第2話
寺坂は悩んでいた。
目の前に、スフレチーズケーキと、レアチーズケーキが並んでいる。
スフレの柔らかい食感と優しい甘さもいい。
レアチーズケーキの酸味と甘みと添えられたベリーソースのマリアージュも捨てがたい。
「うーん」思わず声がでる。
コンビニエンスストアのスイーツも進化した。
何ならお値段も進化している。
普通にケーキ屋さんでケーキが買える値段だ。
「よしっ!」
気合いを入れると、スフレチーズケーキを手に取り、ビール缶とともにレジで精算。
エコバッグに詰めて、そのまま社用車で帰宅。
「ただいまー。って、誰もいないか。」
玄関を開けてリビングへ。
一応、4LDKのマンションを中古で購入。
息子も独立したし、妻とのんびり、と思ったら、妻が実家で介護をしなければならなくなり、一人暮らし――いや、同居人がひとり。
「んー。」
甘えた声を出しながらやってきたのは、寺坂家の猫。名を「カンスケ」という。
どこにでもいる雑種だが、目のまわりが茶色の毛に覆われていて、本当はタヌキかもしれないと家族にはいわれている。
カンスケは、ローテーブルに飛び上がると、寺坂が酒の肴にしているチーズケーキに鼻面を寄せた。
「カンちゃん、だめ。」
寺坂に阻止される。
カンスケはスゴスゴと去っていき、寺坂の足元で毛づくろいを始めた。
赤穂建設を出たのは、20時をまわった頃だった。
あのあと、社長が浅野の事情聴取に同席してほしいと言うので、仕方なく付き合っていたのだ。
別途報酬を請求したいところだったが、面倒くさかったので、スルーした。おそらく、吉良には怒られる。
「浅野さん、何があったか改めて聞かせてもらえますか?」
事情聴取の形式については、以前、寺坂からレクチャーしてある。
どんなに親しい(と思っている)従業員でも、形式は大事である。
会議室に机を並べ、大石社長と寺坂は並んで座った。浅野はその向かいのパイプ椅子に腰掛けている。
「なにって、この前言っただろ。俺が責任取れば終わりの話だろ。」
聞いてみると、想像よりも事情は複雑だった。
下請の配管業者は、以前から付き合いのあったところだったが、最近代替わりしたらしい。
その新社長がたまたま友人(仮に「Aくん」とする)をバイトで連れてきていて、そのAくんに浅野は細かく指示を出していたらしい。
その指示された作業をしている最中、浅野が少し目を離した瞬間に、Aくんは配管を敷こうとしていた穴に落ちて、骨折したらしい。
Aくんはそのまま病院へ。
配管業者の新社長は自分の責任だからと言ったが、救急対応や、現場検証で時間がとられて、その日は予定の作業を終えられなかったらしい。
翌日、浅野が現場に行ったところ、このAくんの親が怒鳴り込んできたという。
うちの子のケガは浅野の責任だということらしい。
新社長は昔から面識があったらしく、その場は収めてくれた。
ただ、今後は契約書にあるように、直接指示するのではなく、あらかじめ、必要な工程は書面によって指示するように釘を刺されたのだ。
――カスハラって、まあ確かにBtoBも対象ではあるけど、配管業者から度を超えた要求をされているわけでもなさそうだ。その親御さんを「顧客等」と捉えるかは微妙だよね。まあ、その場は新社長が収めてくれてるし……ひとまず様子見、かな。
と、寺坂もあたりを付ける。
浅野も怪我をさせたという負い目を感じ、その後の作業を手伝ったらしい。
件の残業はこの時のことのようだ。
「え、もう片付いた話なんじゃ……」
寺坂は思わず口を挟んだ。
確かに、赤穂建設の下請企業の労災について、吉良が労災請求の手続きを取っているのを見た気がする。
浅野が答える。
「いや、確かに向こうの若社長はいいって言ってくれた。だけど、それじゃケジメがつかねぇ。ケガをさせたのは俺の落ち度だ。」
「……確かに、浅野さんのいうこともわかります。大石社長は……どうお考えなんですか?」
「……俺は、まだ浅野のじぃ、さんにはいてもらわなきゃならんと、そう思ってる。」
大石が無理に「浅野さん」と言おうとして、変な噛み方をした。
「そうですか。浅野さんはそれを聞いて、どう思いますか?」
「いや、そうは言っても、俺ももう80だしなぁ。そろそろ、お役御免にしてもらいたいもんだよ。雄ちゃんも、もう立派に社長を務めてるんだ。いいだろう?」
そういって、浅野は大石の目をジッと見つめた。
大石は眉を寄せてその視線を受け止めた。
おそらく数秒、しかしとても長く感じられる瞬間だった。
寺坂は、それぞれの顔を伺いつつ、少し息をはきながら、
「……そう、ですよね、浅野さんもそろそろご年齢もあるし、体もしんどい、じゃないですか?」
浅野は一瞬だけ寺坂と目をあわせると、わずかに微笑み、
「そう、なんだよ。体がもうついていかなくて、な。最近、足は動かねぇし、なにより、頭がボケて咄嗟に動けなくなった。あの事故も、俺の手が出てりゃ助かったんだ。」
浅野は悔しそうに顔を歪めた。
「そうですか……大石社長、浅野さんはそういってます。しかし社長、私には何もできません……心苦しい、ですが。」
「……そうだな。私が、決めるべき、だな。だけど、すぐってわけにはいかない。浅野さん。るり子も浅野さんをまだ頼りたいと思ってる……。」
大石は、大きく息を吐いた。
「……爺さん、もう少し、いてくれないか?何なら、日を減らしたり、現場に出ることだけやめてもらったっていい。」
そう言った大石の目には、わずかに涙が滲んでいた。
――鬼の目にも涙、って言ったら台無しだな。
寺坂はそんな不謹慎なことを考えていた。
時代は変わる。
しかし、人と人の繋がりは、それほど変わるものじゃない。
寺坂はそう思いながら、スフレチーズケーキの最後の一切れを、ビールで流し込んだ。
後日談。あのあと配管業者とは話し合いの末、契約通りの手順で、作業指示用の書面をお互いの監修のもとに整備し、運用することとなった。
現場では、それぞれの役割が明確になり、慣れとともに効率も上がっているようだ。
浅野といえば、あれから週3日勤務の労働契約を結び直し、後進の育成、主にるり子への引き継ぎに勤しんでいる。
事務所でパソコンに向かいつつ、セミナー資料と格闘している寺坂に電話が入る。
「所長!赤穂建設さんからです!」
吉良が狭い所内にも関わらず、無駄に大きな声で寺坂を呼ぶ。
「はい、はーい。こっちまわしてー。」
寺坂が電話を取ると、相手はるり子だった。
「寺坂さん、今回はありがとうございました。父も、本当は浅野さんにいてほしかったんだと思います。もちろん私も。」
るり子は電話口でささやくように、しかし嬉しさのにじむような声で話した。
「私もお役に立てたのならよかったです。また、何かあれば呼んでください。まあ、何もない方がいいんですがね。」
寺坂の声も明るく弾んでいた。
「そうそう、大石がまた寺坂さんを誘うつもりみたいです。」
「え、大石さんについてくと、朝帰りだからなぁ。あ、こんなこと言わないでね。楽しみっ!楽しみにしてるから!」
「ふふっ。言いませんよ。またお願いしますね。」
そう言って、電話は切れた。
「所長。赤穂建設さん、なんでしたか?」
「まあ、お礼の電話、かな。」
「ほんとですか?」
「ほんとほんと!」
「ますます怪しいですね。飲みに誘われたんじゃないですか?」
「そ、そんなことはないよ。るり子さんだったでしょ?」
「大石社長からの言伝かもしれないし……まあ、飲むのはいいけど、翌日の仕事には差し支えないようにしてください。」
「はい!」
「まったく。返事だけはいいんですから。」
吉良のあきれ顔が、平穏な日常を表しているようで、寺坂の口元にはわずかに笑みが浮かんでいた。




