第三章 第15話 夫婦の時間
「話さなければ」
期せずして、夫婦双方が同じ思いを抱いていた。
必然的に向かい合う事に。
(――直人視点――)
朝の時間が過ぎる。
ひなは「普通」だった。
心配したが、笑顔も、「まおうごっこ」もいつものようだった。
他に特に変わった様子もなかった。
ひなを送ったあと、美沙が聞いてくる。
「今日、休みなの。ちょっと出かけない?」
今日は平日だ。
当然、休みではない。
でも、美沙は休んだ。
覚悟を示している。
断ることなど、できるはずもない。
二人で近所の公園に行く。
近くの母子が遊びに来ている。
子供たちが砂場やブランコで遊び、
近くで、親が見ている。
日常のよくある風景。
皆、ほとんどの家族が、そうやって普通の生活を営んでいる。
たまに子供が具合悪くなったり、夫婦喧嘩したり、
仕事の愚痴を言い合ったり……
そんな普通の毎日が続くと思っていた。
しかし、
二人で公園のベンチに腰掛ける。
無言の時間が過ぎる。
美沙は待っている。
俺の言葉を待っている。
うつむき加減で、ひなよりも小さな子供たちの遊んでいる情景を見ている。
話す、しかないな……
「美沙、話したい事がある」
「何」
直人は一度、呼吸を整える。
そして、
「俺、魔王になった」
美沙はこちらを向き、驚いた顔で、
「魔王ランドに転職したの!?」
慌てて
「……その魔王ランドの方が、どれだけ良かったか」
それから、直人は意を決して、
概略ではあるが、全てを話した。
最初にPC画面からミリアが現れ、
幼稚園物置裏に門が開いていた事。
ひなを守るために魔界側の仕事を続けるしかない。
心が削られる大きな原因である、
記憶が欠ける/死ねない(復活15年)の件。
今では、自分の精神が追い詰められていて、
はけ口の無い深淵の縁に立っている事を。
ただ、ひなの名前を出す時だけ、喉が詰まった。
魔王ランドに行ったのが何時かがわからなくなっている自分もいた。
美沙は時々、驚くような顔をしたり、
特に、ひなの話の辺りは、深刻な表情になったりしたが、
一つだけ聞いてきた。
「それ、ひなに直接影響あるの?」
直人が
「わからない。だが絶対に守る」
その他の事は、相槌だけで、全て聞いてくれた。
美沙の心持ちが逆に心配になる。
突然、現実のおとぎ話を聞かされたのだ。
それも、夫と、娘の。
俺が美沙なら、信じる前に色々疑う。
(怒るだろうな……)
美沙は何も言わなかった。
俯いたり、一点を見つめて動かなかったり、
天を仰いだり、言葉は無かったが、
深く衝撃を受けていたのは間違いない。
(でも、……俺は、家族の“普通”を守るために、この異常事態を引き受ける)
遊んでいた親子がいつの間にかいなくなっていた。
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(――美沙視点――)
今日は会社休んだ。
話さなければ。
休職にはなったけど、直人はまだ抱えてる。
吐き出させないといけない。
直人を直人に戻さないと。
「今日、休みなの。ちょっと出かけない」
直人は虚ろな目でうなずいた。
近所の公園に行く。
幸せそうな親子の賑わいがある。
いつもの風景。
ひなともよく来た。
知り合いのママ友さんも来ている。
皆幸せそう。
直人は、じっとその親子を見ている。
私は何も言わずにじっと待つ。
直人が意を決したように話し始める。
「美沙、話したい事がある」
「何」
「俺、魔王になった」
美沙は驚き、咄嗟に”普通”の思考で答えた。
「魔王ランドに転職したの!?」
直人が慌てて
「……その魔王ランドの方が、どれだけ良かったか」
直人の顔を見て、冗談の顔ではないとすぐにわかった。
それから、聞いた。
全てを、聞いた。
整理がつかない。
直人の精神が壊れてしまって、妄想しているのか?
現実との区別がなくなってしまっているのか?
精神的な病気を疑った。
証拠は?
意味ないことね。
やはり仕事では無かった。
直人は仕事だけでこんなにはならない。
ひなを守るため。
そこは直人だ。
でも、真実だとしたら、全て符合する。
直人が“謝ろうとして口を止める”癖が増えた。
”定義して”や、ひなとの約束忘れてた事や、
マグカップの件や、他色々も。
少しだけ、認知機能の病気を疑うが、
直人の顔を見てその可能性が薄い事もわかってしまう。
直人の目が、嘘をつけない時の目だった。
仕事の炎上じゃない。家族の話をするときの目だ。
まだ自分が自分であることを保っている時の顔。
でも、だとしたら、どうするの?
私に何ができる?
色々な事が頭を駆け巡る。
今までの楽しい日々、苦労、ひなの生まれた時の事、
思いは止まらない。
どれだけ時間が経ったのだろう。
斜めから射していた太陽の光が、
木々の葉の中から刺すように強く暖かくなっていた。
傍から見れば、無言で座っている夫婦。
記憶が欠ける事もショックだけど、
一番の衝撃は亡くなる可能性。
しかも15年も戻ってこない。
理解、消化できない。
15年経てば、ひなはもう成人前。
直人はひなの制服姿を見れない。
私も歳を取る。
ひなの顔を思い浮かべていると、
ひなが、笑顔で問いかけて来る。
「まおうどーふたべたい」
「まおうらんど行く」
美沙は黙って頷く。
(信じるの?じゃない。証拠を取る、でもない。
直人が壊れる方が先に来る。それだけは嫌だ。
疑っている時間で直人が壊れるなら、先に支えるしかない)
ゆっくりと直人の方に向く。
直人は一点を見つめるように目がうつろだ。
美沙は膝の上で握っていた手を、ゆっくりほどいた。
指先が少し震えていた。
「直人」
「うん」
「……一緒に歩こう」
直人は、少し驚いた様子で、
「いいのか?」
美沙は直人の手にそっと自分の手を重ねる
「うん、家族でしょ。助け合わない家族はいないもん」
「美沙……」
二人はしばし無言で見つめる。
直人は、うんうんと頷きを繰り返す。
直人を覆っていた冷たい氷の心が、
急速に溶けていくのが表情で分かった。
そんな雰囲気を脱するように、美沙は、
「そうと決まれば、今日は麻婆豆腐だよ。材料買いに行こう」
(理解なんてできない。でも、せめて今夜の食卓だけは、
私たちの『普通』を絶対に手放さない)
直人は、少し涙を浮かべているようだが、
恥ずかしそうに、
「よし、今日も腕を振るうぞ」
と少し元気が出てきたようだった。
(信じる、じゃない。
ただ、今日だけは——直人を一人にしない)
昼の陽射しが、とても眩しい。
これから歩む道とは対照的な明るさが、心にも射してくるよう祈り、
後ろに引かれる思いを跳ねのけながら、二人で公園を後にした。
(つづく)
遂に秘密を明かしました。
直人は少しだけ肩の荷を下ろしましたけど、その分美沙に重荷が移った事になります。
これからは、夫婦の秘密として立ち向かっていく事になります。




