第二章 第19話 魔王の成長と、揺らぐ現実
食料危機が収まると、ダンジョンは急に静かになった。
腹が満ちると刃が収まる。
エルフが言っていた通りだ。
配食の列は整い、苦情の赤文字は消えた。
代わりに増えたのは――転職希望と、笑い声だ。
直人は杖のUIを閉じかけて、ふと気づく。
画面の隅で通知が点いた。
【優先アラート】接続点:不安定
【対象】門(幼稚園付近)
【状態】揺らぎ:中 → 高
【原因候補】
・遮断後の“残留”
・管理者レベル不足(推定)
直人の指が止まる。
「……レベル不足?」
背後から、ぬるい声。
「はい♡」
直人は目を細める。
「……推定で、しかも数字が無い」
ミリアは涼しい顔で頷く。
「推定でも、当たる時は当たります♡」
直人は息を吐いた。
「当たってほしくないランキング、上位だ」
直人は目を細める。
「……揺らぎが高い、ってどの程度だ」
ミリアは笑顔のまま言う。
「最初のうちが一番きついです♡
そこを越えると、揺れ方が変わります♡」
代わりに確認する。
「つまり今の俺は、“固定が弱い”」
「はい♡ 風で揺れるドアみたいなものです♡」
「幼稚園の門、そこは揺らすな」
ミリアが、笑顔のまま言った。
「門が揺れると、現世の“ご縁”が近くなります♡」
ミリアは甘い声のまま、温度を落とした。
「開きやすくなります♡」
直人の背中に、冷たい汗が浮かぶ。
ミリアの言葉が喉元を通らない。
「開かせない!」
(封印したのに、開きやすくなる……?)
直人は目を閉じて、考えるが、
レベル上げずに解決する道は、どうしても見えて来ない。
居ても立っても居られないので、直人は訓練部屋に移動した。
逃げではない。
“門が揺れる”なら、対処の前に自分が揺れないようにするしかない。
シズクが待っていた。
「異界の魔王様、お待ちしておりました」
いつも通り、姿勢が無駄に綺麗だ。
無駄に怖い。
直人は頷く。雑念を抱くな。
自分に言い聞かせる。
「やる」
シズクは短く言う。
「前回の復習。立つ」
直人は無言で立つ。
立つだけなのに、体が忙しい。
靴が走れと言い、手袋が壊せと言い、角が天井に当たるなと言い、
眼が相手を減衰しろと言う。
装備が会議するな。
俺の体で会議するな。
シズクは容赦がない。
「魔王様。視線が泳いでいます」
「……門のログが」
「戦場で門のログを読む必要ありません」
「俺の戦場はログだ」
「なら読みながら勝てるようになって下さい」
直人は口の端だけで笑いかけて、やめた。
「今日の相手は」
直人が言いかけた瞬間、シズクが指を鳴らした。
壁際から魔物が出てくる。
ゴブリンだけじゃない。
スライムが二体。
リザードマンが一体。
そして――ワーウルフが一体、
腕を組みそうになって、シズクの視線でやめた。
直人は喉が鳴った。
「……増えてるけど」
シズクは即答する。
「現場は複合です」
開始。
直人は前みたいに走らない。
走りたくなるのを、足裏で抑える。
手袋で壊さない。
壊したくなるのを、指で抑える。
眼(減衰)だけを“意識して”使う。
(減衰は安全装置。たぶん)
スライムが跳ねる。
直人は距離を取る。
リザードマンが斜めに入る。
直人は体を半身にする。
ワーウルフが突っ込んでくる――
直人は、初めて“受け”をした。
正面で受けない。
角度で受ける。
体重で受ける。
ドン、と衝撃。
手袋が熱い。
腕が折れそう。
でも折れない。
装備が“機能”した。
直人は一歩だけ下がり、すぐ戻った。
戻れた。
直人は息を吐いた。
(制御できた…何とか)
ミリアが後ろで小さく拍手する。
「魔王さま♡ 自爆しない♡」
直人は否定しない。
「ちょっとだけだ。まだ勝てない」
ワーウルフがもう一度来る。
直人は今度、避ける。
避けた先に、スライムがいる。
スライムが跳ねて、足首に絡む。
(やばい)
直人は視線だけで周囲を見て――
角を低くして、体ごと回した。
スライムが剥がれ、リザードマンの足元に飛ぶ。
リザードマンがよける。
ワーウルフが止まる。
一瞬だけ、場が“止まった”。
直人は、その一瞬を逃さずに
魔力を押し出す感覚で、精神集中しながら言った。
「撤退しろ!」
魔物たちは、一斉に引いた。
(勝ったわけじゃない。でも、止められた)
シズクが頷く。
「前回よりは“まし”です」
「褒め言葉?」
「現状分析です」
直人は笑いそうになって、やめた。
笑うと調子に乗る。
調子に乗ると――
その瞬間、またアラートが点滅した。
【優先アラート】門:揺らぎ 高
直人は顔を上げた。
訓練中でも揺れる。
現実側が、もう“こっち”に引っ張られている。
ミリアが、珍しく真面目な声で言う。
「魔王さま。Lvが低いと、“固定”が弱いです♡」
直人は息を吐く。
「……なら上げるしかない」
ミリアは笑顔に戻る。
「はい♡ だから、魔王さまは“成長”が必要♡」
直人は視線を落とす。
成長。
その言葉が、軽いのか重いのか、まだ決められない。
でも――門が揺れるのは、困る。
“家族”に触れたらアウトだ。
直人は杖のUIを開いた。
迷う前に、工程を作る。
【対策案】
A:結界補修(限定的)
B:階層増設→Lv上昇(最短)
直人は喉を鳴らし、AとBを見比べた。
Aは今すぐ。
Bは根本。
ミリアが、優しくないくらい軽く言う。
「階層、増やしましょう♡」
直人は「嫌だ」とは言わない。
代わりに、確認する。
「工数」
「増築一日、設備二日♡」
「資材」
「今なら農園が回ってます♡ 人が動けます♡」
「リスク」
ミリアは一瞬だけ口を閉じた後、
「……門の揺らぎが続きます♡」
直人は頷いた。
それがリスクだ。十分だ。
直人は指を動かした。
【コマンド】→【増築】
候補:B4(新規階層)
目的:固定強化
確認:増設しますか?
YES / NO
直人は深く息を吸い、指先が微かに震えるのを感じた。
(一旦、落ち着こう)
ポケットからスマホを取り出した。
スマホの冷たい感触が掌に伝わる。
この中に、妻と娘の写真「記憶のバックアップ」は残してある。
(……俺のキャッシュ”脳”からデータが消えても、
ストレージ”記録”から再インストールすればいい。
だから、躊躇うな)
(軽々しく上げない。だけど、やらないと守れない)
背後で、シズクが淡々と言った。
「魔王様。増設は“責任”です」
直人は頷いた。
「知ってる」
ミリアが嬉しそうに言う。
「魔王さま♡ 仕事モード♡」
直人は無言。
答えないのではない。
なぜか一瞬、妻の今日着ていた服の色が思い出せず、
思考がフリーズしていたのだ。
直人は、ゆっくりとUIのコマンド”YES”を、
押し切るようにクリックした。
画面が一瞬、白くなる。
【階層増設:開始】
直人はモニターを見つめたまま、静かに言った。
「……揺れるな。門」
LVが上がる。
――もう戻れない。
画面の隅で、揺らぎの表示がひとつだけ落ちた気がした。
(つづく)




