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4. 手紙のお口

 茶会の控えの長椅子は、眠る子供に都合がいいらしい。イムケに連れられてきた私を残し、叔母は彼女を茶器の用事で外へ出した。宰相は茶室。マーヤの盆には、後見人宛の手紙がある。私は目を閉じる。重いまぶたを、寝たふりに使う。


 マーヤが盆を抱え、小声で事情を伝えた。王宮の礼法を教える家の老夫人から、叔母の教育係への推挙に返事が来たという。老夫人は来ず、客は推挙を見届けに来る。目を閉じた私の耳元を、叔母の袖が擦る。甘い香の中で、叔母の声まで柔らかくなる。


「断りに決まっておりますわ。わたくしが他人宛の封を切れば咎ですが、あなたなら見咎められません。開けて、この子が汚したことにして、読ませず片付けなさいな。皆様をがっかりさせることはありませんもの」


 盆の上で手紙を抱え直す音がした。マーヤの声は衣の下でも聞こえる。いつもより細く、それでも途切れない。


「まだ、お渡ししていません。お返事は宰相様へのものです。あの、私が……本当に、開けるのですか?」


 叔母の扇が私の頬の前で開く。薄目も開けずにいると、扇の音だけが近い。


「字を拾えても、意味は分かりませんわ。そんなに怖がらなくてよいの。あなたは言われたとおりにすればよいのです。わたくしは先に参ります。ぐずぐずしていないで、持っていらっしゃいな」


 扉が閉じても、封を割る音はなかった。マーヤに手を引かれ、茶室まで歩く。つないだ手のひらは少し湿っている。彼女が低い卓へ置いた手紙を、私は裏返した。封には割れ目も汚れもなく、老夫人の家の印が光る。


 茶室の窓辺で、冬の薔薇が一輪だけ咲いている。叔母と招待の客が茶を囲み、イムケが茶器を運ぶ。マーヤはまだ立ったまま。監督の宰相は私の卓へ顔を向けた。


「推挙の結果を皆様にも伺っていただく席です。老夫人からの返事は届きましたか?」


 叔母が客へ扇を向ける。封は閉じたまま。声だけが甘い。


「ローザちゃんが封を開けて汚してしまい、お返事は読めませんの。目を離すと、すぐにこれですわ。教育の要る子ですわね。マーヤ、下がりなさいな」


 宰相が空いた椅子をマーヤへ示した。私が手紙を見せるより先に、退席させる道まで塞いでいる。助かる。悔しいほどに。彼は手紙のある卓を指す。


「まず現物を。預かった方も、その席へお座りください。お返事が読めるかどうかは、手紙に答えてもらいましょう」


 私は閉じた封を客へ向けた。マーヤの手は膝の上で重なる。私は叔母を見上げる。


「おばちゃま、手紙のお口、まだ閉じてるよ?」


 客が手紙を持ち上げ、封を光にかざす。滑らかな紙には茶の染みさえない。


「老夫人の家の封です。閉じたままで、汚れもございません。読めなくなったとは、どの部分のことでしょうか?」


 宰相が宛名を客へ示し、封を切った。紙が本来の受取人へ戻る。


「私宛ですので、ここで開きます。推挙はお受けできない、との返事です。開封したという説明は、何をご覧になってのものですか?」


 叔母の扇がぴたりと閉じる。客は冷める茶にも手を付けず待つ。今度は子供の読み違いにはできない。叔母は閉じた扇を握り直した。


「……断りを皆様に読ませたくなくて、口実にしたのですわ。ですが、ローザちゃんには教育が要りますの。教育の席まで、なくす必要はございませんでしょう?」


 宰相が返事を卓へ置く。断りの文が、叔母の扇の届かない所で上を向く。


「教育の吟味は続けます。公爵閣下へ過ちをかぶせる理由にはなりません。マーヤ殿もお茶を。手紙を届ける役は済んでおります。座ったままで結構です」


 マーヤの席に茶が届いた。彼女は杯を抱え、私の顔を見る。叔母に従わなかった理由を、あの子はまだ一言も口にしていない。湿った手のひらだけが、私の手に残る。親切の値段を尋ねるには、客が多い。


       ◇


 夜の居室まで宰相の手を借りて歩く。イムケが菓子を置き、退いて扉を閉めた。窓辺の菓子が減る。ゾゾの白桃色の跳ね髪が皿の向こうで跳ね、幼い鼻の少女が口元を拭う。


「あたしは魔女のゾゾ。見た目は十二歳だけど、三百歳だよ。あんたをこうしたのは、あたしだもの。文句なら聞いてあげる。でも、そんな顔でにらまないでよ。菓子がおいしくなくなるもの」


 宰相は眉一つ動かさず椅子を窓へ向け、私は別の皿を引く。文句を聞く方が菓子を食べている。気楽な商いだ。


「なら、誰に頼まれたの? 先に答えて。自分の仕事に、代金を払う手くらい覚えているでしょう?」


 ゾゾが菓子を抱えた。食べるのをやめても、皿からは離れない。


「依頼人の名前? 言えないよ、契約だもの」


「ケーキを三つ。名が無理なら、手がかりを」


 皿を示すと、ゾゾの紅玉色のいたずらな目が、私から菓子へ移る。抱えた分を離さないまま、唇を尖らせた。


「名前だけじゃなく、顔も指せないの。嘘も言えないし、答える範囲も決まってる。そもそも半分しか貰ってないんだよ。あたしだけ損してる! なのに、あんたまでにらむんだもの!」


「損の話なら、今の対価を見て! あなたの好きなものを積んでいるの。私は小さくされて、あなたは菓子を食べている。文句の分まで食べるなら、答えの分も働いて!」


 皿を持ち上げかける。陶器の底が傾き、腕に重さがかかった。落とすまいと力を入れるほど、菓子が揺れる。ゾゾは皿越しに笑う。


「あはは、頭は大きい人のままなのに、皿にも負けるんだ! 頼めばいいのに、そんな怖い顔で持つからだよ。皿はにらんでも軽くならないもの!」


「笑うなら、取引を済ませてからにして! 私は皿を運ぶ人まで買った覚えはないわ。皿に負けた分を、あなたへの支払いから引くわよ!」


 陶器の冷たさが手のひらから抜けない。唇を固く結んだ。泣く気などないのに、目のふちが勝手に濡れる。宰相が底を支えて卓へ戻し、菓子は潰れずに済んだ。彼は取り分も礼も求めない。皿だけを支え、頼めなかった私まで責めたりしない。空いた手は、膝に戻しても冷たいままだ。


 ゾゾが身を乗り出した。菓子に顔まで近づく。


「わあ、まだ食べていいんだ! 嬉しい! 引かないでよ、せっかくのお菓子だもの。名以外で、言えることなら答えるよ」


「ええ、では聞かせて。作らずにね。私に確かめられる手がかりを、その皿の対価にするわ。菓子ばかり減って、話が増えない商いはお断りよ」


 菓子を寄せると、ゾゾは頬を膨らませる。言葉だけは、噛み終えたあとに出てくる。


「依頼人は赤い封蝋を使う」


 色を覚え、今度は皿から手を離した。取り返したいのは、菓子ではない。


「戻るには、どうすればいいの? 名を言わせれば足りるの? 聞き違えたくないわ。何をすれば、この体を戻せるの?」


 ゾゾは皿の縁を拭う。


「頼んだ本人が王の前で、自分の名と依頼を、自分の意思で認めれば解けるよ。代わりに言うのも、復唱させるのも、誰かが告発するのも駄目。本人が認めなきゃね。ほら、あたしはちゃんと答えたよ」


       ◇


 窓辺の菓子がまた減る。そこにゾゾの顔はもうない。二人きりの卓へ、昨夜の色を並べた。赤い封の申出と、家令から預かった封材の注文控え。叔母、従兄、大叔母の手元が浮かぶ。


 私は赤い封の紙を寄せる。紙の端なら揃うのに、答えは揃わない。


「同じ色の人から問い詰めたいわ。こちらは皿の対価を払ったの。何も進まないのは勘定が合わない! 紙を並べるために、ケーキを渡したわけではないわ」


 宰相が注文控えを別に置いた。寄せた紙の間に、また隙間ができる。


「叔父殿も封材は買えます。マーヤ殿は大叔母殿の封を扱う。買った手と封じた手も、同じとは限りません。それでも、色だけで誰かを決められますか?」


「……分かっているわよ。分かっているから、腹が立つの。今くらい、先にうなずいてくれてもいいでしょう?」


 彼が守り役の申出を開く。私が並べた紙は、彼の手で二つに分けられたままだ。


「明日は聞き取りです。ヒンリヒ殿は決闘も辞さない、と書いておられます。同意は慎重にいたしましょう」


 紙には、晩餐で聞いたのと同じ勢いの字。扉の取っ手にも手が届かない私が、あの大声を遮るのか。ぬいぐるみの耳なら、今の私にも届く。


 明日の大声に備え、ぬいぐるみの衣を耳のところまで整える。

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