第三章・第8話 よその現場
魔界に来て以来、直人の最大の恐怖心が生起した”破り”。
理不尽極まりない敵に対して、早速動く直人。
まだ暗中模索だが、業務脳が動く。
破りは去った。
正確には、「帰った」だ。
直人は玉座の間に座ったまま、しばらく動けなかった。
勝ったのではない。追い返したのでもない。
「勝手に帰った」だけ。
デーモンロードの影が、低く告げる。
「次は準備して来る」
準備して来る、というのは現実でも最悪の言葉だ。
直人は深呼吸を一つだけする。
「……俺もダンジョンも、文字通り強くなる必要がある」
ミリアが、にこにこしながら言う。
「魔王さま♡ 成長宣言♡」
直人は黙って頷く。
「でも」
直人は続ける。
「闇雲に上げるのは危険だ。情報が足りない」
ミリアは肩をすくめる。
「じゃあ、集めましょう♡」
直人は小さく息を吐いた。
(わかってる)
直人はベルを手に取った。
軽い音が、広い玉座の間に響く。
チリン。
音もなく、猫が現れる。
尻尾がゆっくり揺れる。目が鋭い。
「呼んだにゃ?」
直人は結論から言う。
「仕事だ。情報を集めろ」
「何の?」
「他ダンジョン」
猫の耳がぴくりと動く。
直人は条件を続ける。
「破りの動き。破られた場所の話。その他のダンジョン情報」
「欲張りにゃ」
直人は淡々と返す。
「優先度は破り。次に世界」
猫が笑う。
「報酬はずむにゃ」
直人は一拍置いて言う。
「用意しておく」
シュレは尻尾を揺らし、音もなく消えた。
ミリアが嬉しそうに囁く。
「便利♡」
(成果報酬。小銭で済むうちは安い)
思ってから、胸が少し痛んだ。
現実の小銭が、魔界の命綱になっている。
シズクが淡々と確認する。
「厄介ですが、有能です」
直人は頷く。
直人は現実へ戻る。
今は戻るのが少し気が重い。
家は深夜だが、空気は温かい。
次の日、
朝から美沙との会話が噛み合わなかった。
ひなが起きてきて、歯磨き粉取ってと言われ、
心の中で叫びながら、必死に場所を探してしまった。
美沙が、音だけ聞いていて、訝しがる。
「どうしたの?」
ひなの歯磨き粉見つけた安心感から、
「新しい歯ブラシ何処かな?」と
誤魔化す。
「この前、無くなったから買ってきてって直人言ってたでしょ?」
「そうだっけか」
歯磨き中のひなに向いて、無理やり笑顔を作る。
ひなも笑うが、笑い声が遠い。
洗面所を離れた瞬間、
直人は手のひらがじっとりと汗ばんでいることに気づいた。
自分が自分ではなくなっていく恐怖が、胃の腑を掴んで離さない。
家族が出かけてから、
何とかzoom会議も薄氷の綱渡りで終える。
一段落ついたあと、
直人はコンビニで”例の物”(スティック型おやつ)を買う。
そして、ミュートを押した。
静けさが切り替わる。
現実の静けさと、魔界の静けさは種類が違う。
玉座の間に戻り、UIを見ると、大量のメールが待っていた。
協会からの差し戻し。追加。別紙。定義。進捗。
直人は顔色を変えずに処理する。
ミリアがにこにこする。
「魔王さま♡ 事務の才能♡」
直人はミリアの反応がわからなくなる。
この前、VDやMKの巡回が来た時だけ違ってた。
また元に戻ってる…。
そこへ、
シュレが戻ってきた。
「報告にゃ」
直人は確認する。
「他ダンジョンは」
シュレは尻尾を揺らす。
「あるにゃ。いっぱいあるにゃ」
直人は頷かない。今は数はいらない。
「破られたところは」
シュレの声が少しだけ落ちる。
「あるにゃ」
ミリアの笑顔が、薄くなる。
シズクの気配が硬くなる。
玉座の間の空気が、ひとつ冷えた。
「どんな様子だ」
直人が聞くと、シュレは簡単に言った。
「空っぽにゃ」
「空っぽ?」
「骨格だけ残ってるにゃ。魔物も。マナも。匂いも薄いにゃ」
ごくり、と喉が鳴った。
破りの仕事だ。
“壊して抜く”。
そして次へ行く。
「痕跡は」
シュレが尻尾を揺らす。
「匂い。あと、変な印にゃ」
直人は目を細める。
「マーキングか」
「そういうのにゃ」
直人は判断する。
(俺の迷宮にも付いた。次も来る)
「破りの狙いは何だ」
シュレは肩をすくめる。
「たぶんマナにゃ。奪うにゃ。売るにゃ」
「でも、あまり小さい所は狙われないにゃ。
少し成長した所が危ないにゃ」
直人はもう一段だけ聞く。
「一人か」
「死んだ魔物に聞いてきたにゃ。襲ったのは一匹にゃ」
直人は驚く
「お前、そんな事できるのか!」
「死んだばかりなら、そいつの魂と話せるにゃ」
「何か他には」
「それとは別の匂いもするにゃ。遠いところから来る匂いにゃ」
直人は静かに息を吐いた。
(バックに『別組織』がいるということか)
一匹でも厄介。
複数なら終わる。
「他の魔王はどうしてる」
シュレが笑う。
「弱いダンジョンは怯えてるにゃ」
直人は言い換える。
「対策あるのか」
「逃げる。閉じる。隠す。戦う。いろいろにゃ」
直人は頷かず、結論に落とす。
「つまり統一された守り方はない」
「ないにゃ」
そしてシュレは、別の土産も落とした。
「世界は広いにゃ。離れてるけど街もあるにゃ」
直人の眉がわずかに動く。
「近いか」
「遠いにゃ。だから冒険者には目立たないにゃ」
直人は判断する。
(目立たないのは人間相手だ。破りが来た時点で終わる)
「報酬」
直人が言うと、猫の目が光る。
直人はスティックを一つ投げた。
「それと、情報の価値の評価だ」と言って、もう一つ追加で投げる。
シュレが空中で受け取って、むしゃぶりつく。
ミリアが小さく囁く。
「耳♡」
直人は頷く。
「価値はある」
報告が終わったあと、ミリアが一歩近づいた。
「魔王さま♡」
直人は視線だけで返す。
「統治者に挨拶しましょう♡」
直人の胃が冷えた。
「統治者?」
「この大陸の統治者です♡」
直人はすぐに確認する。
「協会じゃないのか?」
「協会と 繋がってます♡」
直人は目を細める。
(協会という『本社』の他に、この地域を仕切る
『支社長(統治者)』がいるという面倒な組織図か)
「必要か?」
ミリアは笑顔のまま言う。
「このダンジョンの上司♡」
直人は椅子に深く座り直した。
玉座の座面が今日はやけに冷たい。
「なぜ今」
直人が聞くと、ミリアは軽く言う。
「破りが動いたから♡」
直人は言い換える。
「支援要請……か」
ミリアは、答えない。
その一拍が、直人の胃を冷やす。
直人は判断する。
ミリアは、教える側だ。
だが全部は言わない。
それが悪意か仕様かは、まだわからない。
協会と繋がっている可能性は大いにあるが、
決めるには情報が足りない。
直人は結論だけ言う。
「行くかどうかは、準備が揃ってから決める」
ミリアがにこにこする。
「はい♡」
協会の通知が、また来る。
別紙。追加。定義の再確認。
「提出されたB5フロア溶岩流の魔力消費予測グラフが不明確です。
再提出を求めます」
直人は淡々と処理しながら、胸の奥で別の計算をしていた。
(破りが来る)
(世界は広い)
(協会は管理してくる)
(ミリアは“上司への挨拶”と言う)
(俺は強くならなきゃいけない)
その全部が、ひなの寝顔に繋がっている。
それが救いで、逃げ場がない。
直人は小さく息を吐き、指を止めた。
直人はミリアを見ずに言った。
「次は、破り対策を具体化する」
「“撤退誘導”じゃない。“抜かせない”だ」
ミリアが嬉しそうに囁く。
「魔王さま♡ 戦争準備♡」
直人は振り返らずに言った。
「戦争じゃない。害虫駆除だ」
玉座の間の影が、少しだけ伸びた。
世界の理が、形を成してきた。
しかし、まだその末端が見えたに過ぎない。
(つづく)
来襲のショックから立ち直りつつある直人。
ダンジョン設計を優先にして、
次回対策を構築し始めます。




