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エンドロールのその後で  作者: 加藤有楽
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後編



 ぱちぱちと瞬きをした少年は、じっと少女の顔を眺めた。少年が知る限り、少女はこの世界の同年代の娘たちより口は悪かったが、冗談で「死ぬ」「死ね」という言葉は発しなかった。旅の途中、少女が「死ね」と一度だけ口にしたのを少年は知っていたが、その時の言葉は、彼女が心底思ったから出た言葉であったのだろう。ならば、恐らく今回の「死ぬ」も少女の心からの言葉なのだ。

 少年の微笑がいつもより深くなったことに少女が気付くと同時に、少年はやれやれ、という様子で口を開いた。しかし、いつもより深くなった微笑は、どこか楽しそうにも見える。

「それはまた、ずいぶんと消極的な。将来が潰されたことに怒り狂って、どうせなら王の首ぐらい取って見せたらどうだい」

「いや、隙あらば死体を製造しようとするその性癖、ホントどうにかしなよ賢者さん」

「完全に首が取れた死体は、死霊術に使う素材としてはイマイチだからいらないよ。もっとも、あの王の死体では、首が繋がっていても良い素材にはならないだろうがね」

 小さな笑いを含んで少年が言えば、少女はノーコメント、と言って肩をすくめるだけだった。その反応がおかしかったのか、少年はふふ、と小さく声を上げて笑ってから、声色を変えて少女に話しかける。まるで、子供を心配する親の声だった。

「あれの首を取ることはともかく、少なくとも現状に怒ることはした方がいいよ。怒りのような力のある感情を押さえつけるのは、健康に良くないからね」

「え。賢者さん、その歳でまだ健康気にしてんの?もう十分じゃね?」

「嫌だなぁ。この歳だからこそ、気にするんじゃないか」

 気を抜くとぽっくり逝ってしまうからね、と猫の目で笑った少年を、限りなく胡散臭そうに眺めていた少女だったが、己の膝の上で頬杖をつくとぼそぼそと喋りだした。

「まーねー、あたしだって最初はちゃんと怒ったんだよ。意味分かんないままこんなとこに連れてこられてさー、いきなり世界を救って欲しいとか言われて。マジ意味分かんないし。しかも、何であたしがやんなきゃなんないのかって聞いたら、黒髪黒目の巫女が世界を救う言い伝えがどうのこうのってもー、アホかと。馬鹿かと。別にあたしじゃなくてもいいしそれ。あたしの国では右を見ても左を見ても黒髪黒目ばっかりだよ?」

 しかも近隣諸国混ぜれば億の単位でいるし黒髪黒目、と続けた少女の黒い目には、怒りはこれっぽっちも浮かんでいなかった。諦観、としかいいようのない目は、ぼんやりと景色を映しているだけのようだ。

「まぁ、でも今は、とりあえずどうでもいいかな」

 やれやれと諦めきった表情でため息をついてから、少女は少年の方に向き直ると、ぐいっと体を乗り出して少年に詰め寄った。急に詰め寄られた少年は、きょとんとして少女の顔を見る。小首をかしげて無言のまま問えば、少女は真面目くさった表情でこう言ってきた。

「ところでさ、賢者さんは日がな一日死体求めてうろうろしてるんだから、自殺の名所とか知らない?」

「名所?」

「名所。三日に一度は出来立てほやほやの死体が見付かるラッキースポット的な」

「ははぁ……」

 少女の唐突な質問の意味を理解して、少年は腕を組んだ。少年はしばし考え込むような様子を見せたが、何かを思いついたのか、にやりと楽しそうに猫の目を細める。

「どうせなら君自身で新しい名所でも作ったらどうだい。この城の玉座の間で首を吊ってみるとか」

「いや、意味分かんないし。そもそも、あたし一人死んだところで名所にはならないでしょ」

「いやいや、なるとも。救世の巫女に呪われた玉座、とかどうかな。いやぁ、王国の権威失墜で爆笑ものだね」

「……いつも思うけど、賢者さんって性格良くないよね」

「いい人っていうのは往々にして早死にするものだからね。僕ぐらいになると、そりゃあ性格も歪むよ」

「それ、自分で言っちゃう辺りがダメだよねー……」

 少年に詰め寄っていた少女は、呆れた様子で元の体勢に戻った。憎まれっ子世にはばかるって、異世界でも通用すんだね、とぼやきながら、胡乱な目で少年の猫の目を見る。そんな少女の視線にも慣れたもので、少年はくすくすと笑ってから少女に向き直り、改まって口を開いた。

「まぁ、冗談はこのくらいにして。三日に一度、と言われると思いつく場所がいくつかある。案内するよ」

「ちょ、マジか!」

「マジだよ。そうだな、僕の庵の近くに、少なくとも三ヶ所」

「おおお!流石変態だねありがてぇありがてぇ!」

 あっさり言われた少年の言葉に少女は目を見開くと、拝むように両手を合わせた。変態は余計だけれど、と苦笑した少年は、猫の目を細めてから言葉を続ける。

「必要ならば、眠るように死ねる薬だって作ってあげるよ。安らかに死ねる呪文にも、いくつか覚えがある」

 そう囁いて、いつもの微笑を浮かべる少年を、少女は不思議そうに眺める。少年の猫のような目と微笑はいつものことだが、その様子はやはり先程からどこか楽しそうなのだ。

「賢者さん、やけに協力的だね。ていうかさっきから若干楽しそう」

「……そうかな?」

「そうだよ」

 少女の指摘に、少年は一瞬だけ考える様な表情を浮かべたが、すぐにいつもの微笑に戻る。その一連の変化はどれも一瞬で、それをじっと見ていた少女は、やっぱり楽しそうだと重ねて指摘した。

「うーん、そうかもしれないね。何しろ、僕はずっと前から君が欲しいから」

 少年の言葉は、聞き様によっては情熱的な言葉であったが、それを聞いた少女は呆れた表情を浮かべるだけだった。少年の言葉は、額面通りに受け止めるとロクなことにならないと、重々承知しているからであろう。

「それ、前から言ってるよねー、賢者さん。そりゃあ、異世界の人間の死体って珍しいだろうけど」

 やれやれとため息をついた少女に、少年はにこりと笑う。

「そうとも。初めて会ったあの時から、僕は是非とも君が欲しい。なんと言っても君は、髪の先や爪ひとかけらまで貴重な素材だ」

 にっこりと猫の目を更に細めて微笑を深くした少年は、ついと手を伸ばして、少女の頭をわさわさと撫でた。少女はされるがままに頭を撫でられていたが、胡散臭そうに少年を見ている。そんな少女の表情に気付いてはいるのだろうに、少年は少女の頭を撫でながら言葉を続けた。

「だから、そうだね。死ぬのならば僕の目の届く範囲で、できるだけいい状態で死んで欲しいな」

 そう言って、少女の頭から手を離した少年は、少女の同意を得るように小首をかしげた。その様子を引き続き胡散臭そうに見ていた少女だったが、しばらくして、諦めたようなため息をつく。ついで出た言葉には、もう少女に馴染みきって体の一部にさえなってしまったような、諦観の色が強く滲んでいた。

「まぁ、死んだ後なら別にいいや。賢者さんには長々と旅に付き合ってもらったし、お礼的な?」

「おや、謝礼が貰えるとは嬉しい誤算だ」

「ホントに嬉しそうだね賢者さん」

「焦がれた君が手に入るから、こんなに喜んでいるんだよ」

 そりゃあよかった、と呆れ半分に笑う少女をしばらく眺めていた少年だったが、少女の笑いが収まった頃に、囁くような声を上げた。いつもの微笑は消えて、金色の目はひたと少女の目を見据える。

「でもね、巫女殿」

「うん」

 微笑の消えた少年の顔を物珍しそうに眺めながら、素直に頷く少女の様子に、少年は瞼を閉じた。一瞬だけ躊躇うような表情を浮かべた後、金の目を覗かせてきっぱりと続ける。

「君が手に入って嬉しいと思う反面、僕は、騎士殿とこれからを過ごす君も、少し見てみたいんだ」

 少年の言葉に、少女の表情は一瞬で曇った。今にも泣き出しそうな迷子の子供の顔を浮かべて、わなわなと口を動かす。しばらくして、掠れる様な声で少女は喋りだした。

「……よく、分かんない。あたしは馬鹿だし頭もよくないから、あたしに分かるのはとにかくあたしはもう嫌だってことだよ。ここでよく分からないお祝いをしている皆も、その横で拗ねてるあたしも、相変わらず優しい彼も、何もかもがもう嫌だ」

 泣き出しそうな顔で声を絞り出し、俯いてしまった少女の頭に手を伸ばして、少年はゆっくりと彼女の頭を撫でた。ああ、ごめんね、意地悪をしたねと、小さな子供に言い聞かせるように呟きながら。

「この世界は、今まで君に選択肢を与えてこなかった。その世界が君に初めて与える選択肢だ。内容はロクなものじゃないけれど、ちゃんと考えた方がいい」

 表情をいつもの微笑と猫の目に戻し、囁くようにそう言った少年に頭を撫でられながら、少女は小さく頷いたようだった。その反応に、少年は人知れず微笑を深くすると、俯いて無言になった少女の頭を、子供をあやすようにゆっくりと撫で続ける。

 少年が手を休めることはなかったが、無言になった少女と同様に口を閉じたため、二人が座り込んだ古書資料館前は再び静寂に包まれた。遠くの宴の賑わいが、風に乗ってやってくる。天気も良く、気温も低くない。ともすれば、眠気が襲ってきそうな平和そのものの空間。そんな穏やかな空気の中で、ぼんやりと少年が景色を眺めていると、風に乗ってやってきていた宴の喧噪が、ざわりと大きくなった。何事かと少年が耳を傾ければ、巫女様を讃えよという声が聞こえてくる。そして、その声に同調する割れんばかりの拍手の音。その喜びに溢れた音に、俯いたままの少女がびくりと身体を震わせたのを感じて、少年は溜息をつくと同時に瞼を閉じた。その後、音にならない呟きを発した彼の口は、なんて時機の悪い、という風に動いたようだった。



「……賢者さん」

 いつまでも鳴り止まなかった拍手の音も途切れてからしばし、ぐすりと鼻をすする音の後に、少女が声を上げた。その声に応えるように、少年は休むことなく少女の頭を撫でていた手を引っ込める。

 ゆっくりと顔を上げた少女の表情は決意に満ちたさっぱりとしたもので、しゃんと伸びた背と前を見つめる横顔は美しいとすら感じられるものだったが、どこか遠くを見る目の色は一層強まっていた。その目を見て、少年の眉間にうっすらと皺が寄る。

「あたしはやっぱりここにいるのが嫌だ」

 少女の答えは少年が予想した通りの答えだったのだろう。言い放たれた言葉に、少年は小さく息をついた。

「後悔、しないかい?」

 確認する様に問うてきた少年に、少女はゆっくりと向き直る。少年の猫の目にさっぱりとした笑顔を向けて、少女はあっさりと言い放った。

「死んじゃえば後悔もできないでしょ」

「……御説ごもっとも」

 意思の決定をした少女の態度はあっけらかんとしたものである。少年は彼女のさっぱりとした表情と、その諦観しきった目をじっと見てから、彼自身の意識も切り替えるように瞼を閉じた。次に瞼を開けたときには、少年の表情はいつも通りの微笑と猫の目で、にっこりと少女に笑いかける。

「それなら、善は急げだ。とりあえず城から出ないとね」

「これ、善かなー?」

 よいしょ、と声を上げて今まで座っていた階段から立ち上がった少年は、建物の裏手へと足を進めた。その様子を見て腰を上げた少女に、少年は手のひらに収まる大きさの宝玉のようなものを投げて寄越す。それを慌てて受け取り、不思議そうな顔をした少女に、少年は言い含めるように言葉を添えた。

「せめて、騎士殿に声を残すといい」

「……うん」

 投げられた宝玉は、魔術でその中に声を閉じ込め、それを手にしたものに声を届ける道具だった。少女も何度かそれを使ったことがあるようで、使い方は分かっているらしい。少女は複雑な表情でじっと宝玉を見ていたが、ちらりと視線を少年に移した。その視線を受けて、少年はにこりと猫の目で笑う。

「お別れの挨拶は、しないとダメだよ」

 そう少年に言われて、少女はため息をつきながらも頷いた。それを確認してから、少年は古書資料館の裏手へと足を向ける。少女が声を吹きこむ間に、移転の魔術の下準備をするためだった。

 やってきた建屋の裏手は、石畳が敷いてある入り口とは違い、地面がむき出しになっている。そのむき出しになった地面に、少年は適当な木の棒でガリガリと図形を描きだした。魔術の発動に使う、魔術図形である。移転の魔術のような大掛かりな術に使われる図形は非常に複雑かつ精緻なもので、一度下書きをしたものを手本にしながら書くのが一般的だが、少年はそんなことはお構いなしに、子供が落書きをするのと同様の気安さで、すらすらと複雑な図形を書き上げていく。その精緻な魔術図形が書き上がる頃には、少女も建物の裏手へとやってきた。手には淡く光る宝玉が握られている。発光しているのは音声が込められた証拠でもある。それをちらりと横目で確認して、少年は少女に向き直った。

「丁度用意ができたよ」

 そう言って少年が手を伸ばせば、少女は苦笑気味に、あとよろしくと呟くと、握り締めていた宝玉を少年に手渡した。宝玉の状態を確認した少年はそれを大事そうに仕舞ってから、先程書き上げたばかりの魔術図形を示す。

「とりあえず、僕の庵の一番近くにある名所に移動させるよ。多分、僕の庵の屋根が見えるんじゃないかなぁ」

「え、そんな近くに自殺の名所があるってどうなの」

「便利だよ?」

 当たり前のように返事をした少年に、少女はうへぇと妙な言葉を漏らした。一般的に、自宅近くで自殺が頻発すればあまり良い気分にはならないだろうが、残念ながら少年は死霊使いなのである。

「やっぱり変態だね」

「そうかなぁ」

 ぼやく少年を無視して、少女は足下に書かれた魔術図形をまじまじと見た。少女は何度も少年が術を操るのを見たことがあるが、このような大がかりな魔術図形を見る機会はそう多くなかった。図形を用いる以外にも魔術の発動方法はあって、少年はありとあらゆる方法を駆使していたからだ。

「しかし、これ凄いよね。始まったら、踏んでいいんだよね?」

「構わないよ」

 少女の疑問に頷いた少年は、瞼を閉じ一度深呼吸してから、朗々と魔術起動の唱文を読み上げ始めた。少年の唱文に反応するように、魔術図形が中心部から淡く光りだす。唱文が進むにつれ発光している部分が多くなり、起動の唱文が終了し魔術が起動する頃には、魔術図形の発光はうねるようになっていた。

 瞼を上げて魔術が起動したことを確認すると、少年は隣に立って光る図形を面白そうに眺めていた少女に顔を向ける。それを受けた少女は軽く頷いて、ひょいと図形の中に足を踏み入れた。少女が定位置に付けば魔術図形の放つ光もぼんやりと力を増し、それに目を配りながら、少年は魔術制御の唱文を口にする。うねるようだった発光は均一になり、光量もじわじわと増えてくる。

「ねぇ、賢者さん」

 かなりの光量になった頃、光に包まれつつある少女がふいに少年に呼びかけた。少年は魔術制御の唱文を口にしているので返事は無いが、代わりに猫の目が少女の顔をちらりと見る。

「こんな事言うのもなんかおかしいけどさ、ありがとね」

 少女がはにかみながら告げた感謝の言葉に、少年はきょとんとした表情を浮かべた。唱文を途切れさせることなく、金色の目だけで意味を問えば、少女は少し笑ってまた感謝の言葉を告げる。

「変態だけど、やっぱり年上は頼りになるよ。ありがと」

 少女の言葉に、少年の微笑がくしゃりと歪んだ。それは泣き出しそうな表情にも見えたが、少年は涙を流すことはなく、ゆるゆると首を左右に振ってみせた。少年のその反応をどう取ったのか、魔術図形から溢れる光に飲み込まれる前に、少女は笑顔で少年に手を振る。それに少年が手を振り返すと同時に、少女を飲み込んだ光が溢れ、辺り一帯を白く染め上げる。

 しばらくして辺りを白く染めた光が消えた後には、役目を終えた魔術図形と、微笑を歪めたままの少年が、ぽつりと立っているだけだった。



 宴が終わって数日後、禁術を用いて異世界から巫女を呼び出した王国はひとつの発表をした。異世界よりやってきた救世の巫女が、役目は果たしたとして、己の力で元の世界へ戻っていった、という発表だった。人々は巫女の帰還を非常に残念がったが、それもしばらくのこと。いつの間にやら救世の巫女の話は物語となり、崩壊を免れた世界は、巫女を呼び出す前の安寧へと戻っていった。

 世の理が崩れ、海を飲み込んで、大地を飲み込んで、街を飲み込んで、人を飲み込んで、全てを飲み込んで崩壊するはずだった世界は、たった一人の異世界の少女の全てを飲み込んだだけで、あっさりと元の姿に戻ったのだった。



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[一言] 魂魄だけでも 帰還が叶いますように
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