第3話
最近、楽しみな事がある。毎日、屋敷の庭に黒猫が現れるのだ。真っ赤な彼岸花を口にくわえて、黒猫は私に擦り寄ってくる。
「かわいいね」
頭を撫でると、ごろんと地面に転がってお腹を見せてくれる。もふもふとお腹を触ると、手を甘噛みされた。
「癒される〜」
突然、黒猫がピクリと顔を上げる。黒猫は立ち上がって、勢いよく走り去ってしまった。
「あ……」
私はガックリと肩を落とした。猫が逃げてしまった理由は分かっている。
「なにをガッカリしてんだ?」
朱角さんのせいだ。彼が来ると、黒猫は逃げてしまう。やはり、犬と猫では相性が悪いのかな。
「別になんでもないです」
私が縁側に座ると、朱角さんが後ろから抱きついてきた。彼は私の頭の上に顎を乗せている。
「暇だ! 何かしろよ」
「無茶振りしないでください」
体が密着していても、全く甘い空気にはならない。なんだか、大きい弟が出来たみたいな気分だ。
「くさいな……」
「えっ!?」
朱角さんが突然、スンスンと鼻を鳴らし始めた。
「嫌な匂いだ……」
朱角さんは私が黒猫からもらった花を見て顔をしかめた。
「その花はどうした」
「黒猫ちゃんから貰いました」
赤い彼岸花を毎日くれる可愛らしい黒猫ちゃん。もしかして、あの子の匂いが気になるのかな。
「ふーん。まあいいか」
「何ですか。気になるんですけど……」
私が眉を寄せて見上げると、朱角さんはニヤリと悪戯な笑みを浮かべた。
「面白いことになりそうだ」
「面白いこと……?」
「ははっ! 鬼面がどう動くのか見物だな」
朱角さんの言葉に不安が押し寄せてきた。眉を下げる私を見て、朱角さんはニヤニヤと顔を近づけてきた。
「その花、大事に持っとけよ」
朱角さんはそれだけ言って、去ってしまった。
「この彼岸花に何かあるのかな……」
どれだけ見つめても、ただの彼岸花にしか見えない。私はぼんやりと花を見つめていた。
「あ、れ……」
欠伸を噛み殺しながら目を擦った。少しずつ眠気に襲われる。
「だ、れ……」
ぼやけた視界の中で、真っ赤な髪の誰かが私の頬を撫でた。そのまま、私は縁側で倒れた。
◇
誰かに優しく頭を撫でられている。ゆっくりと瞬きを繰り返すと、彼岸花が咲き乱れる庭が見えた。
「起きたか?」
高めの男性の声で意識が一気に覚醒した。勢いよく起き上がろうとした体を強引に抱き寄せられた。
「ダメだ。どこにも行かせない」
「いやっ! 離して!」
呼吸が荒くなり、心臓が痛いほどに跳ねている。何故かは分からないが、私を抱きしめるこの男の人が怖くてしかたない。
「落ち着け」
「はっ、はっ、は、う……」
赤髪の男性に目を塞がれた。ヒンヤリとした手が私の両目を覆っている。
「やだ、やだ……」
「大丈夫だ。直に何も分からなくなる」
意識がぼんやりとし始めてきた。体からゆっくりと力が抜けていき、抵抗したいのに腕が動かなくなった。
「あ……」
「良くなっただろう?」
まるで電流を浴びて痺れてしまったように、指の一本すらも動かせない。
白い着物に白いベールを被った長い赤髪の男性。名前も分からない彼は、私を力強く抱きしめている。
「…………」
声を出すことすらもできなくて、口からは吐息しか漏れない。
「これでいい。俺の毒で何もかも忘れてしまえ」
意識が完全になくなりかけた。
そのとき――
『起きろ』
低い誰かの声が聞こえた。
パンッと弾けるように目が覚める。視界いっぱいに鬼面さんのお面が見えている。
「き、めん、さん……」
鬼面さんは私が起きたのを確認してから顔を離した。起き上がると、いつもの屋敷が見えている。
「夢……かな……」
チラリと鬼面さんを見ると、彼は彼岸花を燃やしていた。鬼面さんの手の中で、花は炎に包まれて消えていく。
「鬼面さん、その花は……」
彼は何も言わずに、私に近づいて刀を抜いた。
「え……鬼面さん……?」
鬼面さんが刀を振り上げるのを見て、私は思わず目を瞑った。
「ふしゃあ!!」
猫の唸るような鳴き声が聞こえた。恐る恐る目を開くと、黒猫が私を守るように鬼面さんを威嚇していた。あの彼岸花をくれた黒猫だ。
「黒猫ちゃん……?」
黒猫の足元から紫色の煙が出てきた。手で仰いでいると、金属のぶつかり合う音が聞こえた。
「鬼面さん!」
立ち上がって、庭を走ると鬼面さんが黒髪の青年を蹴り飛ばしていた。
鬼面さんが青年に刀を振り下ろそうとした瞬間、私は思いっきり叫んだ。
「待って!!」
鬼面さんの腕を掴んで必死に止める。目の前で誰かが殺されるところなんて見たくない。
「斬らないでください!」
鬼面さんはゆっくりと刀を鞘に戻した。そして、青年の首を掴んで持ち上げた。
「あ、いや、首を絞めるのもダメです! とにかく、殺さないでください!」
鬼面さんは青年の首を掴んだまま、桜の木の方へ青年を放り投げた。
「かはっ!」
青年は木にぶつかって、地面に倒れてしまった。私は慌てて彼に駆け寄る。
「大丈夫ですか!?」
「う、迷者殿……」
ツンツンと跳ねた黒髪に黒い口布を付けた青年は、鬼面さんに蹴られたお腹を押さえながら立ち上がる。
「やはり、一筋縄ではいかぬか……鬼面め……」
青年は忌々しげに舌打ちをして、くるりと身を翻して去っていった。
「さっきの人は一体……」
私は困惑しながら、青年が去っていった方を見ることしか出来なかった。




