21,モブはモブらしく生きていきたい(前編)
「こ、これはこれは、シリウス様! ご機嫌よう。最近まで体調を崩されていたと聞き、私どもも大変心配しておりましたのよ?」
シリウスの姿を見るや否や、令嬢は態度を百八十度変えてゴマをすり始める。
しかし、シリウスはそんなことなどお構いなしにルシアへと近づき、その手をそっと取った。
「大丈夫だったかい?」
「あ、はい……っ。ありがとうございます、シリウス殿下」
優しく気遣う声をあげる王子に、ルシアは驚きで目を丸くしながらも、どこか恐縮した様子で頭を下げた。自分が完全に無視された屈辱。そして何より、たかが平民であるルシアに、雲の上の存在である王子が甘い声をかけている事実。そのすべてが我慢ならなかったのか、令嬢は金切り声を上げるように、食い気味に捲し立てた。
「い、いけません、シリウス様っ!! そんな、たかが平民一人にそこまで優しく接するなど、王族としての威厳に関わりますわ!」
この世界における貴族社会の在り方を表すようなセリフを吐く令嬢。その言葉を聞いたシリウスは、一瞬身体をピクッと反応させゆっくりと令嬢の方に顔を向ける。
「何を言っているんだ、君は。彼女は、私の命の恩人なのだぞ。あの時彼女が助けてくれなかったら、私は死んでいたかもしれない。命の恩人である者が例え平民であろうと、礼を尽くすのが王族として……いや、人として当たり前のことなのではないか?」
少し威圧感のある言い方で令嬢を見下ろすシリウス。その威圧感に怯んでしまう令嬢たち。……そして、その光景を遠目で見ている俺。
──時計の針を、ほんの少し前に戻そう。
飲み物を取りにルシアから離れた俺は、一旦頭を冷やすため、バルコニーに足を運んでいた。会場内から漏れ聞こえる賑やかな音楽を背に、俺は手すりに寄りかかって深く息を吐き出した。
「はぁ~、緊張した。危うくモブである俺の心臓が破裂するかと思ったぜ」
ゲームのヒロインであるルシアのエスコートなんて、モブである俺には荷が重すぎる。そう一人でブツブツと呟きながら、夜風を浴びてガチガチだった身体をほぐしていた。
少し休憩したし、そろそろ飲み物を持って中に戻ろうか。そう思った、まさにその時だった。──会場がなにやら騒がしかった。
一体何があったのか、不思議に思った俺は、スルスルと人をかき分けて騒動の元凶となる場所に顔を覗かせる。するとそこには、ルシアに絡んでいる謎の三人組の令嬢たちとルシアだった。
(おいおい、何やってんだ!)
と心の中で焦りながら、すぐさま助けに入ろうと思ったが、その光景が何処か聞き覚えのあるシーンだと思い、その足を止めた。しばらく考え込んだ後何かを思い出したかのように、脳裏に鮮烈な記憶が蘇る。
(……そうだ、これ。『ルミナス・クロニクル』の夜会イベントだ!)
平民であるルシアが、攻略対象たちと仲よくしているのが気に食わない上級貴族たちに絡まれており、そこに攻略対象の一人が助けに入るという、屈指の王道ロマンスイベント。
(そうだ。そうだよ、これ)
一人で脳内解析を完了し、勝手に納得した俺は、今回は何もせず静観を貫くことに決めた。
正直、人がいびられている姿……特に、ついさっきまで一緒にいたルシアの悲しげな表情を見るのは、胸にくるものがある。だが──ここは心を鬼にしなければならない。
本来、モブである俺がメインステージに立ってはいけない、モブはモブらしく観客席でメインステージを眺めていればいい。そう、本来あるべきシナリオに戻すことこそが、結果的にルシアを一番幸せにする道なのだと、自分に強く言い聞かせた。
──案の定、ルシアのピンチに攻略対象であるシリウス殿下が登場し、無事に彼女を助け出した。
その光景を見ていた俺は、小さなため息を吐きながら、胸をそっと撫でおろした。そして、モブである俺は、何かを言うこともなく、静かにその場を離れた。
──俺が離れた後のルシアたちはというと。
苦虫を噛み潰したような表情になった令嬢たちが、これ以上は分が悪いと判断したのか、バツが悪そうに急いでその場から退散していった。残されたルシアは、まだ緊張に小さく身を震わせながらも、ぺこりと深く頭を下げた。
「あ、あの……殿下。助けてくださり、ありがとうございます」
「いや、僕は当然のことをしたまでだよ。怪我はなかったかい?」
そう言って、シリウス殿下は極上の王子様スマイルを浮かべる。
「あ、はい。大丈夫です」
「そう、それは良かった。命の恩人である君に何かあったら、大変だからね」
「いえ、命の恩人だなんて、そんな。私は当然の事をしたまでですし。それにあれは、アレンさんからがいたからこそ出来たことですし」
顔を少し下に向けながら、まるで恋する乙女のような表情を浮かべるルシア。その表情を間近で見ていたシリウスは、一瞬だけ、その完璧な笑顔の裏に複雑な影を落としたが、焦燥感を静かに飲み込み、殿下はいつも通りの美しいスマイルを貼り直す。
「そうか。だったら、そのアレンという者にもお礼を言わないとな」
「はい、ぜひ!!」
アレンを褒められたと思ったルシアは、これでもかと言わんばかりの明るい表情で顔を上げる。その明るい表情を見た、殿下は一瞬ドキッとしてしまう。
そんな会話をしていると、突然、会場内に華やかな音楽が鳴り響きだした。
一体何が起こるのかとルシアが不思議そうに周囲を見渡すと、華美な衣装を纏った貴族たちが、一斉に中央のダンスフロアへと移動し始めている。どうやら、今からダンスが始まるのだと、彼女は瞬時に理解した。
緊張に身を硬くする彼女の前で、シリウス殿下は流れるような優雅な所作で一歩踏み出し、そっと右手を差し伸べた。
「──ルシア。よければ僕とダンスを踊ってくれないか?」
「え?」
突然の申し込みに困惑を隠せないでいるルシア。本当に自分なんかでいいのかという戸惑いながら、助けて欲しそうに『誰か』の姿を探すように、彼女は一瞬だけ周囲をキョロキョロと見渡したが、雑踏の中で見つける事ができず。これ以上殿下を待たせるわけにはいかないと思ったルシアは、緊張で手を震わせながら、そっと殿下の手を取った。
その後、会場内の華やかな旋律が美しい一曲のダンスミュージックとなり、ペアとなった他の貴族たちが一斉にフロアで踊りだす。ルシアとシリウスもまた、周囲の羨望の眼差しを浴びながら、優雅にステップを踏み始めた。




