第二章 第22話 まおうランド
今回は、家族と過ごす時間ですが、直人にとって、とても複雑な1日となります。
またまた大量画像回です。すみません。
休日の朝のリビングは、いつもより少しだけ明るかった。
窓の外の光が、朝の角度で差し込んでいる。
直人はコーヒーを淹れながら、スマホの予定表を開いた。
会議はない。予定もなし。
——静かすぎて、逆に落ち着かない。
その背中に、小さな足音が寄ってくる。
「パパ」
ひなが見上げて、当然みたいに言った。
「きょう、まおうランド、いくんでしょ?」
直人の手が止まった。
(……魔王ランド?)
言葉は知っている。
でも、それが“自分の予定”として繋がらない。
予定表にも、何も入っていない。
思い出そうとした瞬間、頭の奥が“スカッ”と抜ける。
直人は一拍、笑顔を作りかけて失敗した。
喉が乾く。
「……まおうランド」
ひなが頷く。
「やくそくした。パパが。まえ、まえのまえに」
美沙が横から、何でもない風に追い打ちを入れた。
「先週、寝る前に約束したよね。ひな、ずっと楽しみにしてた」
直人は、顔の筋肉を総動員して「いつもの父親の笑顔」を作った。
先週。寝る前。
直人の頭の中に、該当ファイルがない。
アクセスできない。
予定表には何もない。
なのに、家族のグループチャットに
「まおうランド!」のスタンプだけが残っていた。
直人の胸が冷える。
記憶欠けは、容赦なく”現れる”。
家族の約束だって、消える。
「……ごめ——」
言いかけて、直人は噛んだ。
謝罪で何かが増える世界を、まだ引きずっている。
——向こうの癖が、こっちを汚染している。
直人は息を一つだけ吸って、言い換えた。
「……わかった。今日行こう。今から予定組む」
ひなの顔がぱっと明るくなる。
「ほんと!? やった!」
美沙は直人の顔を見て、何かを察したように目を細めた。
でも、言わない。
言うと、崩れると分かっているのだろう。
その優しさが痛い。
直人はスマホを取り出し、指を動かした。
チケット。移動ルート。帰宅時間。
いつも通りの手順で、今日を“成立”させる。
予定表に入力していくたびに、胸の奥に釘が一本ずつ増える。
本来なら、約束は“思い出”として残っているはずだ。
それを、いま“作り直して”いる。
(俺は、何を代償にしてる)
答えは分かっている。
分かっているから、手が止まらない。
魔王ランドは、家族連れで溢れていた。
入口のアーチに、でかでかと書かれた文字。
『ようこそ! 魔王ランドへ!』
直人は、反射で天井を確認してしまった。
角が当たりそうで。
——当たるはずもない。
現実の直人は角なんて生えていない。
その当たり前が、心に刺さる。
まず入口で「冒険者登録」をする。
ギルド登録か。
続いて「クエスト」館、「魔物討伐」館など色々案内がある。
「魔界のダンジョン」
普通に入りたい…
ひなは小走りで、パンフレットを握りしめる。
「パパ、これ! まおうとうばつ、いく!」
「……魔王討伐」
直人の口が、少しだけ乾いた。
美沙が笑いながら言う。
「人気らしいよ。勇者の衣装も借りられるって」
直人は頷いて、歩いた。
歩きながら、心臓の奥がちくちくする。
“討伐”。
“魔王”。
現実の娯楽の言葉なのに、今の自分には、刺さる。
「魔王討伐館」の列に並ぶ。
参加型アトラクションだ。
ひなは勇者のマントを羽織って、センサー入りの剣を振った。
「えい! まおう、やっつける!」
ひなが言った瞬間、直人の胸が“ズキッ”と痛む
「討伐される」CG魔王が画面で倒れる。
直人は、笑うタイミングを探した。
見つけて、笑った。
父親としては正しい。
ひなに討伐される……
魔王としては、……ただ痛い。
そして、ひと際人だかりのできている、大きなアトラクション建物があり、
入口に、看板がある。
『悪の大魔王を討て! 最終決戦シアター』
大魔王、最終決戦……
「パパ、はやく!」
ひなが手を引く。
直人は「うん」と言って、引かれるままに進んだ。
シアターの中は暗い。
音楽が鳴って、光が走って、勇者が叫ぶ。
「悪の大魔王を倒せ!」
観客が盛り上がる。
ひなも拳を握って、目をきらきらさせている。
美沙はその横顔を見て、幸せそうに笑っている。
直人は、その二人を見て胸が温かくなる。
同時に、手元の半券が急に重く感じた
(俺が“魔王”でなければ、もっと素直に楽しめた)
舞台の魔王が、勇者に追い詰められる。
「おのれ……!」
演技の大仰さに、本来なら笑える。
でも直人は笑いきれない。
シアターの魔王の動きが、“デーモンロードの動き”と重なる
(討伐される側の気分を、知ってしまった)
そしてさらに嫌なことに気づく。
暗いシアターの中で、
直人の意識の端っこが、ずっと別の場所に向いている。
ボス配置。撤退率。農園。事故報告。
門の揺らぎ。
今この瞬間も、ダンジョンは動いている。
ミュートしていない。現実の時間が進んでいる。
なら向こうは——進みは遅い。
遅いのに、気になる。
(俺、今……家族の横にいるのに)
ひなが歓声を上げる。
美沙が拍手する。
直人も手を叩いた。
叩きながら、胸の奥が痛い。
楽しんでいる。
確かに楽しい。
幸せだ。
なのに、頭の片隅で仕事をしている。
それが直人の性格だ。
社会人の癖だ。
——でも、今はそれが“呪い”のように直人の思考を縛っていた。
昼。
フードコートで、ひながポテトを頬張る。
美沙が飲み物を渡す。
直人はその光景を見て、心の底から「守りたい」と思う。
そして、同時に思う。
(俺は、守るために、何を失うんだ)
魔王ランドのチケット半券を見つめる。
周囲のフードコートの喧騒が
急に、遠い世界の出来事のようにぼんやりする。
今日のこの一日さえ、いつか欠けるかもしれない。
そう考えた瞬間、手に汗が滲んだ。
ひなが顔を上げる。
「パパ、たのしい?」
直人は一拍置いた。
一拍置いて、ちゃんと答えた。
「楽しいよ。……本当に」
美沙が直人を見て、静かに笑う。
直人の返事の“間”がいつもと違うのに気付いている顔だ。
だが、その笑いに、責める気配はない。
だから余計に胸が締まる。
午後も、ひながあれ行こうとか、これ乗るとかで目いっぱい楽しむ。
『地獄めぐり』のチープな作りを見て
(アークデーモンの地獄の方が地獄らしいな)と考え、
『ハデスの観覧車』に揺られながら
(階層繋ぐゴンドラ作るか)と設計してしまう。
最後は魔王ショップでお土産を買う。
ひなはお気に入りの、まおうのぬいぐるみをご所望だ。
一瞬、ミリアやシズクにお土産を…と考えてしまう自分に嫌気がさす。
夕方。
帰り道、ひなは車の中で寝落ちした。
安らかな呼吸。まおうぬいぐるみを持つ小さな指先。
信号待ち中、直人はそれを見て、しばらく目を逸らせなかった。
家に着いて、ひなを抱いて運ぶ。
美沙が毛布を掛ける。
直人は手伝い、電気を落とした。
家族の一日が、無事に終わった。
終わって、静けさが戻る。
静けさが戻ると、
直人の頭の中に、もう一つの静けさが浮かぶ。
向こうの時間。
直人は自分の手を見た。
普通の手。角もない。
それでも、あの玉座の世界は確かに存在している。
直人はリビングのソファに座り、息を吐いた。
(今日みたいな日を、増やしたい)
(でも、増やすには、向こうを進めなきゃいけない)
(門のために強くなると、記憶が欠ける)
矛盾が、矛盾のまま積み上がる。
それが今の自分の役目なのだと、嫌でも分かってしまう。
直人は目を閉じた。
ひなの寝息が奥から聞こえる。
美沙が食器を片付けながら言う。
「仕事残ってたんでしょ」
冷や汗が出る。
「まあね。いつもの事さ」
言い訳が本当に言い訳だ。
この現実を、失いたくない。
失うくらいなら、魔王なんてやめたい。
でも、やめたら門が開く。
門が開いたら、ひなが巻き込まれる。
直人は、目を開けた。
スマホを手に取る。
ミュートのボタンが、指の下にある。
押せば向こうが動く。
押さなければ、現実が守れる。
どちらも正しい。どちらも不正解。
直人は小さく呟いた。
「……背負ったな」
誰にでもない。
自分に向けた言葉。
家族の隣にいるために。
家族を守るために。
魔王として働かなければならない。
妙に現場的なことも考えてしまった。
(安全に帰らせる導線、KPI、改善できる)
などという魔界仕事脳の自分もいるのに気付く。
すぐに自分で自分が嫌になる。
直人は、ミュートを押さないまま、しばらく動けなかった。
直人の脳内で“二つの世界が引っ張り合う”
幸せな一日が、胸の奥で温かいほど、
その温度が、十字架の重さに変わっていく。
(つづく)
まおうランドで、家族脳、仕事厨の境界線も曖昧になってきてしまいました。
直人は、単に忘却の恐れだけでなく、魔界に引っ張られる思考という逃げられない現実を突きつけられました。
その直人が、気になっている事がまだあります。
次回、魔王さまの仕事が待っています。




