第4話
静波県岩見市。北に乙越山脈、南に東見灘を抱える人口50万人の都市に労曹会はある。
静波県社会保険労務士会に所属する社労士法人としては歴史は長い方だ。
そんな歴史ある社労士法人の所長である寺坂だが、なんとなくの流れで、社労士会の役をいくつか務めている。
そのしがらみで引き受けた(引き受けてしまった)のが、静波県社労士会の定例労働相談だ。
岩見市の中心部に近い住宅街の中に、社労士会の事務局が入っている建物、「社労士会館」がある。
その一角に相談室があり、毎週相談会を開いているのである。
“しがらみ”というのはほかでもない。
前所長が、社労士会でこの労働相談の責任者をしていた際、「寺坂くん、これからは3号業務だよ。相談の腕も磨かないとな。」といって、半ば無理やりに引きずり込まれたのだった。
といっても、寺坂はそれほどこの相談業務が嫌いではなかった。
前の会社でも、何かと他の社員の相談事に乗ることは多かった。
廊下を歩いていると、「ちょっと相談があるんですが……」と声を掛けられる。
最初は「なぜ俺が?」とも思っていたが、まあ、人に頼られるのは悪い気がしない。
ただ、解決できないこともあってモヤモヤすることも多く、それが社労士の勉強を始めたきっかけの一つでもあった。
そういえば、道を聞かれることも多い。旅行先でも道を聞かれて困ったことがある。
おそらく、声を掛けられやすい“体質”なのだ。
「こんにちわー。」
「こんにちわ。今日は冷えますねぇ。」
社労士会館の重い開き戸を開けて中に入ると、奥から磯貝事務局長が出てきた。
磯貝は6年前からここの事務局長を務めている。年齢は寺坂と大きくは違わないだろう。
分厚い眼鏡をかけた、一見、生真面目に見えるおっさんだ。
社労士資格を持っており、一応、開業登録をしている。
「寺坂先生……今日はなんでしたっけ。」
「えー、そういわれると帰りたくなるな。」
磯貝は眼鏡を上げて、事務室内のスケジュールを見る。
「あーそうそう、今日は労働相談のお当番でしたっけ?」
磯貝の軽い口調に、寺坂は苦笑いする。
「忘れてたでしょ……まあいいや。今日は予約あるんだっけ?」
「2件ですね。まだ時間がありますね。相談室は暖房つけておきましたから。」
「ありがとう。じゃあ、相談者が来るまで仕事してようかな。」
パソコン一つあれば何かしら仕事ができることが、この商売のいいところである。
――いや、いつでも仕事しなけりゃならないのは、いいことなのか?
そんなどうでもいいことを考えながら、相談室でパソコンを開いて仕事を始める寺坂。
20分くらい待っただろうか。内線が鳴る。
「寺坂先生、相談者が来られましたが、お通ししていいですか?」
「お願いします。」
一人目の相談者は、中年、くらいの女性で社会保険の被扶養者要件に関する相談をしに来たという。
まあ、よくある話だ。
寺坂は106万の壁やら、130万の壁やらの話をしつつ、
「社会保険の被扶養者になるかならないかも確かに家計も気になるから大事だとは思うけど、最終的には、あなたのキャリアの問題でもあるから、旦那さんとよく相談しても良いかも、とは思いますけどねぇ。」
とかなんとか、相談員っぽいことも言ってみる。
相談者は、その言葉が意外だったようで、一瞬目を見開いて、
「そうですよね。そうですよね……。」
と口元に手を当てて考え込んだ。
「さっきも言いましたけど、子供が手を離れたので就職を考えていたんです。いままで被扶養者だったから、これからもその範囲内で、って考えていたんですが、ちょっとやりたいこともあって。」
「やりたいこと?」
寺坂はわずかに首をかしげる。
「社会保険とは全然関係ないんですが、昔から書道が好きで展覧会とかにも出品しているんですよ。」
「そうなんですか。」
「それで、老後は書道の先生でも、と思っていたんですが、この前、書道の先生から、教室を継いでくれないかって言われて……。」
「いいじゃないですか。」
「個人事業主、になるんですよね。そうなると、税金とか、それこそ社会保険とか、自分でやらなきゃいけないことも多いと思うと、なかなか面倒で。子どもも手を離れたといっても、まだ受験も控えてるし。」
「うーん、悩ましいですね。」
「先生に、キャリアの問題、って言われて……パートで働く以外にも、何かできるかもしれないな、なんて。書道に限らず、ですけど……」
寺坂はなんとなく「がんばってください!」なんて応援しそうになったが、労働相談という場なので一応控える。
「そうですね。あなたの人生ですから、あなたが決めればいいと思います。でも、一応、家族ともよく相談してくださいね。」
「そうですね、ちょっと考えてみます。ありがとうございました。」
そういって、相談室を後にした。
寺坂は相談室の入り口で見送る。
ちょっと一服。社労士会館の裏手の喫煙所に向かい、タバコに火をつける。
磯貝がやってくる。
「先生、タバコやめたら?まあ、僕は吸うけど。」
といって、懐から電子タバコを出す。加熱式のやつだ。
「磯貝さん、電子にしてまで吸う?」
「寺坂さんこそ、電子にしたら?」
「いや、この煙を吸ってる感がいいんじゃないですか。」
どうでもいい話だが、どうでもいい話が気晴らしになる。
寺坂は短くなったタバコをもみ消し、伸びをする。
「さぁーて、そろそろ来てるかなぁ。」
「先生!頼みますね!」
「……忘れてたくせに。」
ぼやきつつ、寺坂は相談室に向かう。
相談室に戻ろうとすると、玄関入り口の椅子に見かけない顔があった。
おそらく2人目の相談者、だろう。まだ、20代前半くらいの青年だ。
「相談に見えられた方ですか?」
寺坂は声をかける。
「は、はい。」
青年は、少し緊張しているようで、寺坂の顔を見るとすぐに目をそらして返事をした。
「じゃあ、中に入って、おかけください。」
「はい、あっ!」
青年は椅子から立とうとして、よろけて壁に手をついた。
倒れはしなかったが、寺坂は手を差し伸べて声をかける。
「大丈夫ですか?」
「だい、大丈夫です。」
「そう、ですか。じゃあ、中で詳しい話を。」
寺坂は、青年の腕の下に手をまわして、支えながら椅子まで誘導する。
青年は遠慮がちに椅子に腰かけた。
寺坂は、相談票を用意すると、青年に話しかけた。
「相談員の寺坂と申します。よろしくお願いします。」
青年は慌てたように、
「よろしくお願いします。」
と言って頭を下げた。
「早速ですが、予約の時にいろいろ相談内容なんかを聞いているので、ちょっと読みますね。」
寺坂は手元のパソコンに目を落とす。
「えーと、お名前は、ヤガシラ……カネノリ、さんってお読みすればいいかな。」
「はい。」
寺坂は「矢頭兼則」という名前に心当たりがあった。少し前に事務所で見かけた名前だ。
「それで、今日は、失業手当のことについて聞きたいということで、あってますか?」
「はい。それで、失業手当はもらえるんでしょうか?」
「うーん、ここでは、もらえるかどうかは判断できないんですよ。正確な話はハローワークの方で聞いてもらうことにはなります。ただ、一般的な話として、もらえる条件が整っているかどうかは確認させてもらうことはできますが、いかがですか?」
「そうですか……。」
あまり間をおかずに、寺坂は訊いてみる。
「ハローワークには行きました?」
「いえ、まだ……。」
「そしたら、少し、事情を聞かせてもらえますか?差し支えのない範囲でいいので。」
「えーと。2か月くらい前に、会社を労災で辞めたんです。そのあと、休業補償?の手続きを取ってもらったんですが、医者の方で治ったから労災はここまでと言われて。そのあと、一応、また働こうかな、と思って……。それで、失業手当ってもらえるって聞いて。」
「労災で、やめた、と。」
寺坂は、手元の記録票に書き込み、丸で囲む。
「何をやってたんですか?業種とか?」
「業種……。」
「製造業、とか、建設業、とか。」
「配管の作業、を手伝ってました。」
「建設業かな。まあ、いずれにしても、失業手当をもらえるかどうか……ですね。いくつか聞かせてもらえたらと思いますが、前の会社はどのくらい勤めたんですか?」
「えっと、4か月くらい?かな。」
「うーん、そうですか。ちなみに、離職票ってもらってます?」
「離職票……。」
「緑で線が書いてある紙で。A3くらいの紙か、印刷したもので、何か矢頭さんのお給料とかの一覧がかいてあるみたいなやつ。」
矢頭は首をかしげて天井を見る。
「なんか、会社から届いてた気がする。多分あると思います。」
「それをもって、ハローワークに行って、手続をするんだけど……ちなみに、この前辞めた会社の前には働いてない?」
「その……しばらく、家にいて……。」
「どのくらい?あ、言いたくなければいいけど。」
「いえ、1、2か月、くらいブラブラしてて。」
「そうかー。」
寺坂は、キーボードをたたいて、雇用保険の基本手当に関するサイトを表示する。
「ここに、『離職の日以前2年間に、被保険者期間が通算して12か月以上あること。』って書いてありますけど、要は、辞めた会社の前にも働いてた期間があったかどうか、聞きたかったんです。」
「……えーと、その前はコンビニでバイトして、ました。」
「どのくらい働いてました?週何日、とか、一日何時間、とか。」
「その時は、1日6時間くらい、深夜に働いてました。週に大体3日の時もあれば、6日連勤ってときもありました。」
「微妙、だなぁ。その時、雇用保険って入ってた?辞めたとき、さっき言った離職票ってもらった?」
「なんか、あったかもしれません……あ、社会保険には入ってました。」
「まあ、社保に入ってれば、雇用保険も入ってる可能性が高いかな。正確にはハロワに聞かないとだけど。コンビニ辞めた後には、ハロワとか行った?」
「いえ、しばらくは……。」
「それじゃ、コンビニの後は、さっき言った、建設業、かな?」
「そうです。」
「そうかー。」
寺坂は、矢頭に詳細を確認しながら、手元の白い紙に線を引いて、期間を区切る。
コンビニに入った日、辞めた日、建設業に就職した日、それから、辞めた日。
「こうやってみると、もしかしたら、もらえるかもしれない。理由次第、かな。退職の理由って、労災って言ってたけど、会社都合でいいですか?」
「いえ、退職届を書いてほしいと言われたので、一身上の都合って書いて出しました。」
寺坂の頭がフル回転する。どうしようか、まあ、仕方ないか、の間で次の言葉を探す。
「そうかー、そうかー。うんうん、出しちゃったものはしょうがないね。だけど、そうなると失業手当もらえるか……微妙だなぁ。その時会社とは何か話をした?思い出せるだけでいいから教えてもらえるかな。」
「その時は、僕も足を折っていたので、あまり深く考えなかったです。アイツ……社長からも、手続き上、そうなってると言われて……。」
「それじゃ、会社の都合で、とか、解雇、とか、そういう話はしなかったんだね。そうそう、何が言いたいかというと、退職の理由で、多少、要件が変わることがあって、それを確認したかったんだよね。」
「それじゃ……もらえないんですか?」
矢頭の不安そうな声に、寺坂ちょっと焦る。
「いや、まあ、会社ももしかしたら、あまり気にしなかったかもしれないし、会社と話ができれば、してみるのもいいかと思うけど。」
寺坂は、もう一度キーボードをたたいて、資料を表示した。
「このね、特定理由離職者、ってあるでしょ。確かに、いまの状態でもこれに当たる可能性が高い。要は自己都合だけど、特別な事情があって、やむを得ず仕事を辞めたとか。あなたの場合は、ケガだよね。実際にプライベートでけがをしたのなら、それでもいいかもだけど、そのけがは労災でしょ。労災なら、会社の都合でもあるともみえるので、まあ、まずは会社と話ができるのであれば、話をして、会社都合にしてもらっても、とは思います。ちょっとめんどくさいよね。なんとなく、わかりそう?」
わかりやすく説明しているつもりでも、普段聞きなれない言葉は相手には伝わりにくい。
「なんとなくわかります。へー、いろいろあるんですね。なんか、整理出来た気がします。……とりあえず、行高とは、話をしてみます。」
「ユキタカ?」
聞きなれない名前に寺坂は思わず聞き返した。
「あ、前の会社の社長です。幼馴染なんです。」
「そうなの。」
「高校を卒業してから、いえ、卒業と言っても最後の一年はほとんど行ってなかったんですけど、しばらく働かずに家にいたんです。そのときもいろいろと声をかけてくれて。」
「そう。」
「まあ、外に出るのが嫌だったけど、カラオケとか……ネットカフェとか一緒に行って漫画読んだり、ただ、近くにいてくれて……また、迷惑をかけたと思うと……。」
そこまで言って、矢頭はうつむいた。
沈黙がしばし流れる。
「……そうかぁーー。それで、アルバイトにも誘ってくれたと。いいね。」
寺坂は努めて笑顔で、矢頭を見る。
「そうなんです、いいやつで……。」
矢頭が申し訳なさそうに、ほほ笑む。
「そうやって、誘ってくれるのは、矢頭さんがその彼にとって、大事だから、じゃないかな、なんて、妄想みたいなもので、申し訳ないけど。」
寺坂は、ゆるく笑った。
「そう、思ってくれてるんですかね。」
「話を聴いてる限りは、そう聞こえるけどね。まあ、一回話ができるといいね。それからハロワにも確認だね。」
「はい、ちょっと、行高と話してみます。ありがとうございました。」
丁度、相談時間の45分が過ぎようとしていた。




