夫人の帽子
「ここまでちょうど半分くらいでしょうか。なので、ここはイングラシアと大陸の真ん中あたりです。何も見えませんけど」
そう、キリエに説明してラキアが笑う。
「でも、空も海も青くてきれい」
キリエがそれでもきれいな景色が見れて嬉しいと、ラキアに伝える。
「そうですね。でも、時々シーサーペントのような魔物も現れるんですよ。今日はいませんけど」
「海の魔物?」
内陸育ちのお嬢様には海の魔物はなじみがない。
「海の魔物ではないのですが、夜は海のお魚を食べてみましょうか」
「魚、骨が……」
普段、食事に出されていた川魚は骨が多い。
正直、キリエは苦手としている。
「海の魚は大きいので、骨は取ってありますよ」
「じゃ、食べてみる」
「魚を食べると、頭がより良くなるそうです」
「じゃ、食べる」
同じ返事を繰り返すキリエに、微笑むラキア。
ふふふふふ。
あはははは。
そこへ、ビュン! と、風が吹いた。
思わず頭を抑えるキリエ。
頭には小さめのシルクハットが乗っている
それは飛ばされたくない。
ラキアに整えてもらった髪が崩れるのも嫌だ。
風が収まったのでキリエは頭を上げて前を向くと、船の前方から、
「あぁ!」
と、悲鳴じみた声が聞こえた。
そこでは、貴族の老夫婦が手を海に伸ばしていた。
その視線の先には、夫人のつばの広い帽子。
風に飛ばされて、海上を舞っている。
船は帽子のために止まることも戻ることもできない。
このままなら夫人の帽子は海に落ちて、流れて行ってしまうだろう。
ラキアは、夫人に何かキザクラ商会で代わりのものを提供することを提案し、慰めようと考え、立ち上がる。
が、同時に立ち上がったのがキリエ。
キリエは漆黒の翼を広げ、海上へと飛び出した。
キリエは、風に翻弄される帽子を何度もつかもうとしては失敗し、それでも何とか、帽子を捕まえることができた。
それに満足したキリエは、再び船のデッキに飛んで戻り、夫人の下へと帽子を持って行こうとした。
しかし、夫人に近づこうとしたところで、キリエはその雰囲気に気が付いて立ち止まった。
デッキ上が緊張感にあふれているのだ。
夫人は震えて腰を引き、それを夫であろう老人が守るように抱きしめている。
キリエが帽子を夫人に渡すべく、一歩を踏み出したところで、老人が叫んだ。
「悪魔だ! 皆の者、悪魔を排除しろ!」
その叫びに、騎士団が走り込んでキリエを取り囲み、剣を向けた。
騎士達の外側には魔導士が並び、キリエに向けて魔法を発動しようと右手を突き出して構えている。
「え?」
何が起こったのか、キリエには理解が出来なかった。
なぜ自分は騎士や魔導士に囲まれているのか。
老人がさらに叫ぶ。
「子供の悪魔だ。だがかまわん。やってしまえ!」
魔導士が詠唱を始める。
「「「火の精霊よ、火の素を生み出し……」
そして、それが放たれる。
「「「ファイアランス!」」」
老夫婦の前にいた三人の魔導士からキリエに向かってファイアランスが放たれた。
「え?」
キリエは自分に向かって放たれたファイアランスを見ながら考える。
なぜ攻撃されているのか。
自分は、夫人が落とした帽子を拾ってあげた、それだけなのに。
それだけ?
悪魔が恐れられているから。
父上がこの階層に悪魔を差し向けたから。
悪魔がこの階層の人々に恐怖を与えたから。
自分が悪魔だから。
ドオンドオンドオン!
ファイアランスが着弾した。
キリエは顔をかばった腕を下げる。
おかしい。
自分に着弾していない。
煙がはれて見えたのは、両手を広げてキリエを守る、真っ白な制服を着た船員の背中だった。
「ラキア!」
キリエが叫んだ。
だが、ラキアはキリエには答えなかった。
「乗船いただいたお客様の安全を守るのは私達の使命です。お客様に傷一つつけさせません! 船内、船上での争いごとはおやめください!」
「ラキア!」
キリエが後ろから見ても、ラキアにファイアランスが着弾したのは明らかだった。
燃えた髪、焼けたほほに手。
制服は耐火性があるかもしれないが、その衝撃は体内にまで及んでいるはず。
「だが、そいつは悪魔だぞ。我がイングラシア聖王国に攻め入った悪魔だ。そいつを討伐してなにが悪い。そこをどけ!」
「どきません。この子が何をしたって言うんですか。お客様の、飛ばされた帽子を、その親切心から海上に飛び出して、取ってきてくれただけでしょう! なぜ、刃を向けるのですか!」
「そいつを野放しにすると、他の人間が殺されるぞ! いいのか!」
「させません。先ほど言いました。少なくとも、この船内では誰にも怪我を負わせません!」
キリエはラキアの後姿を見ながら思う。
エルフとはいえ、ファイアランスを三発も受けたのだ。
無事ではないだろう。
それも、自分のせいで。
「な、貴様、私を誰だと思っている。お前達、その亜人ごと悪魔をやってしまえ!」
騎士達が剣をラキアに向けた。
ズダダダダ!
乗務員のエルフが何人も走って来て、ラキアとキリエを背にして取り囲む。
「船内での戦闘行為は禁止しています。剣を納めてください!」
その次の瞬間、ラキアが崩れた。
ドサッ!
「ラキア!」
倒れたラキアの背中からキリエが片手で抱き着く。
右手にはいまだに夫人の帽子をつかんでいるからだ。
「ラキア、しっかりして。誰か、ラキアを、ラキアを!」
キリエが叫ぶ。
だが、乗務員と騎士達のにらみ合いは未だに続いている。




