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自分たちを除いて乗客は17人。車内で立っている人間はおらず、皆まばらに座り、虚な表情をしていた。
左を見ると、運転席があった。進行方向から察するに、自分たちは先頭車両にいるようだ。
「この電車は特別快速だ」
「え?」
「主要駅以外には止まらない。次の駅まで20分はある」
「へぇ……そんなのがあるんですね……」
斐上が口を開いた。小さくはないが、低く、重く、静かな声。わたしに対して話しているはずなのに、意識しないと耳をすり抜けそうだった。
「…………」
「…………あの」
「………………」
「………………いや、何か喋ってくれませんか!?」
「何をだ」
「何をって……その……たとえば、この電車に乗せた目的とか」
「何故だ」
「連れてきたのがそっちだからですよ!?」
なんで喋ろうとしないんだよ。
こっちは何が起きているかわからず混乱しているんだから、敵の方がその様子を見て、色々得意げに語るものじゃないのか。空骸はそういうタイプだっただけに、余計戸惑う。今のところ、この電車がしばらく止まらないことしかわからなかった。
「俺から語ることは何もない。目的と計画については、あの体育館で話したことがすべてだ」
咲良紗高校の体育館。
わたしたちが、初めてにして唯一彼ら魔術師と邂逅した場所。
そこでわたしは、自分の心臓が初代織草家当主の織草筺花のものであり、それを移植したのが、葵さんと椛さんの母親である織草鏡花だったことを知らされた。そして、二人の魔術師――斐上と空骸黑が、化心を消滅させることを目的として、化心にまつわる実験を行なっていることも。
記憶を失ったわたしにとって、あの日は自分の〝始まり〟を知った日だった。
忘れたくても、忘れられるわけがない。
……隣にいるのは、紛れもなく、敵だ。
身体が強張るのを、否が応でも感じてしまう。
掌に汗が滲む、悟られないように、わたしは手を握った。
状況は限りなく危険だ。わたしは今、一番の敵と逃げ場のない密室に閉じ込められている。いや、ただの密室ならまだ良い。牢獄や倉庫などに監禁される分には、抵抗のしようがあるからだ。最悪なのは、ここが電車という公共の場所で、わたしと斐上以外に乗客がいること。何度か周囲の様子を窺っているが、乗客たちの表情は依然として生気がなく、目の焦点が合っていない。催眠や幻覚……そういう類の〝術〟が行使されているに違いない。
つまりは……〝人質〟。
斐上は、この車両に乗ってきた人たちを人質にして、わたしと同じ空間に閉じ込めている。わたしがこの男と戦えば、巻き添えになるのは避けられない……ということだろう。それが、わざわざ電車にわたしを連れてきた理由だ。
……この状況では、下手に動くことはできない。
不意に、斐上がジャケットの内ポケットを探った。
「……!」
武器か、即座に杖を想起する。
反射的に身構えたところで――「食べるか?」
「えっ」
差し出されたのは、棒状ではあっても、わたしが想像したものとはまったく違うものだった。
赤青白が渦巻いた円盤が、透明なフィルムで包まれている。棒はそのカラフルな円盤に刺さったプラスチック製の串であり……斐上が懐から出したのは、俗にロリポップやペロペロキャンディと呼ばれるものだった。
……どういうつもり?
彼の顔はそのまま。冗談を言っている雰囲気ではなさそうだ。
じゃあ、普通に好意で?
いや、だとしても。
「た……食べませんよ。何が入ってるかわからないのに」
「人工甘味料は摂らないのか、健康志向だな」
「毒かもって意味です!」
「そうか」
斐上は躊躇なく手を引き、キャンディを再びスーツにしまった。
「お前の年頃には、これを与えておけば苛つきが収まるはずだが」
「わたしをなんだと思ってるんですか……」
「少なくとも、黑は喜ぶ」
あの子そんなにチョロいの?
飴を舐めている姿は、似合うかもだけど。
冷酷な魔術師のイメージと、目の前で繰り広げている会話の落差に、毒気が抜かれかける。
「話すことは何もない、と言ったが」斐上が淡々と告げる。「聞きたいことがあるのなら、答えてやってもいい。まだ時間はある」
「…………」
人質がいる故の余裕か、それとも単なる気まぐれか。
真意はわからないが、会話をする気はあるらしい。
無駄を嫌う寡黙な印象が強かったので、少し意外だ。
であれば、話せるうちに話すべきだ。
聞きたいことは色々あるのだから。
まずは現状の確認……か?
「駅前で、何が起こったんですか」
喉の奥に、不快な粘り気が張り付いたような気分だった。
正直に言えば……怖い。
このまま無意味な問答を繰り返して、現実から目を逸らすのを少しだけ願ってしまうほどに、答えを得るのが恐ろしい。
けれど、ずっとは逃げられない。
「……覚えていないのか」
斐上の表情は変わらない。
相変わらず無機質のまま。
しかし、数秒の沈黙の後に投げられた問いには、微かな訝しみが含まれていた。
わたしは、斐上の問いにただ無言で肯定する。
「俺が話せるのは事実だけだ。あとは勝手に思い出せ」
やがて斐上はそう続けると、わたしが気を失う前の出来事を簡潔に述べた――。




