第5話
「ただいまー。」
「あ、おかえりなさい、所長。」
5時過ぎに事務所に戻ると、吉良が出迎えてくれた。
「お疲れさまです。」
「あー。つかれたー。」
寺坂は返事もそこそこに、上着を掛けて、自分の席で突っ伏した。
「今日の相談、大変だったんですか?」
「いや、それほど。でも気を遣う案件があって……なぁ。」
うつぶせになったまま、顔を横に向けて話す。
「気を遣う、って?」
「いや、な。ここだけの話、って、まあ吉良くんには知っておいてもらった方がいいかぁ。」
そう言って、寺坂は応接セットの方に向かう。
自然と吉良もついて行って、二人向かい合って座った。
寺坂はタバコを取り出す。
「所長!所内は禁煙です!」
「いや、固いこと言うなって、疲れてんだから、ちょっとくらい。な?」
「だめです。その代わりコーヒー淹れますから、ちょっと待っててください。」
吉良の淹れるコーヒーはうまい。おなじ豆を使っているはずなのに、味が違う。香りが違う。不思議だ。
寺坂は目をつぶって、ソファーに体を預けた。そのまま寝てしまいそうだ。
「はい、所長。」
かすかにコーヒーの香りが鼻をくすぐった。
起き上がって、コーヒーをすする。
12月の冷たい風で冷えた体が温まる。
「はぁー。吉良くんのコーヒーはうまいなぁ。」
「ありがとうございます。でも、タバコはダメですからね。」
寺坂はしつこい吉良に苦笑いで返す。
「それで、なんだったんですか?大変な相談って。」
「いや、大変というよりも……まあ、どこから話したものか……。」
思い悩んだ挙句、矢頭青年が相談に来たこと、労災については、矢頭自身、自分にも非があったと感じていること、奥田配管工業とは、別に関係性が悪くなったわけではないことなどを掻い摘んで話した。
「なんかね、ご縁とか、そういうのってあるんだろうなぁって、思ったんだよ。」
ひとしきり話して、寺坂は掌を温めていたコーヒーを一口すする。
「ううーん、それはまた……まあ、確かに手続はひと段落していますが、そんな感じだったんですね。」
「我々以外には口外禁止だからな。」
「言いませんって。」
吉良は心外だと言わんばかりに眉をひそめた。
「まあ、それはそれとして、悪い子には見えなかったんだよね。」
「その矢頭さんですか?」
「うーん、いろいろとあったみたいだけど。いい就職先が見つかるといいな、なんて。」
「まあ、我々には、そこはどうしようもないですからね。」
「そうなんだけどさ。こう、あるじゃん。そういうのって。」
「所長の言ってることはわかりませんが、まあわかります。」
吉良は、定例相談のある日は必ず寺坂が帰るまで待っている。
吉良自身は定例相談に入ったことは無い。
しかし、寺坂を見ていると、少しばかりの興味が湧いてきて、話を聴くのが楽しみになっていた。
寺坂としては、どこにも言えない話を吉良にこぼすことで、疲れた頭が整理され、モヤモヤした気持ちが多少は晴れるように感じていた。
「労働相談は、その後を知ることなんて少ないからね。だけど、今回の件は、どこかでつながってもおかしくはない。ただ、今度会ったら、向こうが話しかけない限りは、こちらは知らない前提でいたほうがいいんだろうなぁ。」
「そういうもんなんですか?」
「そりゃ、向こうがどう思ってるかわからんからな。相談を受けて、良かったのか、悪かったのか。それは相談者の受け取り次第で、こちらが決めることじゃない。意図せずに出会っても、知らないフリをしておくことで、相手も『あれ?別人かな?』とか思ってくれればやりやすいかもでしょ?」
「ますますよくわからなくなりました。」
「あー、もう頭が動かない。つかれたー。」
「ごまかしましたね。まあいいです。お疲れさまでした。コーヒー飲んだら、カップは片づけておいてくださいね。僕は先に帰ります。」
「お疲れー。」
吉良は、身支度をして事務所を後にした。
寺坂は、一人になって、今日の相談を思い返す。
――まあ、どうしようもないしな。ケセラセラ、だ。
解決できる相談ばかりじゃない。社労士の勉強をする前は、社労士資格を取れば、労働問題はなんでも解決できるくらいの想像をしていた。
いざ、社労士を始めてみれば、そんなことはない。
かえって、解決しないことだらけだ。確かに、問題の難易度も上がったのだろう。
しかし、知識と経験を得て見えてきたのは、果てしない地平だ。
「よしっ!」
寺坂は飛び起きると、カップを給湯室に片付け、事務所を後にした。
数か月たったある日、ひょんなところで、矢頭青年の行く末を知ることになった。
それは、吉良が赤穂建設に書類を届けに行った日の夕方のことだった。
貝賀はすでに帰って、事務所には寺坂と吉良の二人だけだった。
「所長、ちょっといいですか?」
――相談事だろうか。まさか、辞めるとか……
一瞬、寺坂は身構えたが、表情を見るとそうではないらしい。少し笑みさえ浮かべている。
「このまえの話、ですが……」
――どれだ?
心当たりがありすぎて迷う。
「矢頭青年ですよ。」
「ああ!」
寺坂も印象深かった、あの相談事案だ。
「赤穂建設のるり子さんに聞いたんですが、矢頭さん、奥田配管さんでまた働き始めたんですって。」
「え?なんでまた。」
寺坂は、思わず聞き返した。
「それが、なんか離職票の関係で若社長に相談にいったら、そのまま事務員として採用する話になったらしく……。」
「????」
寺坂の頭が追いついていかない。
――辞めさせた社員をまた雇う?しかも、仕事でケガしたのに、雇われる方も雇われる方だなぁ。
何があったのか、興味がそそられた。
「奥田配管の若社長、本業の方の仕事はバリバリなんですが、中の仕事をお義母さんがしていたらしくて、経理や労務管理はからっきしらしいんですよ。それで、矢頭さんがその引継ぎにはいった、って話らしいです。」
「そうなの!?……まあ、良かったって言えば、良かったのか?」
「まあ、なんか、一生懸命やってるみたいで、今は業務指示書のチェックもしているらしいですね。」
「なんか、因果というか、なんというか。まあ、楽しく働けてるんならいいかな。」
「若社長とも幼馴染なんですって?うまくやってるみたいですね。」
「近しいと、また、揉めるときは揉めるんだけどね。」
「所長、素直じゃないですね。」
「そんなことないよ。俺はいつだって素直なんだから。そうそう、素直にそろそろ飲みに行こうかな。吉良くんもいくかい?」
「まあ、うーんそうですね。今日はご一緒させてもらってもいいですか?」
「もちろんだよ!何か食べたいものある?」
「お任せします。」
「……おごらないよ?」
「期待してませんから。」
寺坂は、こんなやり取りがずっと続けばいい、そんなことを思いながら、吉良とともに事務所を後にするのだった。
――10年後、件の矢頭青年が社労士資格を取って、寺坂の前に現れるのは、また別のお話で。
【矢頭兼則】
有限会社奥田配管工業の元バイト。いまは事務員として働いている。
【奥田行高】
奥田配管工業の現社長。矢頭の幼馴染。




