23,深夜に食べるドーナツの背徳感
「あ、あの、えっと……。こんばんは、アレンさん」
ルシアは俺に見つかるや否や、なぜか酷く焦ったような、あるいは今のお腹の鳴る音が聞こえてしまった恥ずかしさからか、少しよそよそしい態度で話しかけてきた。
正直、なんでこんな夜遅くに彼女がここにいるのか……。
(まぁ、俺も人のことは言えないが……)
「どうしたシア。こんな夜遅くに……」
「え、えっと、なんだか、上手く寝付けなくて。少し、歩いていたらいい匂いがして、つい……えへへ」
(可愛い……)
ルシアの照れる表情についときめいてしまったが、瞬時に我に返る。 正直、色々と問い質したい部分があったが、とりあえず今はその気持ちを引っ込め、中に入るように促した。
中に入れた俺はとりあえず落ち着かせるため、厨房の隣にある食堂に座らせ、温めた牛乳……ホットミルクにハチミツを溶かして入れた飲み物を提供した。
「ありがとうございます」
ホットミルクを受け取ったルシアは、コップに手を付け、温かい湯気をふーふーっと冷ましながら一口飲んだ。
「美味しい……」
ハチミツの濃厚で優しい甘みが、張り詰めていた彼女の神経をほどいてくれたのだろう。ルシアは小さくホッと息を吐き出した。大きめのパジャマの袖から覗く白い両手で、大切そうにコップを包み込んでいる姿がなんとも微笑ましい。
(うう、初々しすぎて、直視できないよう)
あまりの破壊力に視線を泳がせながら、俺は席を立ち、厨房から出来立ての温かいおやつを皿に盛って持ってきた。
「アレンさん、これは?」
「ん、これは、夜食用に作った『ドーナツ』っていうお菓子だ」
「『どうなつ?』」
初めて聞く名前に首を傾げるルシアだが、その視線はすでにドーナツに釘付け。
俺は仕方ないなと小さくため息を吐きながら、彼女の顔を見つめた。
「……食べるか?」
「いいんですか!?」
パッと花が咲いたような表情を浮かべ、ルシアは嬉しそうに皿に盛られているドーナツを食べようとした……が、そこでフォークやナイフなどのカトラリーが一切ないことに気が付いた。
「あの、アレンさん……これはどうやって食べるんですか?」
「ん、これか。これはこうやって、直接手で掴んで食べるものだぜ」
そう言いながら俺は、ドーナツを指で掴み、一口でパクリと食べた。
(うーん、美味い!!)
食べた瞬間に思ったのは、『美味い!!』という一言だけだった。
外側はサクッと香ばしく、中はフワフワ。この世界では、砂糖はまだ高級な食材……特に現代でよく見かける真っ白な砂糖は高級のため、まぶしていないが。それでも、バターの風味が口いっぱいに広がって……もうたまらん。
俺は、ドーナツを片手にもう片方の手で持っていたホットミルクを口に含む。
(ああー、ドーナツに牛乳は、相性抜群だな)
バターのコクと、ハチミツの優しい甘さが混ざり合って、最高のハーモニーを奏でている。……うん、深夜の背徳感も合わさって最高だな。
そんな幸せそうに食べる俺を見ていたルシアも、ゴクリと唾を飲み込みながら、意を決したようにドーナツを掴み、口に運ぶ。
サクッ。
静かな夜の厨房に、小さく心地いい音が響いた。
次の瞬間、ルシアの綺麗な淡い色の瞳が、こぼれそうなほど大きく見開かれる。
「――っ!?」
口に入れた瞬間に、あふれ出すバターの香ばしい香りが口いっぱいに広がる。じっくりと味わうように咀嚼するたび、彼女の頬がみるみるうちに、とろけるような幸せな色に染まっていく。
「はぁ~……。幸せです」
幸せそうに食べるルシアは、俺同様。コップに注がれているホットミルクを両手で抱えるように口に運ぶ。すると、これまた実に幸せそうな表情を浮かべた。
そのあまりにも美味しいお菓子に、ついついもう一個、さらにもう一個と夢中で食べ続けるルシアだったが、俺がある一言を告げた瞬間、その手がピタリと止まる。
「おいおい、あまり食べ過ぎるなよ。こんな時間にそんなに食べると――『太っちゃうぞ』」
ルシアの手が虚空で止まり、プルプルと震えだす。持っていたドーナツをそっとお皿に戻すと、俺の方を上目遣いでじっと見つめてきた。
「……アレンさん意地悪です」
(うっ、可愛すぎて眩しい……!!)
怒った顔も可愛すぎて、つい顔を逸らしてしまった。
少し落ち着いたところで、俺は気になっていたことを口にした。
「それで、どうしてこんな時間に一人で出歩いてたわけ。うまく寝付けなかったにしろ、女の子一人で出歩いて良い時間じゃないだろ」
つい、お母さんのような言い回しで聞いてしまった。ルシアは、両手でコップを握りしめながらしばらく考え込んでいた。
「……そうですよね。ごめんなさい、つい、うっかりしていました。でも、平民である私が王宮でのパーティーに参加したことが、未だに信じられなくて……少し外の空気を吸おうと思って、廊下を歩いていたら、アレンさんと……っていうわけなんです」
(……なるほどね。そのの空気を。……ってあれ、待てよ。もしかして俺、またやっちゃったんじゃないのか、これ)
もしかしたら、また何かしらのイベントフラグをへし折ったかもしれないという、強烈な自責の念にとらわれてしまった。
とりあえず、気まずい空気を替えるため話題を変えることに。そうだな、今夜のパーティーについて……特に殿下をどう思っているのか聞いてみる。
「そ、そうだったのか。
ちなみになんだか、その、今夜のパーティーはどうだった?
なんだか、終始殿下と共にいたようだけど……」
我ながらデリカシーのない聞き方だと反省したが、これも仕方のないこと。
なぜなら、この回答次第によっては、殿下ルートに突入するかもしれない、とても重大な質問なのだから。
ルシアは、少し驚いた表情を浮かべ、しばらく黙り込んだ後、ゆっくりと口を開く。
「……そうですね。シリウス殿下は、とても優しかったです。平民である私にも親しく接して下さり。しっかりとリードしてくれました」
「へぇ、そうなんだ」
(流石は王族であり、ゲームの攻略対象。女性への扱いが上手いな……。でもこの回答ではまだルートに入ったかどうかは判断できないな)
流石は乙女ゲームだと感心し、一人で勝手に納得し、一人心の中で考え事をしていると突然、ルシアが何かをためらうように口を開いた。
「あ、あの、アレンさん」
「ん、どうした?」
「え、えっと、その。アレンさんは、ティアの事……。どう思っているんですか?」
「ん、どうしてティアの名前が?」
突然、クリスティアの名前が出たことに驚いてしまい、つい問い返してしまった。どうやら、俺がクリスティアと一緒にダンスフロアに現れ、そのままダンスを踊ったシーンをじっと見ていたらしい。……まぁ、あれだけ変に目立っていれば見ない方がおかしいか、あはは。
物凄い真剣な眼差しで見つめてくるルシアに俺は、ため息交じりに話す。
「……はぁ~。別にティアの事はどうも思っていないし。それにあれは、ティアの方から半ば強引に踊らされただけで、もし断ろうものなら……うう」
最後まで言葉にできなかったが、もし公爵令嬢に恥をかかせようものなら、どうなるかなど、火を見るよりも明らかだ。
そんな俺の怯える表情を見たルシアは、クスリと突然、小さく笑った。
「ふふ、そうだったんですね。アレンさんも私と同じだったんですね」
「シアと同じ……?」
「いえ、何でもないです」
「なんだよ。凄く気になるだろ」
「ふふ、秘密です」
左の人差し指を唇に当てながら微笑む彼女は、今までで一番、あざと可愛く見えた。
「……出来れば、私もアレンさんと踊りたかったです」
「え、今なんて?」
「な、何でもないです!? おやすみなさい」
小さく呟いたルシアの声が聞き取れず、俺が何と言ったのか聞き返したら。なぜか彼女は、顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め、勢いよく扉の方へ振り返ると、脱兎のごとく急いで部屋を出て行ってしまった。
バタン、と静かな厨房に扉の閉まる音が響く。
……。
一体なんだったんだ……。
一人、取り残された俺は、何がどうなったのかさっぱり分からないまま。テーブルに置かれているドーナツを口に頬張るのだった。
……ちなみにこれは余談になるのだが。
俺が深夜にこっそり作ったドーナツが、なぜだか翌日。厨房の料理人たちにバレてしまった。
どうやら、警察犬の嗅覚並みに鋭い使用人が、厨房内に漂う甘い香りを嗅ぎつけ、すぐさま俺が犯人だと特定したとの事。
俺は仕方なく、ドーナツとその作り方を伝授させることにした……甘い菓子は働く者たちの心を一瞬で虜にする悪魔の食べ物だと改めて実感するのだった。




