ポラリス被弾
被弾し、大量の火炎と黒煙を吐くポラリスは、ヘンダーソンの目にベッドの上でもがき苦しむ末期の病人に見えた。
「畜生……、畜生……!」
上空からでは被害の程度が掴めない。
しかしおびただしい黒煙からして相当な深傷を負ったらしい。その濛々たる黒煙も、飛行甲板の穿孔からだけでなく、艦体横からも流れ出ている。
艦首の蹴立てる波濤も少ない。速力も落ちている。
艦尾からパラパラと何かが落ちているのも見えた。
敵雷撃機4機が横一直線でポラリスに迫っていた。
操縦桿を荒々しく押し倒し後先考えず急降下で追う。
ミシミシと機体が悲鳴を上げ主翼にシワがよる。
「へ、ヘンダーソン!」
「大丈夫だ!」
急降下爆撃機乗りとして機体の限界速度は十分承知している。
雷撃機編隊は海面スレスレ、ヘンダーソンの見たところ10メートル以下を飛んでいる。そのため急降下のまま覆い被さるように射撃すると機体を引き起こす前に海面に突っ込んでしまう。
よってまず敵雷撃機編隊から離れた右横に降下、そこから敵機の横っ面を殴るように機体を導く。
敵機を射線に捉えた。敵編隊からの反撃の防御銃火はヘンダーソンの狙い通り、編隊一番端の機からしかなかった。
ヘンダーソンがそうなるように機を操縦した。
射撃の瞬間、照準器に何も映っていなかった。
ヘンダーソンは咄嗟にさとる。先程急降下で敵機を追った時、敵機の防御銃火で壊れたしまったのだ。
ヘンダーソンが驚いた一瞬で、急降下で速度のついた機体はあっという間に敵機に近付いていた。
ええいここまで近かったら照準器なんかいらない、と射撃。実際、敵機との距離は20メートルほどしかなかった。
瞬く間に敵機を通り越した。打撃は浅いだろう。いや命中したかすらわからない。
急降下で得た速度を使って右斜め上方に離脱。全体として縦に大きいバレルロールで再度射撃位置につく。この機動中にたたまれている予備照門を起こした。これは円状環の照準器である。
ヘンダーソンが射撃位置に占位する前に僚機が射撃を開始した。
自分の後ろにいるはずの僚機が前にいる。ここでヘンダーソンは自分が先ほどの急降下で僚機を振り切る失態を犯したことを知った。
その僚機は、大急ぎでヘンダーソンを追ったために、敵雷撃機編隊の真後ろから進入していた。
4機すべてから防御銃火を浴びて僚機はエンジンから火を吹いた。
生還期し難しと僚機は考えたか、猛火を曳いたまま敵機に体当たりした。
2機はほとんど一塊となって海面に激突して凄絶な最後を遂げた。
感傷を置き去りにしてヘンダーソンは射撃した。僚機の仇討ちと猛射した。
後部席の風防がパッと血に染まり、撃ち抜いた右翼燃料タンクからブワッと紅蓮の炎が噴き出した。
敵機はグラリと揺れると強烈なアッパーを喰らったみたいによろめきなら海面へ激突して果てた。
前につんのめって機体後部が持ち上がった。尾翼と合わせてそれが墓標に見えた。
ヘンダーソンが再度縦長のバレルロールで射撃位置に占位しようとする間に、ポラリスを指呼の間に捉えた敵機は魚雷を投下した。
バシャンバシャンと2本の水柱が上がって、海面下を魚雷が航走するのがロールの頂上からハッキリ見えた。
1本は艦首前方を通り抜けそうだが、1本は回頭中のポラリスの艦腹ど真ん中に命中するコースだった。
既に爆弾1発を被弾し猛火に包まれているポラリスがさらに魚雷1発を被雷するとなれば撃沈は避けられない。
瞬間、ヘンダーソンの脳裏によぎったのは新聞の記事だった。去年、1人のパイロットが同様の状況において、戦闘機諸共魚雷に突入し母艦の危急を救った。
その行動に倣おうとした。だがループの頂点にある機体は速度を大きく失っているために機敏に動かない。
魚雷はスルスルと海面下を疾駆している。あまりにもどかしかった。
ようやく機首が下を向いた時には魚雷はもう防ぎようがないほどポラリスに迫っていた。
もうダメかと観念し無念が胸を占めた。
曳光弾が魚雷に集中し、次の瞬間にドーントレスが魚雷に突入した。
魚雷の炸裂による水柱が収まった時、ヘンダーソンが僅かにでも視認できるものは無く、パイロットも機体もすっかり消えてしまっていた。
爆撃と雷撃は終わったが、一部ではまだ空戦が展開されていた。
よく見るとドーントレスとサイレン、艦爆同士の空戦だった。
直ちに機首をそちらに巡らせる。
形成我に利あらずとみて最短距離を飛ぶために艦隊上空を横切る。
友軍であることを示すバンクをしながらであるにも関わらず味方艦艇から射撃を受けた。
完全に頭に血が昇ってしまっているらしい。何よりヘンダーソンの癪に触ったのは、誤射に限って精度が良いことだった。
ガンガンカンカンと機銃弾、破片が機体に食い込む音がする。
「このアホ!」
「マヌケ!」
ヘンダーソンとポートは揃って中指を立てながら口汚く罵った。
艦艇上空を通過する時、ようやく友軍機であることに気付いた水兵が驚きにアングリと口を開けていた。
艦隊上空を横切った勢いのままヘンダーソンは乱戦域に突入した。
友軍機も敵機も、夏真っ盛りのハエや蚊のようにメチャクチャに飛び回っている。
ヘンダーソンは友軍機を追っている敵機に狙う。
しかし敵機はヘンダーソン機の射程距離に入ることなく遠ざかっていってしまった。
追われている友軍機と連携を取ろうにもポラリス所属機ではないようで、無線周波数がわからずできない。
敵機の射撃で、そのドーントレスの左右両主翼、胴体が肉切り包丁でブツ切りされたかのように切り離されてそれぞれバラバラに海面に落下した。
この野郎と追ったが、その敵機はスルスルと速度のまま逃げて行ってしまった。
ふと右上空にこちらに射線を合わせようと旋回してくる敵機が見えた。
回避できない。
ヘッドオン。
いや、敵機の方が旋回半径の内側に潜り込んでいる。つまり自分が敵機を向く前に敵機は射撃する。
咄嗟に機体を横滑るさせた。
急に思い切り操縦桿を倒しフットペダルを踏んだからガンと体が機体に叩き付けられた。
目の前を棍棒ほどの太さもありそうな光が横切った。30ミリ機関砲の曳光弾。
バンと鬼教官が机を思い切り叩いたような重い音、それから視界を奪い尽くす閃光が走った。
見てみるとエンジンカウルの一部が無くなっていて、エンジン本体が見えていた。
風防も一部破壊されてビュウビュウと強風が吹き込んでくる。
周囲を見渡すと敵機は揃って離脱していく。
自分達の本領は空戦ではないから、燃料のこともあるから、といった具合だ。
これを受けて友軍機には、やれやれ機体性能に優れる敵機とのこれ以上の空戦を避けられた、との安堵の空気が広がっていた。
ポラリスまで戻ってみると、爆弾の命中を受けた飛行甲板は捲れ上がり、破口からは未だ大量の黒煙を吐き出している。
到底着艦など望めない。
自機に目を転じれば、エンジンは時折り咳き込むように異音を立て、それにどうやら出力も出ていない。加えて、おそらくエンジンの異音に連動してガタガタと揺れる。
そう長くは飛んでいられない。
そこで無傷の正規空母の方へ向かった。
『着艦セヨ』を意味する旗旒信号はないが、それでも機体の状況を鑑みて着艦するに決めた。
空母を周回して甲板上が空いているのを確認すると着艦コースに機体を乗せた。
アレスティング・フックを下ろす。
エンジン出力を絞った途端、ガガガガンと内部で金属が暴れ回るような異音が連続して、振動が抑えきれないほど大きくなった。グラングランと機首が大きく揺れる。
さらにエンジンオイルがすごい勢いで吹き出した。
粘度のあるオイルがベッタリと風防全面に粘り付いて視界がまったくきかない。
風防を開けて横に顔を出して視界をとる。
コックピット内に焦げ臭さが漂う。
エンジン出力が急激に低下している。
スロットルレバーをエンジン出力全開の位置に倒すがどう見たって半分も出ていない。
みるみる高度が下がっていく。空母には達し得ない。
「着水する!」
ポートに怒鳴り機首を懸命に持ち上げる。
機首から降下していっている。
海面に機首から突っ込めば、つんのめるようにして最悪前転、転覆してしまう。
帝国軍では、不時着水では三点着陸の姿勢をとるように教えられている。
目一杯操縦桿を引き付けて、辛うじて機体が水平になったぐらいで着水した。
ドシンと衝撃があって、体が前に投げ出される。シートが骨を粉砕してしまうのでは、というほどの勢いで体に食い込んだ。
衝撃対応姿勢をとる暇がなかったために、ヘンダーソンは頭を強かに照準器にぶつけた。
それでもなんとか着水には成功して、2人とも機体から脱出できた。
駆逐艦に救助されて、この日の2人の戦闘は終わった。




