第4話
あれから特に何も起きず、私は庭でお布団を干していた。陽の光がない一日中夜の世界でも、洗濯をすると気持ち良くなる。
「やあ、迷者ちゃん。元気そうだね」
声のした方を見ると、包帯さんが片手を上げて、こちらへ歩いていきた。
「包帯さん、こんばんは」
包帯さんは時々、私の体調を心配して様子を見に来てくれる。
「もう、腕のアザも消えているみたいだね」
「はい。包帯さんの塗り薬のおかげです!」
「良かった。でも、油断はダメだよ。体調には気をつけないと」
穏やかに微笑む包帯さんを見ていると、なんだか心がぽかぽかして温かい気持ちになる。包帯さんは私の頭を優しく撫でてくれた。
「あの野蛮狼に襲われたら、俺に言ってね」
「最近は朱角さんも、ちゃんと手加減をしてくれていますよ」
どうやら、包帯さんと朱角さんはあまり仲が良くないみたいだ。私は苦笑いを浮かべて、包帯さんを見た。
「そういえば、元の世界に帰る方法を調べたいのですが、どうやって調べれば良いですか?」
「うーん。他の半妖達に聞くとか?」
「他の人達ですか……」
「野蛮な奴らが多いから、あまりおすすめはできないね」
そう言って、包帯さんは眉を下げた。私が目を伏せて落ち込んでいると、包帯さんは私の顎に触れた。クイッと持ち上げられて、彼と目が合う。
「別に元の世界に帰らなくても良いんじゃないかな。ここが嫌なら、俺の家においで」
包帯に包まれた彼の手が私の手を取る。包帯さんは私の手を自分の頬に当てた。
「ねえ、俺ではダメかな?」
彼は私の手に頬を擦り寄せた。
「あ……」
心臓が少し跳ねる。怪しげな色を宿した赤い瞳が私を射抜く。
包帯さんから視線を逸らした。
その瞬間――
馬鹿みたいに大きいカラスが見えた。
「へ?」
今の私はかなり間抜けな顔をしていると思う。だけど、誰だってあの光景を見れば驚いて変な顔になるだろう。全長七メートルはありそうなカラスが、誰かの体を掴んで飛んでいるのだ。
「ほ、包帯さん! あれ! あれを見てください!」
私はカラスを指さして、必死に叫んだ。
「ああ、あれは烏くんだね。お友達の羅黒と散歩しているのかな?」
「散歩? あの男の子、食べられちゃうんじゃ……」
私はオロオロと落ち着きなく視線を彷徨わせる。包帯さんは巨大なカラスに向かって手を振った。
「あ、来たね」
カラスはくるりと旋回して、私たちの真上を飛び始めた。
「えっ!!」
カラスが男の子の体を離すと、男の子は真っ逆さまに落ちた。
「大丈夫ですか!!」
慌てて駆け寄ると、砂埃の中から男の子が姿を現した。
短い黒髪に口元には鳥の頭の飾り物をつけている。背中には黒い翼が生えている。金色の瞳は楽しげに細まり、微笑んでいるように見えた。
「こんばんは〜」
「えっと……こんばんは?」
男の子は間延びした声で挨拶をしてきた。その直後、男の子の後ろに巨大なカラスが地面に着地した。凄まじい風が私の方へ吹いてくる。
「きゃっ!」
ふらりと体が倒れそうになった瞬間、包帯さんが私を抱き寄せて支えてくれた。
「大丈夫かい?」
「は、はい……ありがとうございます」
包帯さんの意外と筋肉質な体に顔が熱くなった。素早く距離を取ると、彼にくすくすと笑われてしまった。恥ずかしくて、ますます顔が赤くなる。
「ねえねえ〜。『そこのひと』は『めーじゃ』だよねぇ?」
「そうだよ。彼女は迷者だ」
「やっぱり〜」
黒髪の男の子は嬉しそうに私に近づいてきた。
「えっと、君は羅黒くん?」
「ちがうよ〜。おれは『からす』だよ〜」
男の子の言葉に首を傾げていると、包帯さんが説明してくれた。
「彼は烏くんで、あそこにいる巨大なカラスが羅黒だよ」
「あ、なるほど……」
包帯さんに紹介された烏くんは嬉しそうに、私の手を取って上下に振り回す。
「『めーじゃ』に『あう』のは『ひさしぶり』だ〜」
ニコニコと笑う姿は無邪気で、なんだか可愛らしい男の子だ。思わず私も笑みが零れた。
「烏くん……その羽はどうしたのかな?」
微笑ましそうに私達を見ていた包帯さんが、険しい顔で烏くんの羽を指さした。よく見ると、羽の片方には噛まれたような傷があった。
「ん〜? これはね、『くろ』に『かまれた』んだよ〜」
烏くんはなんて事ないように言っているが、傷は深くて痛そうだった。
「烏くん、おいで。手当をしよう」
「『ほうたいさん』は『かほご』だね〜」
包帯さんに腕を引かれながら、烏くんは楽しそうに笑った。
◇
屋敷の一室で、烏くんは包帯さんに薬を塗られている。
「痛いだろう? 可哀想に。子供に対して、こんな酷いことをするなんて……」
「ぜんぜん、いたくないよ〜」
包帯さんは目を鋭くして、烏くんの傷を見つめていた。
「ねえ、烏くん。さっき、迷者に会うのは久しぶりって言ってたよね。私以外の迷者に会ったことがあるの?」
「あるよ〜」
「その人はどうなったの?」
烏くんは少し考える素振りを見せて、笑いながら言った。
「『ひがん』さんにつれていかれたから、わかんない」
「彼岸さん?」
「『ひがんばな』みたいに、『まっか』な『はんよう』だよ」
烏くんの言葉で思い浮かんだのは、あの夢に出たきた赤い髪の男性だった。
「その半妖さんには、どうしたら会えるの?」
「やめておいた方がいいよ」
私の言葉に、包帯さんが厳しい声で反応した。
「大抵の半妖は、悪意を持って君に近づく。俺は彼岸という半妖には会ったことがないが、きっと傷つけられてしまうよ」
包帯さんの言うことは正しいと思う。だけど、このまま動かなければ、何も変わらない。私は元の世界に帰りたい。
「どうしても『あいたい』なら、『くろ』に『おねがい』したらいいよ」
そう言って、烏くんは機嫌良さげに小首を傾げた。




