第三章 第13話 アビス将軍
直人君、休職しました。
身体、精神、家族を守るために、現実を止める判断しました。
魔界を「片付ける」為に……
直人は、休職に入ってから初めて、玉座の間で深く座った。
魔王コマンドが押せるくらいには気持ちが戻った。
現実の仕事が止まると、魔界の仕事が目立つ。
不在の間、協会メール以外の「事件」が無いのが幸いだった。
杖のUIを開く。
メールの山だ。
定期報告、資材確認、上納、食料、……
直人は優先度順に淡々と返信する。
そして、未実行コマンドに一つ際立ったタスク。
【未解決】
・自動迷宮化:未実装(魔鉱石不足)
・破り対策:要強化
・協会報告:未完(差し戻し待ち)
直人は小さく息を吐いた。
「……魔鉱石だな」
背後で、ミリアがにこにこする。
「魔王さま♡ 調達♡」
直人は頷く。
「ミリア、統治者に挨拶に行く」
ミリアが笑う。
「はい♡」
直人は言い換える。
「支援依頼だ」
「はい♡ 依頼主♡」
直人は、玉座の間の端の影にある“紋様”に気づいた。
普段は影に紛れているのに、今日はやけに目につく。
円形。幾何学。微かな光。
「……これは何だ」
ミリアが即答する。
「転移陣です♡」
直人の眉がわずかに動いた。
「転移……?」
「はい♡ 移動です♡」
直人は一歩引く。
「そんなの、聞いてない」
ミリアは肩をすくめる。
「魔王さま、聞かないこと多いので♡」
「使い方は」
直人が問うと、ミリアは笑顔のまま言った。
「使えません♡」
「は?」
「魔王さまは“転移”の仕方わかりません♡」
直人は目を細めた。
「じゃあ誰が使う」
ミリアが涼しい顔になる。
「私がご案内します♡」
いつの間にかシズクが近くに来ている。
「魔王さま、いってらっしゃいませ」
ミリアが指を鳴らす。
「案内します♡ 目を閉じて♡」
直人は警戒しつつ転移陣に乗り目を閉じた。
目を閉じた瞬間、足元の紋様が温かくなる。
床が“呼吸”するみたいに、わずかに揺れた。
次の瞬間。
空気が変わった。
匂いが変わった。
音が遠い。
そして——足裏の石の感覚が戻る。
見まわすと、頭上は高い岩の天井だ。
巨大な岩盤が、世界を押し潰すみたいに覆っている。
「……地下?」
直人が言うと、ミリアが笑う。
「アビス将軍の御所です♡」
直人は、背筋が冷えた。
ここは空まで届きそうな広大な空間。
スケールが違う。
でも、まだ直人はそれを表す言葉がない。
ただ、自分の居場所が小さいとだけ分かった。
通路の先に、広い広いホールがある。
兵が立っている。
魔物じゃない。魔人だ。
統率された気配。
武装が怖い。
視線で射抜かれる。
現実の警備より、ずっと圧がある。
「誰だ」
声が響く。
直人は反射で背筋を正した。
(こういうのが魔王の間だよな)
ミリアが一歩前に出る。
「異界の魔王さまです♡」
直人が小声で言う。
「名乗れよ」
兵が道を開けた。
「将軍がお待ちだ」
“将軍”。
その単語だけで、場の温度が下がる。
直人は歩きながら、心の中で手順を組む。
礼。要件。条件。
余計なことを言わない。
社会はそういうもの。
玉座の間の“玉座”とは違う。
椅子というより、岩で作った壇。
その上に、将軍がいた。
巨大な山羊角。岩と甲殻と瘴気が癒着したような巨体。
暗岩の肌には、緑の血脈が脈打っている。
地獄の底で何千年も眠っていた災厄が、
山脈ごと起き上がったような存在だった。
目だけが、底の見えない穴のように光っていた。
ただ座っているだけで、空気が支配されている。
デーモンロードの“圧”とも違う。
これは統治の圧だ。次元が違う。
直人は一拍置き、頭を下げた。
「……魔王、佐倉直人。ご挨拶に参りました」
言った瞬間、ミリアが小さく笑う気配がした。
(今笑うな)
将軍の声が落ちる。
「異界の魔王か」
直人は頷く。
「はい」
「私の名はアビス。この地を統べる者」
アビスは直人を見据え、
「して、要件は」
直人は結論から言う。
「支援を願いたい。魔鉱石。破り対策に必要だ」
将軍は一瞬だけ沈黙した。
沈黙が、査定だ。
直人は余計な言い訳をしない。
沈黙に仕事をさせる。
将軍が口を開く
「無条件でか?」
直人は一拍置いた。
「条件を提示して欲しい」
将軍が目を細める。
「交渉を知っているな」
直人は否定しない。
「仕事で慣れてる」
そのとき、将軍の横に立つ影が、ゆっくり前に出た。
小柄。銀の影。
——いや、正確には“銀に見える髪”。
(ミリアと似てる。でも“同じじゃない”)
直人は息を止めた。
(……何だ、あれ)
銀の影は笑った。
笑い方が、ミリアに似ている。
似ているのに、目が違う。
目が“遊んでる”。
「へえ。これが、異界の魔王?」
声が軽い。軽すぎる。
軽いのに、背筋が冷える。
ミリアの笑顔が、口だけ残った。
目が笑ってない。
「……あの子」
ミリアが低い声で言う。
直人の喉が鳴った。
(ミリアの温度が低い。危ない)
銀の影が、直人に近づいた。
距離が近い。
「可愛いじゃん。異界の魔王」
銀の影は首を傾け、目を細める。
直人の胃がきゅっと縮む。
(やめろ。こういうの、一番面倒なやつだ)
ミリアが一歩前に出る。
「離れなさい」
珍しく声のトーンが低い。
銀の影が笑う。
「近い方がよくわかるでしょ?」
「わからなくていい」
「えー? だって“異界の魔王”でしょ。面白そうじゃん」
ミリアの青いダイヤが、鋭く光った。
「面白がらなくていい」
銀の影が肩をすくめる。
「嫉妬?」
「違う!邪魔」
「嫉妬だ♡」
直人は、頭が痛くなってきた。
(仕事の話をさせろ)
将軍が一度だけ咳払いをした。
「ミリス、下がれ」
たった一言で、二人の空気が凍る。
ミリアも銀の影も黙る。
(ミリスというのか……)
怖い。統治の圧は怖い。
将軍は直人を見る。
「話を戻す。魔鉱石だな」
直人は頷く。
「はい。自動迷宮化の資材が足りない」
将軍の声が淡々と落ちる。
「支援は可能だ。ただし——」
「単なる支援は無い」
直人は頷いた。
「契約でどうか。条件を聞く」
「ほう、契約か。よかろう。では条件を出す」
将軍が指を一本立てた。
「一つ。破りの情報を共有しろ」
直人は即答する。
「承知した。こちらも欲しい」
将軍が最後に言う。
「二つ。ダンジョンとお前を強くしろ」
直人は一拍置いて頷いた。
「……現在B10だが、それ以上と?」
将軍は短く言った。
「そうだ」
直人は胸を刺されたような心地になった。
(もっと記憶を削れと言ってるのか)
迷いを見て、将軍が言う。
「破り対策なら、B10は弱い。魔王も強くなれ」
「追加の素材は手配させる。記憶が削れる可能性は低くなる」
直人は背筋が冷える。
(……それを知ってるのか。MKと同じか)
(これ以上進めば、現実の身体が壊れないか?)
それは支援条件ではなく、逃げ道の封鎖に聞こえた。
しばし黙考した後に、
「設計はこちらに任せるか」
「問題ない」
「三つ。協会の報告を怠るな」
直人の胃が冷える。
(そこに繋がるのか)
(最悪だ)
直人は頷いた。
「運用にする」
「運用ではない。実行だ」
直人は言い換える。
「了解した」
アビスが
「よかろう。契約成立だな」
直人は理解した。
この存在は、身内でも敵でもない。
“組織の長”だ。
統治者だ。
直人は、ここが“統治の源”で、
自分が新人だということだけが痛いほど分かった。
話が終わると同時に、銀の影がまた一歩近づいた。
懲りない。
直人は胃が痛い。
ミリアが低い声で言う。
「近い」
銀の影は笑う。
「好みだなぁ。好きにしていい?♡」
ミリアが珍しく厳しい顔で、
「離れなさい!」
喧嘩?小競り合い?
直人の精神が削れる音がする。
(俺は今、何の現場にいるんだ)
「じゃ、またね。異界の魔王」
ウインクまで付ける。
将軍が淡々と告げる。
「支援は手配する。受領は協会経由になる」
直人は頷いた。
「……了解した」
(また、ナンシーと無限地獄のメール往復か……)
(……稟議は通ったのに、協会の書式チェックのおかげで、
窓口で差し戻される未来しか見えない)
帰り道。
転移陣の紋様がまた光る。
使い方は分からない。
でも、戻される。
ミリアの能力なのか?
玉座の間に戻った瞬間、直人は椅子に沈んだ。
胃が痛い。頭が痛い。
体も、精神も削られている。
ミリアが、何事もなかったようににこにこする。
「魔王さま♡ お疲れさま♡」
直人は
「あのミリスというのは何だ」
「魔界の関係者です♡」
「得体が知れないのは、おまえと同じだな」
「魔王さま、ひどーい♡」
しかし、急に目の温度を落として言う
「あの子には近づかないでください」
直人は知っている。
ミリアのこの顔は、真実を告げる時の顔だと。
シズクが淡々と言う。
「お帰りなさい、魔王さま。統治者に会われましたか」
直人は小さく頷く。
「……会った。文字通り統治者だな」
シズクは
「理解の外ではなく、理解の上におられる方です」
直人はシズクを見ながら
「理解できない事は理解した」
その時、杖のUIが小さく点滅した。
【通知】契約:仮成立
【予定】魔鉱石:手配中
直人は目を閉じた。
希望と、胃痛が同時に来る。
世界が広がった。
広がった分だけ、守るものが重くなった。
直人は心の中でだけ言った。
(もう——引き返せないな)
(つづく)
アビス将軍との謁見で魔鉱石の目途が立ちました。
この後、特上素材の影響が別方面でも出て来ます。
将軍の隣の銀髪は何者?




