喪失と再会
太陽が水平線に近づきつつある。
艦隊は大破したポラリス、そして正規空母を庇い魚雷2本を被雷した戦艦と肩を貸すようにして航行していた。
照準器に頭を強く打ち付けた傷の手当てが済んだヘンダーソンは正規空母の甲板からポラリスを見ていた。
ポラリスの火勢はだいぶ収まったものの、火災それ自体は依然として収まっていなかった。
火勢が弱まったことで黒煙も少なくなり、ポラリスの痛々しい姿が良く見えた。
飛行甲板の破口は惑星のデコボコした隕石の衝突跡のように捲れ上がっている。
飛行甲板後端には発艦が間に合わなかった航空機が、ある機は黒煙で真っ黒になり、また別の機は骨組みを残してそのほとんどが焼損していた。
左舷格納庫には見たところ10メートルを超える穴が空いていて、そこからも黒煙を苦しそうに吐いている。
あの分では艦内の相当広い範囲に火災が発生していて、おそらく私物も既に灰になってしまったろう。
艦橋上部に掲げられているはずの軍艦旗の姿が見えない。それだけでなく、旗旒信号の一切が見受けられない。
よく見ればマストにそれらを掲げるためのロープが無い。燃えてしまったのだろう。
傾斜も生じている。
辺りが闇に包まれるのに比して傾斜も段々と増していく。
甲板作業員が四つん這いに近い姿勢で移動しているのが見えた。
そこからさして時間は経っていない内に甲板の航空機が傾斜に耐え切れず滑落した。
反対側でゴオォォンと鈍い金属音が響いた。
「やりやがった!」と誰かが叫んだ。
釣られてる振り返ってみれば、戦艦の影から姿を見せた駆逐艦の左舷が大きくへこんでいる。同時に海面に多量の油が流出する。
どうやら燃料の移送中に操艦を誤って激突したらしい。
太陽は水平線の果てに姿を没し、残照が海上を淡く照らす。
ポラリスの傾斜はさらに増大している。
飛行甲板に艦内から続々と将兵が出てきた。総員上甲板が下令されたのだろう。「総員上甲板』、艦を棄てる総員退艦の一歩前の命令であり、実質的に総員退艦と変わらない。
短艇が海面に次々に降ろされる。
その他艦内から浮遊物になりそうな物が海面に投げられる。
幸い敵襲下ではないし、また夜闇迫る現在において新たな敵襲も考えにくい。
退艦は整然と進んでいた。
この様子なら負傷者も退艦できるだろう。
同時に戦艦からも総員が退艦していた。
艦隊外周を駆逐艦が対潜警戒のために走り回るその内側で2艦からの退艦は粛々と進んだ。
退艦が終わるとポラリスも戦艦も駆逐艦の手で処分された。
ヘンダーソンは沈みゆくポラリスをじっと見ていた。
ヘンダーソンにとってポラリスは初めて乗った艦船であり、同時に乗艦経験の全てである。
駆逐艦によって放たれた魚雷が2本の水柱となり舷側に屹立した。
その水柱が重力によって崩れるのと時を同じくして、ポラリスはいよいよその傾斜を深めていく。
喫水線下の赤の塗装が海上に現れて、ポラリスは転覆した。艦尾が持ち上がり、スクリューが現れた。そのまま垂直に近い角度になり、ゆっくり静かに海面下に沈降して消えた。
半身が失われたような悲痛だった。
搭乗員室は相次ぐ甚大な損耗、果てはポラリス撃沈に沈痛な空気が満たしていた。
各人は半ば茫然自失としていて、それぞれに気を紛らわしていた。
「もしかしてヘンダーソンか?」
そう背後から声をかけて現れたのは、急降下爆撃の教育部隊時代の教官、ソード少佐だった。
ソード少佐は豊かな黒髪をポマードで後ろに流している。鳶色の目。痩せ型。
「1つどうだ?」言いながら取り出したのはトランプだった。
「では」
2人は静々と興じた。そうすることで失意から目を背けた。
「そういえば見たか?識別番号」
「敵機のですか?見てないですが……」
「俺達が爆撃に行ったのと今回の防空で同じ奴がいたんだよ」
「それってつまり」
敵機は垂直尾翼に数字とアルファベットを組み合わせて所属を示すようにしている。同一の識別番号は存在しない。
「敵空母は健在ってことですか?」
「俺はそう思ってる」
「にわかには信じがたい話です」
ソード少佐の推測が正しければ戦果誤認ということになる。あるいは敵空母が脅威的な速さで復旧したか。
我知らず思い返すのは教育課程の偵察に関する授業。
過去の戦訓から、目標と自分の手前に炎上するものがあった場合、目標が炎上していると錯覚することがある。
今回、それに当てはまるのではないかとソード少佐は言うのだ。
可能性は大いにあるとヘンダーソンも思う。あの時は対空砲火も激烈で、炸裂煙で空はインクで染めたかと思うほど真っ黒だった。あの頗る悪い視界では誤認が起きたとして不思議はない。
「こう言うのは失礼ですが……、本当に同じ機だったんですか?」
空戦時は時速400キロを優に超える。その速度下で一文字違わず視認できるものだろうか?
ソード少佐が非常に優れたパイロットであることは教え子であったヘンダーソン自身、百も承知だ。だけれども、戦場という圧力下で少佐自身も誤認した可能性もあるのではないか。
「識別番号だけじゃないんだよ」
もちろん、お前が誤認を疑うのは良くわかる、と頷いて少佐は続ける。
「別の機体のペイントも識別番号も見た。黒の槍騎兵に白の一だった」
「じゃあ……」
「間違いないよ。俺は敵空母に関する戦果は誤認だと確信してる」
重苦しい沈黙が2人を包んだ。
「さて、占ってもらおうか」
沈殿した空気を払拭するように言うとカードをシャッフルしはじめた。
「はあ……」
要領を得ないヘンダーソンに対して、少佐は胸元から5枚のカードを取り出した。
Jのスリーカード。少佐が大勝ちした時の組み合わせ。
そういえば少佐はこれを幸運を招くお守りとして常に胸ポケットに入れていたと思い出した。
「5枚引いてくれ。俺のツキを見る」
整理すると、ヘンダーソンがランダムに引いた5枚と少佐の5枚、どちらが勝るかで運を占うらしかった。
「わかりました」
結果は10のスリーカード。少佐の辛勝ということになる。
「どうやら、まだツイてるみたいだな」
ニッと快活に笑うと親指を立ててサムズアップした。機嫌が良い時や、訓練で教え子が良い成績を残した時に少佐がよくやるポーズだった。
ジッとスピーカーが雑音を立てた。
『ソード少佐、至急艦橋へお越し願います』
「さてさて、作戦会議かな?」
若干おちゃらけたように言って少佐は席を立った。




