第四章 第3話 ザルゴス戦
遂に魔王対戦に引っ張り出された直人。
戦えない魔王として君臨してきた存在を、
魔界の論理がねじ伏せにかかる。
闘技場は広かった。
空がある。壁がそそり立つ。結界が張られている。
そして、その中央に立つザルゴス。
ヴァルダスがそう紹介した魔王は、
直人の知る“魔王”のレベルではなかった。
棘のある鎧。大斧。巨大な角。直人よりはるかに背が高い。
そこまではいい。
問題は、その立ち方だった。
何もしていないのに、こちらが負けている気がする。
立つだけで、周囲の空気ごと押されてくる圧。
物理的な存在感。
将軍の圧にも匹敵する。
直人は喉を鳴らした。
(あれ、俺が相手するのか……)
隣でミリアがにこにこしている。
「魔王さま♡ 初対戦♡」
「喜ぶな。三途の川の前にいる気分だ」
「死んでも大丈夫です♡」
「大丈夫じゃない」
ヴァルダスが一歩前に出る。
「両者、準備はよろしいでしょうか」
ザルゴスは大斧を片手で軽々と肩に担いだ。
「いつでもいい」
声が低い。
楽しそうにすら見える。
直人は、自分の手を見る。震えている。
喉がひどく渇く。ザルゴスを見る視界が曇ってきた。
だが、逃げられない。
逃げれば補給が止まる。欠乏はダンジョンの反乱を招く。
門の安定も、ひなの安全も遠ざかる。
理屈では分かっている。
だが、理屈で剣を止められない。
「佐倉魔王殿」 ヴァルダスが言う。
「降参の意思は、開始前であれば受理できます」
直人は唇を噛みしめて、少しだけ迷った。
だが
「始めてくれ」
「承知しました」
闘技場の周囲に、いくつもの魔法陣が浮かび上がる。
そして治癒師の待機。
(魂の固定のためか)
何もかもが、敗者が死ぬことを前提に動いている。
ヴァルダスが手を上げた。
「魔王対戦、開始」
合図と同時に、ザルゴスが消えた。
いや、消えたように見えた。
次の瞬間、直人の目の前にいた。
「!」
直人は反射的にマントを跳ね上げる。
シズクに叩き込まれた逃げ足。
足先に意識と魔力を集中し、横へずれる。
大斧が、直人のいた場所を叩き割った。
石畳が爆ぜた。破片が頬をかすめる。
痛い。熱い。
遅れて恐怖が来る。
(今の、当たってたら終わってた)
ザルゴスは笑った。
「逃げたか。悪くない」
(褒められて嬉しい場面じゃない)
直人は、以前、デーモンロードに手ほどきを受けた
魔術を使った。
ひなをイメージし、包み込むように結界を張る。
(役にたってくれ)
そして、
直人は距離を取る。
スコープで狙う。
破りの結界に当てた時と同じように。
ひなの顔につく虫の影を弾く。
対象を絞る。
【対象】ザルゴス強化術式
【操作】バグ適用
空気が少しだけ歪んだ気がした。
ザルゴスの魔力が、一瞬だけ乱れる。
ザルゴスが眉を寄せる。
「今、何かしたな」
直人は息を詰める。
効いている。
なら、もう一度――
そう思った瞬間、ザルゴスが踏み込んだ。
速い。
直人はマントを使って右へ飛ぶ。
だが、ザルゴスの斧は軌道を変えた。
重い大斧が、まるでレイピアの軌道のように動く。
ありえない。尋常な力じゃない。
避けたつもりだったが、間に合わない。
ザルゴスの斧がガシンと結界を砕く音がする。
結界を貫いた斧は、直人の脇腹を掠める。
ほんの掠っただけなのに、衝撃が抉った。
「ぐっ……!」
直撃ではない。
それでも、身体が折れたと思った。
(俺の結界が薄いのか……)
直人は転がる。
息ができない。
視界が白くなる。
(肋骨……いや、内臓か?何だこれ)
立て。立たないと終わる。
直人は杖を支えに立ち上がる。
ザルゴスは追撃してこない。
待っている。
待てる側の余裕だ。
「面白い力だ」
ザルゴスが言う。
「魔法の流れを止められたな。
磨けば恐ろしい力になるな。
だが、今は浅い」
ザルゴスが斧を構える。
今度は、斧が黒く光ったのが見えた。
ミリアの声が、耳に届く。
「魔王さま♡ 避けて♡」
分かっている。
だが、身体がついてこない。
直人は再びバグを狙う。
対象は斧の魔力。
スコープ。
虫を弾く。
しかし、その前にザルゴスの斧が振り下ろされる。
直人は横へ飛ぶ。
遅い。
大斧の風圧だけで、身体が浮いた。
吹き飛ばされ、背中から地面に叩きつけられる。
肺の中の空気が抜けた。
「ぐ……あ……」
呼吸ができない。
力が入らない。
まずい。
立てない。
ザルゴスが近づいてくる。
足音が重い。
近づく足音だけが妙に大きく聞こえる。
直人は歯を食いしばる。
もう一度。バグ。当てろ。
何でもいい。止めろ。
ひなの顔が浮かぶ。虫の影が浮かぶ。
だが、焦りで像がぶれる。
【異常】スコープ不安定
「不安定でも……!」
直人は無理やり発動する。
空気が歪んだ気がした。ザルゴスではない。
自分のマントが、変な方向へ跳ねた。
また誤爆。装備に裏切られる。
避けたいと思った方向とは逆に身体が捻じれる。
「……まずい……」
直人が見開いた目には、
その手に持つ大斧を振り下ろすザルゴスの動きが、
スローモーションに見える。
弧を描いた軌道は、容赦なく、左肩から胸にかけて入った。
衝撃で跳ね飛ばされる。
音が消えた。痛みは、遅れて来た。
熱い。
冷たい。
どちらか分からない。
しかし、必死にもがき、本能的に起き上がろうとする。
直人が、まだあきらめずに動いているのを見て、
ザルゴスが再び斧を振りかざす。
さらに一撃。
直人は倒れた。
空が見える。闘技場の上の空。
本物かどうかも分からない。
ヴァルダスの声
「勝負あり」
視界の端で、ミリアの姿が見えた気がした。
世界が回っている。
不思議と痛みは通り過ぎた感じだが、
身体は動かせない。
かろうじて動かせた手を上げ、空を掴む。
言葉を出そうとするが、空気だけが漏れて消えてゆく。
視界がぼやけてきた。
そして、走馬灯が流れていく。
楽しかったショッピングセンター。
幼稚園に送っていく時のひなの笑顔。
幸せな食卓。
(ひな)…… (美沙)…… (ミュート、切るなよ)……
そこで、直人の意識は暗転した。
暗闇が落ちる。
ザルゴスが見下ろす。
控えていた協会のスタッフたちが走る。
笑顔の無いミリアが駆け寄る。
それらはもう直人には届かなかった。
(つづく)
遂に完全敗北を受けた直人。
魂は残っているはずだが……




