炎の翼
敵艦艇の執拗な対空砲火を潜り抜ける。
四方八方から、曳光弾が迫ってくる。空母に爆弾を喰らわせたお前だけは決して生きて帰さないという恐ろしいまでの執念を感じた。
狙いは正確で、レイピアの刺突が如き鋭さで曳光弾が迫ってくる。フラフラヘロヘロとあらぬ方向へ飛んでいくものは見えない。
さながら、陸軍の記録映画にあった、銃弾と鉄条網の下を掻い潜り敵陣に肉迫する兵士の気分をヘンダーソンは感じた。
高度を努めて低く、甲板より下を保つ。
エンジンを最大までぶん回す。
せっかく命中させる大戦果を打ち立てたのに今撃墜されてはつまらない。
必死だった。
一瞬後には撃墜されてしまうのではないか。その考えは、鮮明な映像となって次から次へと脳裏に流れ込んでくる。
全身を火に包まれながら海面へ激突する最後、操縦系統をやられて水面に突っ込む最後、あるいは砲弾の至近距離の炸裂、もしくは機関砲、銃弾が自身を粉砕する最後……。
シャッと曳光弾が極太の帯を残して前を横切る。ブオンという擦過音と共に真横を走る。
1秒が何倍何十倍にも感じられる時間。
それでも急降下で得た高速も合いまり、2分も経つ頃には対空砲火の射程外へ退避できた。とは言え非常に長い時間だった。
改めて敵空母を見る。
天に沖する黒煙を艦中央部から吐き出しながら悶えている。
沈みはしないかもしれないが、月単位でのドック入りが必要になるのは確実だ。
集合点で編隊を組み上げ母艦を目指す。
戦闘機5機、ドーントレス3機。
編隊は、以前このタイミングで奇襲されたことを踏まえ、警戒を厳にしていた。
上空の戦闘機隊が動いた。
敵戦闘機が襲いかかってきたらしい。
雲のせいかヘンダーソンからは見えないが無線が飛ぶ。
『5時上方に敵機!』
直後にポートも声を張り上げた。
「見えた!6機……、いや7機いる!」
ヘンダーソンも振り返って見れば、殺意を充溢させた敵戦闘機の群れが猛然、急降下で迫ってきていた。
味方戦闘機隊がドーントレス隊に傘を差すように動く。
そこへ敵戦闘機隊が突っ込んで猛烈な乱戦になった。
先刻の対空砲火で被弾し、フラフラと飛んでいた味方戦闘機が真っ先に墜とされた。
戦闘機の数の差に、敵機は早くもドーントレス隊に襲いかかってくる。
急接近してくる敵機の初撃は横滑りでかわした。速度のついた敵機はこれだけでも追従できず前へ抜けていった。
今や、盛夏を謳歌する蝿や蚊のごとく、両軍の航空機が乱舞していた。
ヒョイと首を巡らせれば、また火に包まれながら落ちていく機体がある。
また敵機が後ろに喰い付いてきた。こちらはオーバシュートさせてもハイヨーヨー(上昇して速度を高度に変えてオーバーシュートを防ぐ機動)でまた後ろに占位した。
サーっと死神の手が伸びてくるみたいに曳光弾が飛んでくる。
死の恐怖に背筋が凍る。
後席ではポートがガムシャラに機銃を撃っている。
速度が大きく削れる旋回は避けて、上下左右に細かく機体を揺らし射弾から逃れる。
前方の厚い雲目掛けて一直線に遁走する。
しかしいくら全力を尽くしたところで、機体の性能差は埋め難い。
加えれば、そもそもヘンダーソン達艦爆乗りは本領ではない空戦の訓練をあまり受けていない。
さらに敵機1が背後に迫る。
ちょこまかと動くだけでは対応できない。速度が削られるのを承知で旋回旋回、旋回。骨がギシギシと、腕の筋肉がメリメリと悲鳴を上げる。脳への血流が増減して気持ち悪い。
左から右から、突っ込んでくる敵機。一見乱舞するような無秩序さも、その実追い込み猟のようにヘンダーソンの機動を制限し、針路を誘導する。
後上方至近、最良の射撃位置に敵機。
敵機パイロットの確信に満ちた顔が見えた。
「馬鹿野郎!」
まだやられはしないと操縦桿を右に乱暴に倒し、ガーンとこれまた乱暴に右のフットペダルを蹴りつけた。
瞬間、グルンと機体は右主翼の先端を軸にして旋転しつつ、かつ落下していく。
スナップロールと呼ばれる片翼を急激に失速させる機動。
ヘンダーソンの行ったのは練達の戦闘機パイロットのやるような、1発で相手の背後を取るような高度なものではない。
けれど相手の射線から逃れるのには十分なものだ。
実際ヘンダーソンの技術は未熟で、復帰するのが遅くなり、ポートが墜落するんじゃないかと大声でヘンダーソンの名前を連呼した。
ただそのおかげか、敵機はヘンダーソン機を撃墜したものと思ったか追ってこない。
いや。
虎口を脱したかと安堵したのも束の間、目の鋭い敵機が、ヘンダーソン機がまだ健在であることを認めて追ってきた。
海面近くまで降下してきてしまったから回避機動のための速度がもうほとんど無い。
それでも一撃二撃は横滑りに小旋回で際どいところだったが回避した。
見れば少なくとも3機が自分に群がっている。
ガンガンと凄まじい音がして風防が砕けた。
機体がグラグラして安定しない。
敵機が射撃位置につく。数瞬後には自分とポート、愛機は血と肉と鉄片となって南冥の海に散るだろう。
「畜生!畜生!」
後席ではポートがヤケになって機銃を撃ちまくっている。
ヘンダーソンは死を悟って急速に無気力になって、ただ漫然と自分を殺す敵機を見た。
曳光弾の束が上方から敵機のコックピットを覆った。
敵機は風防を散々に砕かれ、エンジンから黒煙を吐き出しながら落ちていく。
驚いて射撃した機体を見れば、ソード少佐だった。
少佐は一瞬ヘンダーソンの横に並んだ後、降下で得た速度を使い上昇する。
後ろに敵機が食い付いた。
見事なスナップロールで1発で背後を取ると1秒にも満たない連写で敵機の主翼を破壊して撃墜した。
被弾したヘンダーソンを援護してくれる立ち回り。
再びヘンダーソンに敵機が迫る。
既に2人の間に言葉は不要だった。
ヘンダーソンが囮になり、不自由な機体を懸命に操り必死になって回避する。
そしてタイミングを合わせて旋回。敵機も大きく旋回して無防備になったところを少佐が撃つ。
この敵機は戦闘の継続が不可能になったらしく離脱していった。
あっという間に2機を撃墜し、1機に深手を負わせた少佐の力量に、ヘンダーソンは改めて舌を巻いた。
少佐は人機一体となって、鋭敏な魚のように飛び回る。
これなら帰れそうと思った矢先、左から敵機が猛然と突っ込んできた。
ブワッと猛火が左主翼から吹き出した。あまりの眩しさ。目が焼き尽くされそうだ。
燃料タンクかららしい。
ああ、これはどうにもならない。
このまま機体が焼き尽くされるか、運良く消火しても母艦までの燃料が保たない。
ここまで頑張ってこれか。
急速な無気力。
ズドドド、と真横から発射音。赤い曳光弾が前方は飛んでいく。
それでようやく少佐が並んで飛んでいて、無線で呼びかけていることに気づいた。
『消せ!消せ!』
弾かれたようにヘンダーソンは機体を横滑りさせた。
火災は風圧で消すことができる場合がある。
風圧で火を消し飛ばすのだ。一方で横滑りは速度が少し削れる。かえって火勢を増してしまう可能性もある。
けれど他に方法もない。
「あ、あ、敵機だ!敵機だ!」
恐怖を露わにポートが叫ぶ。半分泣いてるみたいだった。
少佐が鋭く翼を切り返して向かう。
少佐はヘンダーソンから敵機を引き離すように機動する。
2機の敵機に対して少佐は互角以上に戦う。
緩急混ぜた旋回、捻り込み。
一瞬にも満たない交差、少佐の射撃。
1機がエンジンから煙を吹いた。
一体全体、なぜ敵戦闘機よりはるかに性能の劣るドーントレスでそんなことができるのか。神業にヘンダーソンは舌を巻くしかない。
さらに複数の敵機が少佐機に降りかかった。
なおも人ならぬ業で果敢に喰らいつく少佐。
パッと主翼に火が付いた。
少佐を恐るべき強敵と認めた敵パイロットは容赦しなかった。2機3機と獲物に喰らいつくサメのように群がり射撃を加える。
猛烈な火が少佐の機体を包む。コックピット内から少佐が確とした顔で、サムズアップするのが見えた。
一体どんな思いを込めているのだろうか。
とてもとてもヘンダーソンには量り切れなかった。
一瞬後にはコックピットまでも覆われた。少佐の機はゆっくり回転しながら落ちていく。
鮮烈な火。
主翼の先端しか見えない。
炎の翼となった少佐はそのまま散華した。
少佐が敵機を引きつけてくれたからヘンダーソンは離脱に成功した。主翼の火災も収まった。追ってくる敵機は無かった。
空戦域を振り返る。落ちていく黒煙も曳光弾も空戦機動により生じる飛行機雲も、何も見えない。
ただ呑気な空があるだけだった。




