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車内は相変わらず、不規則に揺れていた。
デコボコの道路でなく、整備された真っ直ぐな線路であっても、様々な要因によって――〝揺れ〟は発生する。
例えば、列車がレール間にある熱による伸縮を逃がすための〝繋ぎ目〟や、線路を切り替える〝ポイント〟を通過するから。
例えば、カーブをスムーズに曲がるため車輪に付けられた〝踏面勾配〟という傾きが、振幅を繰り返すから。
そういった要因で……揺れる。
人生は道だと言う人がいる。
線路だと言う人もいる。
先のわかっている安定した人生を『レールが敷かれたようだ』と表現することもある。
けれど……たとえレールが敷かれていたとしても、そこに〝何か〟があれば、列車は揺れるのだ。
揺れるだけならいい。
辿り着くことに変わりはないのだから。
大した問題じゃない。
……だけど、もし、
もしも、その〝何か〟が……誰かの置いた〝置き石〟だとしたら……。
「どうして、雲坂寧音さんを巻き込んだんですか」
斐上の目を見ずに、俯いたまま問う。
膝の上の拳は、握られたままだ。
寧音の人生は、二度揺れた。
交通事故に遭った時と、化心の本体にされた時。
彼女の線路に、大きな石を置いた者がいた。
だからこそ、当事者を前にして、問いたださない選択肢はない。
「化心を生むための〝感情の境目〟が、どこにあるのかを知るためだ。生きているが意識はない状態で、化心を生み出すことはできるのか……それを確かめるために、俺は雲坂寧音を実験台にした」
問いに対して、斐上は淀みなく即答した。
即答できたということは、既に確固たる答えがあったということだ。
「生きている人間から化心が発生する、これは当然だ。そして――俺たちの仕業なのは承知しているはずだが――死んだ人間からも化心が発生し得ることは、廃ホテルの支配人の件で実証できた。ただし、同じような条件で何度かやってみたが、支配人のケース以外で死人の化心を引き出すことはできなかった。よって、これは再現性が低いと判断した。そのため、どこまで生命活動できていれば化心の本体になれるのかを調べる必要が出てきた。それが、昏睡状態の彼女に目をつけた理由だ」
「寧音さんが選ばれたのは、たまたまだったと?」
「そうだ。同じ条件なら、あの少女でなくても問題なかった」
脳に熱が通る。
握った手が震えているのは、揺れのせいではなかった。
斐上の答えには、少しの心苦しさも、嘲りも感じられない。誰にでもわかる数式をわざわざ解説するように、平坦かつ冷徹だった。
「……化心が現れれば、人の命が脅かされます」
「ああ。だからこそ、すべての化心を消滅させなければならない。この先二度と、化心による被害が生まれないためにな」
「あなたたちの言う〝実験〟の過程でも、傷つく人がいます。それは化心による被害と、何も変わらない」
「安定した世界を築く前に、犠牲は常につきものだろう。数千年変わらぬ、人の世の摂理だ」
違う。
「輸血と同じだ。輸血はかつて危険な技術だった。失血死から人を救おうとした先人は、動物の血を入れたり、血液型の概念を知らないまま血を混ぜた。結果、多くの者が命を落とした。だが累々たる死体の山を築きながらも、研究と実験を重ねたことで、現代の人々は輸血の恩恵を享受することができる」
違う。
「新たなシステムが構築される前に代償を支払うのは必然だ。ダムを作るにはその土地を沈めなければならない。特効薬の効果を確かめるには誰かに飲ませなければならない。……化心のメカニズムを解明するには、〝誰か〟に化心を生んでもらうしかない」
違う。
「その〝誰か〟の一人が、雲坂寧音だったのは……当人にとって、不運なことだ」
「違う……!」
論理が間違っている、という意味じゃない。
化心を滅ぼすために、化心が生まれる条件を知る。
化心を生むために、実験体を選定する。
斐上の物言い自体には、理屈が通っている。
その過程に……嘘はない。
けれども、何か……〝何かが〟違う。
決定的に何かが食い違っている……気がする。
「あなたの言うことは……全部〝建前〟でしょう……!」
反論できる根拠があるわけではなく、ただわたしが、彼の言葉を間近で聞いて、そう直感しただけだ。一切の躊躇いなく話す様子から、まるで……予め用意した〝台詞〟を読み上げているかのように感じたのだ。
彼の物言いからは、何かを成し遂げたいという〝温度〟のようなものが、まるで伝わらなかった。
想像する。
もしも、彼の目的が……〝化心の滅亡〟から離れているのだとしたら。
その思いが、根本から破綻しているのだとしたら。
つまり、斐上の本心としては、誰も――――
「思っていたよりも感情的だな、織草帷」
氷を投げられたような冷徹な一言で、思考が切り裂かれる。
「それとも、日々の中で情緒を学んでいったのか。いずれにせよ、俺にとって都合はいい」
言いつつも、彼の静かな眼差しは依然変わらない。
「お前の感想などどうでもいいことだ。せいぜい勝手に想像していろ。ただし、化心を消滅させる術式を発動するために、花の巫女の力が必要なのは事実だ。俺がそれを欲していることもな」
やはり、言葉から熱が伝わらない。
渇望を感じない。
わたしが抱くものを、遮って喋っているような気もする。
「あなたは――」
「知りたがっていたな。何故この列車にお前を乗せたのか」
不意に。
唐突に。
斐上が立ち上がった。
「え……」
この空間で唯一立っている人間。目立っているが、乗客は気に留める様子はない。術をかけられているからだ。
「花の巫女の心臓の覚醒を促すためには、多くの〝刺激〟を与えるのが効果的だ。刺激とは即ち、感情が大きく揺さぶられることだ」
「……どういうことですか」
「高校での黑は上手くやったが、詰めは甘かった。ホテルの化心も同様に、それが為される前にお前たちによって消された。雲坂寧音本人については成功したが、化心はいまひとつ足りなかった」
「だから……どういうことですか」
「心臓を〝収穫〟する前に……お前がまだ経験していない〝絶望〟を与える工程がいるということだ……〝死〟を目の当たりにする工程が」
そこまで聞いても、わたしには斐上の言っている意味がまったくわからなかった。
けれど、そんなことは問題じゃない。
理解する必要はなかったのだから。
理解する前に、目の前でそれは起こったのだから。
「は――?」
斐上の手には短い杖が握られていた。
いや、杖を構えていたのではない。
既に、魔術を放った〝後〟だった。
わたしに向けて――じゃない。
わたしとはまったく違う方向、ぼんやりと座っていただけの〝男子高校生〟に向けて。
光は、いともたやすく、その頭を貫通した。
パァン、と。
果実が弾けるような音が、密室の車内に虚しく響いた。




