直掩の任
『敵空母一大火災、傾斜ヲ認ム
艦種不詳一大火災』
この戦果報告に搭乗員のみならず、整備員、果ては艦長も大いに湧き立った。
ヘンダーソンは密かに胸を撫で下ろした。些細なことで命中間違い無しの爆弾を外してしまったが、他の機がそれをリカバリーしてくれたようだ。
大火災に加えて傾斜を生じているとなれば相当な深手を負ったろう。となればこれ以上の追撃はできないはず。どうやら無事に基地に帰還できそうだ。
そういうわけで、翌日、艦隊上空の直掩任務(CAP=Combat Air Patrol)に就くヘンダーソンは多少気が緩んでいた。
いや、ヘンダーソンだけではない。艦隊全体に、なんとか山場を乗り切ったという弛緩した空気があった。
もっとも、激闘の後では無理もないことではあった。
一方、戦果に比して損害も大きかった。艦爆乗りのヘンダーソンが、本来戦闘機が従事するCAPに就いているのもそれが理由である。
もはや上空直掩の任務を戦闘機だけでこなすことはできなくなっていた。
また、特に痛手となったのが、ポラリス飛行隊長のオリオン中佐を失ったことだった。同中佐はポラリス全艦載機を纏める立場にあっただけでなく、飛行時間1,600時間という大ベテランでもあった。
ちなみに、帝国軍では飛行時間500時間で一人前と認められる。
高度5,000メートル。眼下を整々と進む艦隊は意気軒昂としていているように見える。
敵艦載機の熾烈な空襲を乗り切り、その上で敵空母に痛打を与えたのだから当然だろう。
しかし、であればなぜ追撃しないのだろうか?軍事の常識として、敵を打ち負かしたならば追撃を発動して戦果を拡張すべきだ。
実際問題、艦隊司令も各艦艦長も参謀も、皆等しく追撃したかった。
しかし性急な立案、実行だった今回の作戦のために各部で燃料弾薬の不足が目立ってきていた。
艦載機については、皮肉なことに大きな損害で数が減ったために、少ない弾薬、燃料で足りる。
特にネックになるのが、駆逐艦には帰還に最低限の燃料しか残っていないことだった。
大破した敵空母は間違いなく、我艦隊とは正反対の東に反転しているだろう。艦隊を反転したならば、まず間違いなく駆逐艦は油切れに陥ってしまうのだ。
また他の観点として、今後の任務に差し障る、というのもあった。
ポラリスは本来任務は船団護衛、対潜警戒。これ以上艦載機が消耗すると任務が遂行できなくなる。というより現段階でも受忍できる損害を超えていて、これ以上は容認できなかった。
補給についても、ウォルマス海軍基地が壊滅的な損害を受けたために遅れが生じるのが必然の状況とあってはなおさらである。
これら情報に接しないヘンダーソンも、艦隊の継戦能力が限界に達しつつあることだけは理解していた。
だんだんと雲が出てきた。ちぎっては投げたように散在していて、中には高度も幅もある雲もある。
ヘンダーソンの元にポラリスから切迫した声の無線が飛び込んできた。
『敵編隊1-9-6』
それきり無線は黙ってしまった。敵編隊の方向はわかったが、高度と敵編隊までの距離がわからない。よほど慌てているのか、ヘンダーソンが問い返しても反応しない。
「畜生め!」
吐き捨てて、ともかく機首を敵編隊の方向に向け、戦闘速力に増速、高度をとる。
敵の戦闘機に機体性能で劣る以上、会敵までに高度優位は取っておきたい。最低でも同高度はほしい。
それで敵の位置と距離は?
ヘンダーソンには推測する材料がいくつかあった。
第一にポラリスから敵編隊の通報を受けたこと。目視に頼るポラリス見張り員が発見して視力に優れるヘンダーソンが発見していないということはない。
ということは戦艦がそのレーダーで探知したのだろう。
レーダーの性能は探知距離約100キロメートル。
伝達にかかる諸々の時間、先ほどの無線の慌て振りから想像できる混乱を考慮して敵機の位置は戦艦からざっと80キロメートルと判断した。
次に高度。これは予想しやすい。敵国防海軍機は教本がそうなっているのか、大体の場合高度6,000メートルから急降下にうつる。と教官が言っていた。
よって少なくとも急降下爆撃機はその高度を飛んでいるだろうと予測がつく。我艦隊からの距離を考えれば雷撃機もまだ同高度で編隊を組んでいる可能性が高い。
護衛戦闘機は大体その上方1,000メートル乃至2,000メートルだろう。これは帝国軍でも変わらない。
護衛対象を守るとなると大体それだけの高度がいる。
以上を根拠にヘンダーソンは高度を7,000にとった。乗機ドーントレスの実用上昇限度は8,000と少しだからエンジンはかなり苦しい。
それからヘンダーソンは敵編隊と真正面からぶつからないように針路を横にずらした。火力でも劣っている以上正面からの撃ち合いも不利なだけだからだ。
敵の側背から攻撃できれば満点。
五分ほど飛んでいると空の彼方からポツポツと無数の黒点が滲み出てきた。敵編隊だ。
高度は自分が有利。一方で機体数は不利。
ポツポツと現れる敵機の群れは20機ほど。
サイレンが10機、その上空1,000メートルを掩護の戦闘機10機。
側面から攻撃できるよう接敵行動にうつる。
敵戦闘機は目敏く気付いて編隊の内4機が向かってくる。
正面反航。
けれどヘンダーソンに正面から撃ち合う気はない。12.7ミリ機銃二丁と20ミリ機関砲4門ではまるで勝負にならないからだ。
だから直前に横滑りさせて真横をすり抜けた。
そのままの勢いに高度を速度に変えながらサイレンの編隊に突進する。既にエンジン出力はは全開。残りの掩護の敵戦闘機は速度で振り切る。
サイレンが防御機銃が雨あられと撃ってくる。
機体を右に左に横滑りさせて敵弾の回避に努めつつ敵機に肉薄する。
至近まで詰めなければ命中させることも、動揺を誘い爆撃を妨害することもできない。
弾幕の驟雨は避けるに避け切れずガンガンと機体を叩く。
距離50メートルを切り最早照準の必要も無い。瞬間、直線飛行に戻り刹那で射撃。そのまま敵編隊下方に突き抜けた。
グイと機体を引き起こして振り返ると敵機は何か白っぽい煙を吐いている。
僚機の射撃は空を切った。
敵戦闘機4機がなおも追い縋ってくる。
ただヘンダーソンは攻撃後、直線に逃げ込める分厚い雲がくるように飛行していたから一旦は追撃を振り解けた。
雲を遮蔽に高度を取り直し二撃目。1機に損傷を与えたが撃墜には至らない。
再度雲に突入し敵機を巻く。雲を出た先で待ち伏せされないように針路も変えた。
同じように高度を取り直すとサイレンの編隊が爆撃態勢になっていた。その前方には盛んに対空砲弾が炸裂している。
味方戦闘機が直掩の敵戦闘機と格闘戦を繰り広げていた。
その近くでいよいよ敵が急降下爆撃に移ろうとしている。
母艦の危機。航空兵力の源泉である母艦を失えば艦隊は制空権を失い壊滅の悲運に見舞われかねない。
最後には体当たりしてでも止めなければ。ヘンダーソンは味方艦隊の弾幕の中に遮二無二突っ込んでいった。
ヘンダーソンが射撃するより前に敵機は一個小隊の編隊ごとに急降下に入った。
距離があるが先頭の編隊の先に機銃弾を撃つ。敵機が迫っていると圧力を与えて急降下爆撃を妨害することを意図してだ。
しかし半ば以上に予期していた通り敵機は微塵も揺るがなかった。
ヘンダーソンも急降下爆撃に入ったら最後、意識はすべて爆撃に集中してあらゆる対空砲火は無視する。
ヘンダーソンは既に急降下に入っている最後尾の編隊に追いついた。
敵機の防御機銃手が驚きに目を見張るのが見えた。
敵機も撃って、ヘンダーソンもバリバリ撃った。
機銃弾は敵機の胴体部に集中して当たった。外板にパパパッと炸裂が光り風防も破砕され、機銃手が被弾し風防にパッと鮮血が散った。
「あっ!」
つんのめるようにして敵機の編隊を追い越してしまった。
敵機が急降下のためにエアブレーキを展開しエンジンも絞っていたのに対してヘンダーソンは急いで攻撃したために、そうしていなかったからだ。
再度敵機の後ろに占位すべく急いで機首を引き起こし旋回。
強烈な閃光とともにポラリスから爆炎と黒煙に包まれたのは正にその瞬間だった。




