急降下
攻撃隊は発進した直後から悪天候に悩まされた。横殴りの強風に編隊を維持することは難しく、ソード少佐は安全のために密度を疎らにした。
しばらく進むとひどい乱流があって、編隊は針路を大きく変えざるを得なかった。
迂回して今来た方を振り返ると、おどろおどろしい鈍色の雲が垂れ込めていた。よくもまああんな不吉な雲の下を飛んでいたと思わるほどだった。
散逸気味だった編隊を20分ほどかけて少佐はまとめ上げて進む。
敵艦隊への直線針路上には断崖絶壁のような分厚い層の雲があったため、編隊はさらに迂回針路をとった。
ヘンダーソンは長時間の緊張を強いられていた。
どうやら低気圧の海域を抜けたが、依然として雲が多い。高さのある雲が多数存在していて、さながら雲の森といった様相を呈している。
ある時は自分が雲に突っ込み、ある時は僚機が雲に隠れて見えなくなる。
針路を厳密に守らないと激突して墜落してしまう。
加えて敵機への警戒も要する。
敵艦隊までおおよそ半分までの距離に達した頃、40機ほどの敵編隊とすれ違った。
雲の切れ間に見えた敵編隊がヘンダーソン達に気付いたかはわからない。
少なくともソード少佐は無視した。
もし敵機が襲いかかってきたら敵空母への攻撃はますます至難となる。戦闘機は爆弾を投棄して応戦せざるを得ないし、何機かのドーントレス撃墜されたり被弾したりで任務に耐えられなくなるからだ。
緊張は最大限に高まったが、幸い敵機は何事も無いように飛んでいった。
そして敵編隊のやってきた方向が敵空母の所在海域とピッタリ重なっていた。
×××××
0640、敵である国防海軍艦隊はソード少佐隷下の編隊をレーダーに捉えた。
直ちに対空戦闘が下令されたけれど、射撃は待つように厳重に下達された。
なぜならこのレーダーに映る機影が敵味方どちらのものかまではわからないからだ。
ヘンダーソン達がすれ違った時、国防海軍編隊はヘンダーソン達に気付いていなかった。
そのため通報も行われていない。
これを理由に国防海軍艦隊としては、何らかの理由で編隊の一部が引き返してきたものと考えた。
これはソード少佐隷下の編隊が、激突を避けるために間隔を広くとっていたことも理由としてある。レーダー上ではバラバラになっているように、つまり機械的理由で編隊の維持が困難になっているようにも見えたのだ。
無論のこと、国防海軍艦隊も万が一のため上空掩護の戦闘機の一部(4機)を割いて確認に向かわせた。
しかしこの4機は雲に阻まれ接触に失敗した。
『まるで紗幕だった』──この時の国防海軍パイロットの回想。
この幸運に助けられ、ヘンダーソン達は戦闘機の迎撃を受けなかった。
艦隊上空は細かい、千切って投げたような雲が浮かんでいた。
ヘンダーソン達が敵空母を目視したのと、国防海軍艦隊がヘンダーソン達を視認したのは同時だった。
事前に艦隊の対空砲は全てレーダー連動で編隊へ指向されていた。
それらが一斉に火を噴いた。
ソード少佐も直ちに突撃を下令した。
少佐は編隊が追い風を受けられるように針路を微調整した。こうすることで対空砲火に晒される時間を少なくできる。
爆装戦闘機隊が緩降下で先行する。対空砲火は戦闘機隊に集中する。艦隊からは雲が邪魔で、戦闘機が爆装して突撃してきていることはわからない。そもそも、戦闘機が爆装していること自体、想像が及んでいなかった。
戦闘機隊は図らずとも囮としてドーントレス隊の損害を減らすことになっていた。
対空砲火の黒煙が空を染め上げる。随所から機関砲、銃弾が空を切り裂くように伸びる。
そこへ恐れず突っ込んでいく戦闘機隊に、ヘンダーソンは畏敬の念を覚えた。
一条の火炎が海面は伸びていく。
当然、火元は落ちていく戦闘機だ。
『突撃準備隊形ツクレ』。
少佐からの無電に編隊は一本棒になる。
ヘンダーソンは編隊の最後尾に位置していた。
そこから戦闘機隊の爆撃の様子が見えた。炸裂の黒煙越しで見辛くはあるけれど、果敢に攻撃しているは間違いない。
敵空母が激しく回頭し、航跡が蛇のようにうねっている。その周囲には爆弾の着水、炸裂による波紋が無数に散らばっている。
その波紋の中に重苦しい黒色のものがある。色の正体は油で、航空機が海面に激突した跡だ。
少佐は編隊の前後の間隔を狭めなかった。依然として散在する雲のために前後での機での衝突を考慮した措置だ。
『全軍突撃セヨ』
少佐からの無電でドーントレス隊も攻撃を開始した。
戦闘機隊に指向されていた対空火器がドーントレス隊に振り向けられる。
ヘンダーソンは最後尾から攻撃の様子を見ていた。
先頭はソード少佐。ネズミみたいに必死に逃げる敵空母に猛禽類のような鋭い急降下で巧みに喰らいつく。
高度400メートル、限界ギリギリまで引き付けての投弾。
けれど敵空母は少佐の投弾直前に再び大きく回り始めた。
巨体が木の葉の様にクルクルと軽快に動く。敵ながら見事な操艦。
少佐はこれに対応し切れず、爆撃は至近弾となって終わってしまった。
対空砲火がいよいよ熾盛となる。
炸裂の衝撃波が絶えず機体を酷く揺さぶり、破片が時折り機体を叩く。黒煙で視界が極端に悪化する。
先頭から3機目が右主翼をもがれた。
片翼をもがれた蝶はこんな風に落ちていくんだろうというようにクルクル旋転しながら姿を消した。
2機目、4機目のドーントレスによる急降下爆撃も、大きく敵艦から外れて不発に終わった。
いよいよヘンダーソンの番になった。
ポートに「行くぞ」と声をかけて急降下に入る。
ヘンダーソンは、自分が最後であるという大変な重圧を感じていた。
もし自分が外したら、再度の敵空母への攻撃はかなわない。
一方で敵空母は味方艦隊へ攻撃を反復し、艦隊は甚大な被害を受ける。
機体を左に傾け、滑り落とすようにして急降下へ。
エンジンを出力30パーセントに絞りエンジンカウル・フラップも閉じる。ダイブ・ブレーキを展張。
機体は、エンジン出力を絞ったとて、1,000ポンド爆弾の重力に引かれてグングン加速していく。
ヘンダーソンはもう一回、機体が全て急降下爆撃時の動作になっているか確認した。
特に肝心要の投弾レバーに異常が無いことを確認した。
「6,000メートル……、5,000メートル……」
ポートが高度を叫ぶ。
木の葉のような小ささの敵空母がみるみる間に大きさを増していく。
敵空母の動きが緩慢になっていた。航跡が描く弧も半径が大きくなっている。回避回避の連続に速度が落ちている。
絶好の機会。
「4,000……、3,000……」
曳光弾が火の槍衾として迫ってくる。曳光弾でこれだけということは、実際にはこの数倍の弾が飛んできている。
そう考えると、背筋に寒気が走るのをヘンダーソンは抑えられなかった。
現在敵空母は全力で右に回頭中。先程から観察していたヘンダーソンは、敵空母の回避の仕方にパターンがあるのに気付いた。
右あるいは左に大きく舵を切った後、投弾のタイミングを見計らって逆方向に舵を切って逃れるのだ。
言うは易し。過早に舵を切ればドーントレスに追従され、遅きに失すれば逃れられず爆弾を喰らう。
非常にシビアなタイミングが要求される。
「2,000……、1,000……」
ヘンダーソンの予期した通り、敵空母が左に転舵しだした。そして緩慢だ。ヘンダーソンの睨んだ通り、速力が大幅に低下していた。
「そらきた!」心中で叫ぶとすぐ左に機体を捻って追従する。
「800、700、600……」
空母は指呼の距離。飛行甲板が射爆照準器いっぱいに溢れる。
もう砲弾は飛んでこない。速度に照準が追随できていない。振り切った。
機関砲、銃弾は変わらず槍衾がごとくだが、照準に集中したヘンダーソンは、もはやその熾烈さなど眼中になかった。
「よーい……、撃ー!」
限界ギリギリまで引き付け500メートルで投弾。
すぐに機首を上げるために操縦桿を万力で引き寄せる。
メキメキと腕と機体が悲鳴を上げる。強烈なGで目の前が暗くなっていく。
一瞬、視野が完全な暗黒に包まれた。刹那の後には水面スレスレで機体は水平になり、視野も回復した。
ズドーンと後方から途方もなく大きな爆発音。コックピットのガラスが紅蓮に染まった。
「命中!命中だ!」
ポートの歓喜に満ち溢れた声。
振り返ってみれば、敵空母は火炎と黒煙に包まれている。
艦体中央から、黒煙が沖天に達するほどの夥しさ。
何度も振り返る。
今度こそ戦果誤認ではない。確かに敵空母に命中弾を与えた。
心底からの歓喜がヘンダーソンの心に湧き上がった。




