度に、不可思議なことが起き、わたしを追い詰めている。

 だが、その能力の正体がはっきりしない。

 不可視の壁と刃は、たとえば空気を操作しているものだと仮定する。しかしその場合、地面が滑るようになった理由が不明だ。

「滑る理由は……〝摩擦〟が――――」

 考える暇もなく、今度は〝何か〟が飛んでくる。

 凄まじい速度の飛来物、咄嗟に身を屈めて躱した。

 

 ぶちゃっ。

 

 自分の真上で変な音がした。

 恐る恐る、上を見る。


「……え」

 見るんじゃなかった。

 

 叩きつけられ、ひしゃげた〝何か〟から、赤黒いものが流れ、わたしの髪と服に垂れていた。

 ……〝人間〟だ。

 潰れた人間から漏れたドロドロの液体が、わたしの視界を染めていた。

 斐上は、人間を、投擲したのだ。

 そして……勢いよくぶつかったせいで、〝それ〟は金属のドアと接着されて、もはや原型を留めていなかった。

「……あ、うわあああああッ!」

 鉄錆の臭いと、正体のわからない酸鼻を極める臭いを纏い、ひたすら斐上の方へ走る。

「それでいい」

 斐上の低い声が響く。

 この地獄において、彼は何も変わらなかった。

 がむしゃらに床を蹴った。

 床は元通りになっていた。摩擦がある、地面を足で掴める。体液で塞がれた視界を無理矢理拭って、彼に肉薄しようと駆ける。その間、なぜ床が元通りになったのかも、能力のことも、近づけるようになった事実そのものが斐上の罠かもしれないということも、考えることができなくなっていた。

 斐上が杖を挙げる。

 その先端は、わたしの方に〝向いていない〟。

 またしても、乗客の一人を指していた。

「やめろ……ッ!」

 走って叩き落とす間はない。

 だから、手を伸ばした。

 杖の射線上、進路を妨害するように。

 せめてもの抵抗――――だが、

 それもまた、無駄に終わる。

「――――」

 肌が焼けた。

 肉が裂けた。

 魔術の光が、わたしの掌と甲を――貫通した。

 すぐ隣で、倒れる音が、した。

 震える自分の右手を見る。

 真ん中に作られた正円は、滞りなく再生を始め、塞がろうとしていた。

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