16,女は知らないうちに大人になる
「あ、アイズベルグ嬢!?」
突然入ってきたクリスティアに、俺はベッドの上で素っ頓狂な声をあげてしまう。なんで、公爵令嬢である彼女がモブである俺の所にといった素朴な疑問が思い浮かんだ。そんな疑問が頭の中を駆け巡った、まさに次の瞬間だった。
「あ、ティア!」
「──ティアッ!?」
俺の口から出た二度目の絶叫が、無駄に豪華な部屋の天井に虚しく響き渡る。俺が驚愕しているのをよそに、ルシアはクリスティア様の方へと嬉しそうに歩み寄り、仲睦まじく手と手を重ね合い、まるで昔からの親友かのように微笑み合っているではないか。
……。
俺は夢でも見ているのだろうか。本来交わる事のないヒロインと悪役令嬢がこんな風に仲睦まじく笑い合うなんて。……うん、きっと夢だなこれ。
早々に思考を放棄した俺は、完全に二人の世界に入っている彼女たちを、ベッドの上から死んだような目でただ眺めることにした。
「あら、アレン君どうしたの?そんな死んだ魚のような目で私を見つめて」
「誰が死んだ魚だ!!」
──あ、やべ……ッ!!
ついいつもの癖で、大貴族の公爵令嬢に全力のタメ口ツッコミを入れてしまった。急いで手で口を抑えたが時すでに遅し……。不敬罪で俺の首が物理的にサヨナラしたらどうしよう、と一瞬にして全身から冷や汗が吹き出し、血の気が引いていく。
恐る恐るクリスティア様の方を見上げると──。
「……ふふふ。公爵令嬢である私にそんな態度をとるなんて。余程、首を飛ばしたいようね」
……あ、終わった。せっかく命からがら助かったのに。お父さん、お母さん……短いモブ人生でしたが見守ってくれてありがとう、さようなら。俺は脳内で静かに念仏を唱えだす。
「もうティア。そんなアレンさんを困らせないで」
「ふふふ、ちょっとした冗談よ。そんなに怒らないでシア」
(シア……ッ!?)
いつの間にか、ルシアのことまでさらに短い愛称で呼んでいる公爵令嬢。おいおい、この二人俺が眠っている間にどれだけ仲良くなってんだよ。あまりにも早すぎる環境の変化に戸惑いを見せていると、ルシアがもじもじと俺の方へと顔を向けた。
「……あ、あの。もしよかったら。アレンさんも、私のこと……シ、シアと呼んでもらえると……嬉しい……です」
上目遣いで、上気した吐息を漏らしながら、消え入りそうな声で語りかけてくるルシア。
ズキューン……ッ!!
あまりにも純粋で破壊力の高すぎる弾丸が、容赦なく俺のハートを撃ち抜いていく。……落ち着け、冷静になるんだ俺。相手は、このゲームのヒロインで俺はモブ。モブはモブらしく冷静に対応するんだ。
心の中で必死に「心頭滅却」を行い、なんとか理性の防壁を再構築した俺は、機械的な動きでゆっくりとルシアの方に顔を向けた。
「え、えっと……。シ、シア」
……ダメだった。
流石に女の子を愛称で呼ぶには気恥ずかしく、まだ正面から呼ぶには無理があった。だが、不器用ながらも愛称で呼ばれたルシアは、心の底から嬉しそうに「はい!」と満面の笑みで返事をしてくる。……付き合いたてのカップルかよ!!
そんな甘酸っぱい光景を横でじっと眺めていたクリスティア様は、いつも通りのクールな表情を装いながら、ツカツカとベッドに歩み寄って俺を見下ろした。
「じゃあ、私のこともティアと呼んで構わないわよ」
「え……ッ!?」
突然放たれた発言に、俺は変な声をあげてフリーズしてしまう。
そんな俺の反応が気に入らなかったのか、クリスティア様は美しい眉をぴくりと動かし、ジロリと俺を睨み据えた。
「……なに、何か文句でもあるのかしら?」
「いえ、何もないでありますティア様!!」
あまりにも恐ろしい大貴族のオーラに気圧され、俺は条件反射的に、自分でも信じられないほどの物凄い勢いでベッドから飛び出し、その場に直立不動の姿勢をとってしまった。……この令嬢、マジでこえぇ。
「ふふ、素直でよろしい」
お嬢様らしい傲慢なセリフではあったが──その瞬間、彼女の綺麗な横顔に、どこか心底嬉しそうな色が混じったように見えた。……気のせいかな?
……っと今はそんな事よりも、ここか一体どこなのか、それを確認する方が先決だ。
起き上がった俺はついでに、クリスティアにここがどこなのか尋ねてみた。するとクリスティアは堂々とした立ち振る舞いで言い放つ。
「ここは、私の家よ」
「……はい?」
私の……家……。っていうことは、あの大貴族、アイズベルグ公爵邸の客間ってことかよぉぉぉ!?
予想を遥かに超える大層な場所に担ぎ込まれていた事実に、俺の脳内アラートが最大音量で鳴り響く。
突然、その場でカチコチにフリーズする俺の姿を目撃するクリスティアとルシアだったが、そんなの関係ないと言わんばかりにクリスティアが堂々とした仕草で口を開いた。
「それだけ動けるのなら問題ないわね。アレン君、ちょっと私と一緒に来てもらえるかしら?」
「へ!?」
とりあえず俺は、同じく慌てて後ろをついてくるシアと共に、言われるがままクリスティア様の後をついていくことにした。案内されるがままに公爵邸を進み、重厚な扉を開け放った先──そこに広がっていた空間に、俺は思わず息を呑んだ。
そこは、俺の家の厨房とは文字通り雲泥の差。 ピカピカに磨き上げられた銀色の調理器具が整然と並び、軽く家が数軒は建ちそうなほど広大な、およそ家庭用とはかけ離れた『超豪華な厨房』だった。
(……うわー、流石は公爵家。うちとは規模が違うな)
圧倒的なプロの料理環境に俺が呆然と立ち尽くしていると、クリスティアが一人の料理人に話しかけていた。
「あなた、例の物をここに持ってきてちょうだい」
声をかけられた料理人は恭しく一礼したあと、スタスタと奥の保管庫らしき場所へと歩いて行った。 少しして戻ってきた料理人の手元には、何やら厳重に紙のようなもので包まれた、大きな塊が抱えられている。
俺とルシア、クリスティアは大きな調理台の前に立ち、料理人が持ってきた食材をじっと見つめた。やがて、料理人の手によってその厳重な包みがハラリと解かれ──。
中から姿を現したのは、見たこともないほど巨大で、微かに凍りつきながらも信じられないほど瑞々しい『謎の赤身肉の塊』だった。
(……牛肉、かな?)
それは、まるでお手本のような美しい赤身だった。余計な脂身が一切ない、素人目に見ても分かるほどの極上の逸品。
「良い肉だね……」
目の前に現れた極上肉のシズル感と、料理男子としての本能が刺激されたせいで、つい思ったことがそのまま口から漏れてしまった。
すると、それを見たクリスティア様がふっと美しい口元を扇子で隠し、不敵に笑い出す。
「所で、これは何の肉なんだ?見たところ牛肉っぽいけど?」
「……ふふ、これはね。ミノタウロスの肉よ」
「……はい?」
あまりにも聞き覚えのある名前に俺の頭は完全にフリーズしてしまう。そんなフリーズ状態の俺に対し、クリスティア様は美しい笑みを浮かべたまま、とんでもない要求を容赦なく突き付けてきた。
「アレン君あなた。このお肉で調理をしてみてくれないかしら?」
「……はい?」




