第二章 第28話「魔王さま」
B7となり、直人の”欠け”がまた不穏な足音を立てる。
何を失った?
答えは無い。
今日のZoom会議でも、言葉が一つ出てこなかった。
何事もない顔で終えたが、部下や同僚の違和感は、
もう隠しきれていない気がする。
語彙が減っている。
いや、減ったことすら、もう正確には掴めていないのかもしれない。
Lvが上がるたびに、会議で肝を冷やす……
家族の顔が浮かぶ。
スマホで写真を撮る頻度が上がった気がする。
夕方、
調理している美沙の写真を撮った。
「今更どうしたの?」
「撮ろうと思ったから」
多分、俺の変化に気付いている。
だけど、何も言わずに笑顔でいてくれる。
それが何より恐ろしい。
しかし、俺は別の『気付き』に背筋を凍らせていた。
スマホのUIに表示されたB2の定例ログ
――その備考欄が、不自然なほど『真っ白』だったのだ。
深夜、家族が寝静まり、もう一つの仕事へ。
架空Zoom会議でミュートして
「魔王」コマンドで玉座の間へ。
「ミリア、シズク、ついて来い」
そして、B2へ。
B2の空気は、いつもより乾いていた。
地獄風の演出――赤い光、熱気、焦げた匂い。
それだけなら“映え”で済む。今日は違う。
直人は、B2の通路に足を踏み入れた瞬間、胃の奥が冷えた。
音が整いすぎている。
ざわつきがない。
空気が、針のように鋭く緊張している。
(……何か隠してる)
杖のUIを開くまでもない。
現場の臭い。
会議で“問題ありません”が連呼される時の、あの臭い。
背後でミリアが囁く。
「魔王さま♡ 今日は珍しく顔が真面目♡」
直人は返さない。
返事をしたら、集中がほどける。
代わりに、直人は小さく指を動かした。
【B2:秩序指数】良
【撤退率】高
【インシデント】0
【備考】……(未記載)
未記載。
数字はきれい。備考が空白。
現実なら、だいたい地雷だ。
「シズク」
直人が呼ぶと、戦闘メイドは即座に並んだ。
いつもより一歩後ろ。
護衛の距離だ。
「何か感じるか」
シズクは短く言う。
「火薬の匂いがします」
直人は頷いた。
(比喩じゃないのが魔界だな)
次に、直人は“最下層”に意識を飛ばす。
「デーモンロード、呼ぶ」
杖のUIが一瞬だけ揺れ、影が立ち上がった。
「……魔王」
低い声。短い挨拶。
直人は結論から入る。
「B2が変だ」
沈黙。
次に返ってきたのは、気配の硬さだった。
「……デーモンジェネラルか」
直人は目を細める。
「心当たりがある?」
「反りが合わない」
それだけで十分だ。
直人は指で地点を指定した。
「来い。B2のボス前」
「……承知した」
B2のボス前。
地獄風の門。赤い光。熱。
その前に、デーモンジェネラルは立っていた。
鎧は整っている。姿勢も完璧。
完璧すぎて、逆に嫌な予感がする。
「魔王」
デーモンジェネラルは膝をつくでもなく、礼をするでもなく、ただ言った。
「この階層は安定しています。問題はありません」
直人は頷いた。
「数字上はな」
ジェネラルの瞳が、一瞬だけ細くなる。
直人は続けた。
「備考が空白だ」
「必要ない」
「必要ある」
直人は声を上げない。
会議の声量で詰める。逃げ場を削る。
「お前は“隊”を動かすと言った。なら報告は残る」
「残らないのは、“残したくないこと”がある時だけだ」
デーモンジェネラルの指が、わずかに動く。
――それが、直人の嗅覚を確信に変えた。
(今、反応した)
直人は、デーモンロードとシズクを左右に置く。
逃げ道を作らない布陣。
物理じゃない。心理の布陣だ。
デーモンロードの影が濃くなる。
ただ立っているだけで、空気が支配される。
デーモンジェネラルの視線が、一瞬だけそちらへ流れる。
反目ではない。
上に立つ者を測る目。
直人はそれを拾う。
拾って、言葉にしない。
直人は淡々と言う。
「お前、誰に忠誠を誓った」
「魔王に」
「俺に?」
「……魔王に」
一拍の沈黙。「逃げるな。質問を分解する」
杖のUIが、直人の指で最小限だけ開く。
【契約:B2フロアボス】
主:魔王(佐倉直人)
上位統治:デーモンロード(B5)
禁止:現世干渉
裁量:中
直人は画面を閉じた。
ログはこれで十分だ。
「お前の上位統治はデーモンロードだ。だが主は俺だ」
「主に背くなら、契約違反だ」
ジェネラルは薄く笑う。
「契約を盾にするのか。魔王らしくない」
小さく頷き返す。
「ああ、俺は異界の魔王だ。使える盾はすべて使う」
デーモンロードが低く言う。
「お前は何を企んだ」
ジェネラルの笑みが消える。
「企むなど」
「撤退率は上がった。秩序も維持した」
「だが、獲物が減っている」
直人は目を細める。
(食料か)
ジェネラルは続ける。
「撤退運用の結果、戦利品が減った。血肉が減った」
「農園? それは“施し”だ」
「誇りが腐る」
直人は、そこでようやく理解した。
反乱の火種は、理念への反発ではない。
“現場の屈辱”だ。
デーモンロードに従うのが屈辱。
殺せないのが屈辱。
農園で働くのが屈辱。
そして、その屈辱を“正義”に加工している。
直人は声を荒げないまま、刃を入れた。
「つまり、お前は“誇り”のために統治を揺らす」
「誇りのためにお前がここで無駄な血を流せば、
俺の現実のリスクに繋がる。
だから絶対に許さない」
ジェネラルの目が一瞬だけ動く。
直人は確信する。
「門を探ろうとしたな」
ジェネラルの口角が上がる。
「門は閉じている。触れてなどない」
直人は頷く。
「触れなくても、揺らせる」
言い切った瞬間、空気が固まった。
デーモンロードの影が、わずかに膨らむ。
シズクの手が、背中の長物に触れる。
触れるだけで、殺気が出る。
一瞬、ジェネラルも身構える気配を見せる。
しかし、すぐに極めて冷静を装う表情に戻る。
ジェネラルは一歩も退かない。
「証拠は?」
「ない」
ジェネラルの口元が、わずかに緩む。
「なら——」
「だから」
直人は遮った。
「ここで“選ばせる”」
直人は杖のUIを開き、たった二つのボタンだけを表示した。
【選択】
A:契約再締結(忠誠の再宣誓)
B:契約解除(B2統治権返上)
ジェネラルの表情が、初めて揺れた。
契約解除。
それは戦闘ではない。
“退職”だ。
魔界で最も屈辱的な負け方。
直人は優しくない声で言う。
「B2は運用の要だ。お前は優秀だ」
一息入れて、
「無駄な殺生をして承認欲求を満たすのは三流の兵だ。
一滴の血も流さずに敵の心を折り、
完全にコントロールして帰らせる
『完璧な統制』こそが至高の軍略ではないか」
「だが、俺の“門”に下らぬなら切る」
言葉を選ばない。
選ぶと逃げ道ができる。
ジェネラルは歯を食いしばる。
「……脅しか」
直人は首を振る。
「手続きだ」
デーモンロードが低く言った。
「B2の統治権は魔王にある。私ではない」
シズクは黙ったまま、直人を見る。
その視線は、妙に重い。
ジェネラルは沈黙する。
(……弱者だと思っていた。今もそうだ。
だが、血を流さずに盤上を支配するこの冷徹さは、
並の暴力よりよほど底知れない……)
数秒。
その間に、直人は追撃しない。
沈黙に仕事をさせる。
相手が自分で落ちるまで待つ。
やがて、ジェネラルは一度天を仰ぐ。
そして、崩れるように片膝をついた。
今度は形だけじゃない。
悔しさを飲み込みながらの動作だ。
ジェネラルが低く呟く一節を入れる。
「我々は戦いで得たものを誇りにしてきた。
今、手渡されるのは籠の中で与えられた餌だ」
「報告を残せば、俺の屈辱が“記録”になる」
「農園で働く部下を見て、胸が焼けた。
戦こそが我ら軍門の生きる証……
我らにも、武の矜持がある」
ジェネラルは深く天を仰ぎ、苦渋の顔つきで首を垂れた。
「しかし……魔王の冷徹な軍略の前に、
私の誇りは三流と成り果てた」
「……わかった。忠誠を再宣誓する」
直人は即座に確定を押さない。
ここが肝だ。
「言葉で」
直人は淡々と要求する。
「誰に、何を誓う」
ジェネラルは顔を上げ、直人を見た。
その目は、戦場の目だ。
負けを認める目だ。
ジェネラルが片膝をつく。
「主は、佐倉直人」
「私はB2を統治し、撤退誘導を維持する」
「門に関する一切の行為を禁じ、報告を残す」
「——変わらぬ忠誠を誓う」
直人は、そこで初めて頷いた。
「よし」
杖のUIが静かに点滅する。
【契約再締結:完了】
B2:デーモンジェネラル
備考:忠誠再宣誓(記録)
ログは最小。だが効いた。
現場はこういうのでいい。
デーモンロードの影が、わずかに薄くなる。
「……統治は維持された」
直人は短く返す。
「維持した」
「魔王……」
ジェネラルが、呼び方を迷うように喉を鳴らす。
直人は言葉を足す。
「“魔王”でいい。呼び方は統一しろ」
ジェネラルの喉が動いた。
「……承知した」
デーモンロードは、一言二言ジェネラルと話しB5に戻る。
帰り道。
B2の熱気が少し柔らかくなっている。
演出はそのままなのに、圧が違う。
人心が落ち着いた空気だ。
直人は歩きながら、隣のシズクを見ないまま言った。
「……さっきの、俺は正しかったか」
シズクはすぐ答えない。
その沈黙が、直人には答えに見えた。
やがてシズクが足を止める。
直人も止まる。
シズクは向き直り、真っ直ぐ直人を見た。
無言で。
いつもの視線ではない。
何かを量る目だ。
そして、量り終えた目に変わる。
「魔王様」
呼び方が変わっていた。
直人の眉が、わずかに動く。
シズクは淡々と言う。
「今後は、そのようにお呼びします」
「理由は?」
シズクは一拍置く。
「統治を、なさったからです」
「それが強さという事か?」
「はい。統治者としての強さです」
言葉が心に届く。
直人は浅くない息をつく。
そして、胸の奥が少しだけ静かになった。
ミリアが後ろで、いつもの笑顔で囁く。
「魔王さま♡ 認定♡」
ミリアの言葉もスッと心に入って来る。
現実でこぼれていく言葉の代わりに、
ここで得た呼び名だけが、妙にはっきり胸に残った。
(つづく)
本話含め、あと3話で二章が終了いたします。
次回、最終回と物語を紡ぐお話になります。
是非、直人君の物語、寄り添ってあげて下さいませ。




