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3. 本物も偽物も

 朝の小部屋には、東の窓から薄い光が入る。イムケに手を引かれて来た私の卓へ、教育係の叔母が家の目録を置いた。続いて本物の耳飾りが並ぶ。先代が遺した組だ。商人は同じ形の品を、手持ちから納品箱に入れて来ていた。どの箱も、ぬいぐるみの衣より立派で、蓋を閉める音まで重々しい。


 叔母がイムケを湯と替えの衣の用事で外へ出す。扉が閉じると、商人の袖を引いた。ぬいぐるみの袖口と格闘する私の前で、叔母の声は低くならない。


「子供は値を知りませんわ。字を拾えても、意味までは分かりませんもの。偽物で十分。本物はそちらで引き取って、この箱の品にかえなさいな」


 商人は目録から手を離し、私の前の箱を閉じかける。


「お申し付けの品は持参しました。ただ、本物をお預かりするには後見人の承認が要ります。持ち出しの届けだけでは、お引受けできません」


「届けは出してありますわ。これから養育する者の手元にあるほうが、なくす心配もありませんもの」


 ぬいぐるみの腕が袖に入った。本物の右の留具だけに傷があり、納品箱には商人の印。目録の欄にも、右の傷が書いてある。値を知らぬ子供にも、箱と紙は見える。叔母が箱を寄せる。


「ローザちゃんは、その子を着替えさせていなさいな。大人のお話は、まだ分からなくてよ」


 ぬいぐるみの袖を伸ばし、箱を見ない顔を作った。袖はまだ裏返しだ。


「この子もお耳に着けたいの。なくさないように、私が抱っこしてるよ」


「まあ、欲張りさん。お耳は二つしかありませんのよ」


       ◇


 晩餐の広間には、親族と宰相、彼の招いた客と商人が並ぶ。銀器が燭台の火を細かく跳ね返し、肉の脂と香草の匂いが鼻の高さまで降りてくる。イムケと歩いてきた私の前で、従兄ヒンリヒの赤銅色の短い髪が椅子の背へ屈んだ。椅子を引けば世話が終わるらしい。


「ローザ、ここだ! 俺の隣なら安心だぞ。俺が引いてやったんだからな! 自分で登れるだろう?」


 大叔母ヴェルトルーデが真珠色の結い髪を傾け、膝掛けを広げる。


「冷えないようにしましょうね。お行儀を覚え直すのも、わたしが見ておりますよ」


 椅子の縁を掴んだ。ぬいぐるみを片腕に抱えると、残った腕だけでは膝も上がらない。叔母の声が、頭上で尖る。


「早くなさいな。皆様を待たせて、恥ずかしくありませんの?」


 ヒンリヒの翠色の大きな目が上から覗き、大叔母の葡萄色の垂れた目は膝掛け越しに細くなる。従妹マーヤが屈み、亜麻色の細い三つ編みを椅子の脚へ滑らせた。足台が靴の下へ来る。


「閣下、ここなら届きます。……ぬいぐるみも、抱えたままで大丈夫です。私、足台を押さえていますから」


 足を載せると、縁へ膝が届く。木の角が靴底を支えた。目の縁が勝手に潤む。足台が来るまで、困っていると言えなかった。涙を落とす代わりに、ぬいぐるみの衣を直す。便宜だ。礼より先にそう呼ばないと、マーヤへ顔を戻せない。


「これならできるよ。お人形も、お皿を見られるの! マーヤ、見えたよ!」


 宰相は急かす叔母の前へ手を置く。


「椅子の高さは、公爵閣下の落ち度ではありません。お急ぎなら、椅子をお叱りください。どうぞ、着席までお待ちください」


 座るまで彼の皿も動かない。ようやく腰を下ろすと、叔母が納品箱を掲げた。マーヤの若草色の伏せた目が、私と叔母の間を往復する中、叔母は箱をこちらへ向ける。


「こちらなら、着けてあげますわ。まず、欲しいものをきちんとお願いなさいな」


「わあ、両方見たい! 朝の箱もあるよね? 並べたら、お揃いに見えるかな? 私、お人形とお揃いがいいの」


 両手を開いた。叔母は本物の箱を背へ寄せる。家令の目録まで箱の陰が伸び、私には蓋の端しか見えない。


「欲張りはおやめなさいな! 子供にはこちらだけで十分ですわ。わたくしが選んであげるのです!」


「見るだけなのに、どうして怒るの?」


 叔母の扇が、差し出した私の手の高さを遮る。


「落とす前に、わたくしがお預かりするのですわ。あなたは、ありがとうと言えばよいのよ」


「私の宝石なの、隠さないで! それ、〈背任(はいにん)〉!」


 叔母の手が止まり、箱の蓋だけが鳴った。まずい。舌まで短くなればいいのに。背中に冷たい汗が一筋、下りていく。叔母は扇の陰から私を見下ろす。


「は、背任ですって?! 意味も知らずに使って、恥ずかしいこと。変な品を納めた商人のせいですわね!」


 宰相が商人の注文控えを卓へ出させる。持ち出しの届けを開き、客にも向けた。私が箱を頼むより先に、宰相は紙まで揃えている。悔しいほど手際がいい。


「届けを受けて、この商人を晩餐へ招きました。品と注文を揃えて確かめます。公爵閣下のお話も、最後まで伺いましょう」


 朝の箱へ顔を向ける。隠れた留具の傷は、言い逃れを聞くより働き者だ。


「おばちゃま、宝石商に、偽物にかえてって言ってたよね?」


 商人が控えの注文欄を客へ向ける。扇がその先を遮っても、商人は手を離さない。


「同じ形の品への交換を、と伺いました。納品箱の印も私のものです。本物の売却や引取りは、まだしておりません」


 家令が本物と贋物(にせもの)を目録の横へ並べた。右の留具の傷は目録の記載と合う。納品箱の印も控えと同じだ。家令が目録を示す。


「遺産の組はこちらでございます。留具の傷も一致します。納品された組は目録の品ではございません」


 叔母の扇が、卓の縁で小さく鳴る。


「子供には軽い方がよいからですわ! わたくしが交換を頼んだことは認めます。それほど責める話ですの?」


 客が箱へ顔を寄せ、叔母の衣装へ向けていた笑みを引っ込めた。


「軽さを選ぶために、遺産を引き取る必要があるのですか? 教育には本物を使う、とのお話でしたが?」


 宰相が本物の箱を閉じる。叔母の膝には、空いた手だけが戻った。養育者は決まらず、宰相は出納の印を彼女へ渡さない。


「本物は保管します。教育の申出と、遺産の持ち出しは分けて審査します。目録と注文控えも、現物に添えて残します」


 叔母は茶会の招待を封じ、大叔母は親族の申出、従兄は守り役の申出を卓へ揃える。それぞれの手元で赤い封が固まった。箱の陰から出た目録には、燭台の光が戻っている。


 叔母が客へ招待を渡した。


「明日の茶会で、教育をご覧いただきますわ。王宮の礼法の家にも、推挙の返事をお願いしております」


 客が日取りを確かめると、家令は宰相へ箱を差し出す。


「保管先は居室の戸棚でよろしゅうございますか? 目録と控えもお添えします」


 イムケが夜の菓子を持たせる。ぬいぐるみの膝へ袋を載せた。短い腕でも抱えて運べる財だ。


       ◇


 宰相に手を引かれ居室へ戻る。家令が箱を収め、イムケが窓辺に菓子皿を整えた。両人が退き、扉が閉じてから、私は商人の印を示す。


「軽いという言い訳では、価値は戻らないわ。あの箱ごと、私の財を持っていく気だったのね。礼を言えとまで言われて、怒鳴りつけたかったわ!」


 宰相が控えを箱と一緒に収めた。


「だから現物を残します。交換の指図を認めても、呪いを頼んだ者と決まったわけではありません。怒りの分まで、証拠には足せませんので」


「分かっているわ。でも、違うとも、まだ言えない。怒るくらいは許してちょうだい」


「では、両方の勘定を残しておきましょう。急がない勘定は、閣下のお好みではないでしょうが」


 足台を踏んだ靴底が温かい。椅子に登れたことより、登るまで待っていた皿のほうが、どういうわけか頭を離れない。便宜の返し方は、後で考える。


 窓辺へ戻ると、菓子が減っている――。


 菓子の減った皿には、冷たい窓の光だけが乗っていた。

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