星紋と総力戦
ポムルの星紋を初めてちゃんと読んだのは、秋の終わりだった。
言い訳をさせてほしい。僕だって気にしていなかったわけじゃない。ただ、星座を読むというのは本来、剣や盾や椅子にやることだ。生き物の星座は桁が違う。星一等級の野良スライムでさえ三等星まで含めると星の数は三百を超える。ドラゴンの星座は——まあ、星雲だ。人類のちっぽけさを思い知る数をしている。
だから毎晩少しずつ、ポムルが眠っている間に背中の鱗に指先を当てて、光の配列を拾っていた。フィーナが台帳にスケッチを起こしてくれる。ルークさんが座標を読み上げて、私が描くんです——彼女はそう説明していたが、実態はもっと泥くさい。「右に三、上に一、青白い、等級は……四か五の間」「四か五って、どっちですか」「五寄りの四」「それは四ですか」「四だ」「了解、四」。これを何千回と繰り返す。
異変に気づいたのはフィーナだった。
「ルークさん、ここ——」
台帳を広げて、三日分のスケッチを並べた。左肩のあたり。僕が読み上げた座標通りに描かれた星の、ひとつが日によって位置がずれていた。
「角度を変えて見てください」
言われた通り、ポムルの左肩に角度を変えて星座を読んだ。星が——消えた。さっきまで確かにあった光が、ある角度からは見えない。消えたんじゃない。周囲の光がゆるやかに一点へ曲がり、吸い込まれている。
僕は手を引いた。指先が冷たかった。
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村長おばあちゃんの家に行ったのは翌朝だ。
彼女は囲炉裏の前に座っていて、僕が状況を説明し終わる前に立ち上がり、床板を外して木箱を引き出した。中には古い紙束——二代目魔王の草稿だった。
「読みなさい」
僕がそれを手に取るのを待って、村長はゆっくり説明した。
「ブラックホール。魔王殿下はそう呼んでいたわ。強大な魔力をもつボスモンスターの体内に、自然に生じる魔力の凝縮点。闇の魔石ね」
殿下、という呼び方が耳に留まったが、今はそれどころではなかった。
「通常はね、星座と星座のすき間を縫って体外に流れ出るの。瘴気として発散される。ボス部屋の形成や、あの威圧感の源。身体から溢れ出る力——あれは排泄物のようなものよ。汚い話だけど」
「混血の場合は」
「すき間がないの」
村長はそう言って、両手を組み合わせた。指と指が隙間なく噛み合って、ひとつの塊になった。
「異なる星座が重なっている。本来なら瘴気が抜けていく通り道が、別の星座で塞がれてしまう。行き場をなくした闇の魔石は——体の中で育つ」
草稿の図を見た。二代目魔王の几帳面な筆致で、ボスモンスターの星座断面と瘴気の排出経路が描かれている。そして欄外に一行、走り書き。
『混血種ニ於テ此ノ排出機構ハ機能セズ。治療法未詳。』
未詳。要するに、当時の魔王ですら分からなかった。
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万屋に戻ると、ポムルは縁側で一人、星を眺めていた。
最近科学ロマンス(SF)にハマっているから、宇宙人を見つけようとしているのかもしれない。
「ねぇルーク、知ってる? ドラゴンライダーの伝説」
「知ってるよ」
この国では有名なおとぎ話だ。ドラゴンと魂を共有した英雄は、百年間、混沌の世界を飛び回ってイーサファルト王国を作った。
そして、その話には続きがある。
「英雄が大往生したとき、魂を共有していたドラゴンも一緒に死んだの。それで空に赤い星が生まれたんだって。人々はその星を英雄の生まれ変わりとして崇めたって、書いてある」
それだけ言って、ポムルは星空を眺めていた。赤い星を探しているような目をしていた。
けれども、そうじゃない。ポムルが気にしていたのは、伝説のもう一つの方だ。
百年――人間としては長く、ドラゴンとしては短すぎる時間。
その百年という数字を、自分の寿命と照らし合わせているように見えた。
僕は何も言えなかった。一緒に星を眺めていた。
「ねえルーク」
「なんだ」
「僕の左肩のあたり、ときどき冷たいんだ」
心臓を掴まれたような気がした。
「冷たいっていうか——何もない感じがする。前からなんだけど、最近ちょっとひどくて」
前から。いつからだろう。
混血の竜が短命であることは、おそらく英雄の伝説で知っていた。
自分の星座が二つの種族のものだというのにも、気づいていたのだ。
ポムルはこちらを見て、笑った。
「恨むよ、ルーク」
僕の心臓がもう一度止まりかけた。
ポムルは冗談っぽく笑っていた。もしルークが本当に父親なら、つまりルークがドラゴンとの間に子どもを作ったせいでこうなったんだぞ——そういう冗談だった。
成熟していた。幼い頃の「パパだったらいいな」はもう消えていて、でもそれを冗談に変えられるくらいには大人になっていて、だから余計に——
「嘘だよ。恨んでないよ、ルーク」
笑いながら言った。
だから僕は泣きそうになった。
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「お前の星座を、直す」
その夜、僕はそう言った。
ポムルは「うん」とだけ答えて、おとなしく寝台に横になった。
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夜中、ポムルが深く眠ったのを確認してから処置を始めた。
やることは単純だ。ブラックホールの周囲の星の配列を組み替え、吸引の流れを逸らし、核を孤立させて抜き取る。
モンスターの星座を崩してデバフをかける技術の応用で、駆け出しの頃から散々やってきた。星三や星五クラスのモンスターにはよく効いた。
ドラゴンの星座は星雲だ。桁が四つ違う。
だが局所的な処置だ。
ブラックホール周辺の星だけを動かせばいい。長くて二、三十分。椅子や家具なら手慣れた仕事だ。十分もかからない。
けれどもこの椅子はパンを食べる。僕のことをパパと呼ぶ。
指先でポムルの左肩の鱗に触れた。星座を読む。光の配列が掌の上に浮かぶ。一つずつ位置を確認し、流れを逸らすべき星を選び、動かす。慎重に、丁寧に。星を一つ動かすたびに、周囲の配列が微かに揺れる。生き物の星座は抵抗する。僕が直そうとする力を、ポムルの生命そのものが押し返してくる。
星五のモンスターですら、長いこと星座を崩した状態を維持できなかった。何度もかけ直しが必要だった。ドラゴンの星座は——
気がついたら一時間が経っていた。手が震えていた。顔が汗でぐっしょり濡れていて、滴がポムルの鱗の上に落ちた。
最後の一手。核を孤立させ、引き剥がす。
掌の上に、小さな点が残った。光を吸い込んでいる。部屋の灯りが、そこだけ僅かに歪んで見えた。手から落とすと——ガラス玉のように弾んだ。だが音がしなかった。まったく。床を打つ音も、跳ねる音も、空気を切る音も。
闇の魔石。法則性が断絶された領域。そこだけ物理が黙り込んでいる。
急いで魔石に封じ込めた。手が震えていてなかなかうまくいかなかった。
ポムルが寝返りを打った。
「……ん、パパ、手ぇ冷たい」
命を預かることが、こんなにも重いことだとは思わなかった。
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術後、ポムルの手を、僕はずっと握っていた。鱗は温かかった。
目を覚ましたポムルは、金色の目で僕をみあげて、それからふんふん、と僕の手のにおいをかいだ。
「ポムル、お前に言わないといけないことが、ひとつだけあった」
「なあに、ルーク」
「お前は知らないだろうけど、あの赤い星な」
「うん」
「ドラゴンライダーの」
「うん」
「もうないぞ」
ポムルが目を見開いた。「どうして」
「空から落ちてきたんだ」
「え」
「本当だ。あるときそれを予言した人がいた。あの星は隕石になって地上に落ちて、世界を滅亡させると。それを信じて——天空城を作った。避難シェルターにするために。そのために魔石資源を集めたり、いろいろひどいことをした」
ポムルが窓の外を見た。天空城がある方角だ。
「魔王のことだよね?」
僕は答えなかった。
「赤い星は、十五年前に落ちてきた」
「世界、滅びてるじゃん」
「滅びてない。空で砕けた。流星になって燃え尽きて——世界は、滅びなかった」
ポムルがしばらく黙っていた。
「どうして砕けたの?」
「分からない」と僕は言った。「あの星は本当に英雄の生まれ変わりで、最後にもう一度世界を救ったのかもしれない。神様か誰かが宇宙まで飛んでいって、砕いてくれたのかもしれない」
「分かった」
ポムルが言った。確信に満ちた声で。
「ルークがその人に補助魔法を使ったんでしょ」
「ポムル」
「絶対そうだよ。補助魔法なら宇宙でも使えるもんね」
「何度も言ってるだろ」と僕は言った。「僕の昔話では、仲間の誰も宇宙で戦ったりしない。将来お前のお母さんになるドラゴンのヒロインも登場しない」
「ルークは夢がないよ」
ポムルは笑った。
「科学ロマンス(SF)は体に毒だ」
「ふふん」ポムルは笑い疲れて、軽く目を閉じたまま言った。「科学的根拠はないよ」
しばらく、二人で笑いあっていた。
遠くで、鳥が鳴いた。
「ポムル」
「うん」
「お前の星を助ける」
「うん」
それからポムルは、大好きなSF小説も読まずに横になっていた。
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翌日、フィーナを裏の作業場に呼んだ。ポムルには居間で休んでいてもらった。
「応急処置はできた。核は抜き取った。でも——原因が消えていない」
フィーナが台帳を開いて待っている。僕は壁に星座の略図を描きながら説明した。
「混血で星座のすき間が塞がっている以上、闇の魔石はまた生まれる。抜き取るだけでは追いつかない。根治するには、星座そのものを整理して、瘴気の排出経路を復元する必要がある」
「整理、というのは?」
「二つの星座が絡み合っているのをほどいて、片方の星座を軸にして配列し直す。散らかった部屋を片づけるようなものだ——ただし手本がいる」
フィーナがペンを走らせながら、先を促した。
「一つ目。これまでの僕のやり方だ。まず星座全体を解析して、機能維持に必要な配列と、そうでないものを振り分ける。不要な部分を少しずつ整理していけば、詰まりだけを取り除くことができる」
「できる、んですか」
「時間があれば。ポムルの星雲の規模で——正直、何年かかるか分からない。その間も闇の魔石は育つ。追いつかない」
フィーナがペンを止めた。少し考えてから、先を促すように顎を引いた。
「二つ目は——あなたも知ってる方法だ」
フィーナの表情が変わった。気づいている。
「典型的なドラゴンの星座で、ポムルの星座を上書きする。配列が安定したものに塗り替えれば、詰まりは解消される。物相手なら使ったことがある。錆びた鍵の星座を、同じ型の新品で上書きしたことがあるだろう」
「それは——」フィーナの手が止まった。「駄目です」
「駄目だ、というのは分かってる」と僕は言った。「でも整理しておく」
フィーナが黙って待った。
「物の場合、上書きは単純だ。元の星座が消えて、新しい配列に置き換わる。鍵は鍵のままで、ただ錆が消える。
でも生き物の星座は、その個体の経験や記憶と結びついている。上書きすれば——まず記憶が消える。次に性質が変わる。最後に、もとの個体だったものが何を求めるかが変わる」
「ポムルが」
「ポムルじゃなくなる。それだけじゃない。典型的なドラゴンの星座で塗りつぶせば、典型的なドラゴンとして再構成される。全身から瘴気を吐き続ける、凶悪な個体として。——そうなったら、僕たちはポムルと戦うことになる」
フィーナはしばらく台帳を見ていた。それから静かに言った。「三つ目を聞かせてください」
「ポムルの星座は、両親の星座の重ね合わせだ。片方の親の星座を復元するように操作すれば——ポムルの生命を維持しながら、もう片方の星座を分離できる。親の星座を骨格にして整理すれば、瘴気の排出経路は自然に復元されるはずだ」
「はず、ですか」
「前例がない。二代目魔王の草稿にも『治療法未詳』と書いてある。魔王はこの病気を現象として記述した。その先には進まなかった。——進まなかったのか、進めなかったのか、必要がなかったのかは分からないけど」
「でも、ルークさんは進むんですね」
「修理屋だからな。壊れたものを直すのが仕事だ。ただし——」
「親の星座が必要」
「そう。手本がなければ片づけようがない。ポムルの親が誰か、分からない」
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その話を村長にしたとき、彼女はにこりと微笑んだ。
「やってみなさい、ルーク。魔王殿下は、弱ったモンスターを救う術まで考えようとはなさらなかった。あなたはその先に進もうとしている」
「手本がないんです」
「探すのよ。まだドラゴンがこの世界にいるのなら——手本は、どこかにあるわ」
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親の星座を探す。それは先の話だ。今できることをやる。
村の総力戦が始まった。
ミノタウロスが、ある日黙って一枚の紙を持ってきた。紙の上に、驚くほど精密な図が描かれていた。ドラゴンの星紋模式図。
「天空城の図書室にあった」
彼は天空城建設に徴用されていた間、図書室の掃除もしていたらしい。字は読めなかった。だが星紋の図だけは——絵だった。美しい光の配列を、美しい線として記憶していた。
何の役にも立たない記憶だと思っていたのだろう。建設現場で木材を運び、石を積み、掃除をし、戦後は地下に取り残され、ガルモに拾われてここに来た。その長い道のりの間ずっと、頭の片隅にこの絵があった。
「字が読めたら、もっと役に立てた」
彼はそう言った。図の横に説明文があったのだと思う。読めていれば、もっと正確な情報を持ち帰れた。そのことを——怒っているのではなく、ただ悔しいのだと、声の響きで分かった。
「十分だ」
本当にそう思った。
根治にはならないかもしれないが、これを元に、ポムルと共通の星座を探すことができる。
そうすれば恐らく、すべてのドラゴンにとって必須となる、共通の機能を持った星座が特定できるはずだ。
フィーナがポムルの星紋を毎日記録し続けた。目視でスケッチを起こし、等級と属性を当てはめ、日ごとの変化をマッピングしていく。天体観測と同じだ。星雲のすべての星を一日二日で調べることはできない。だが毎日少しずつ、着実に地図を広げていった。
ポムル自身も参加した。自分の体の星紋を、鏡を使って読み上げる。「ここ、青っぽい。等級は……三かな。三と四の間」「三寄りの四?」「四寄りの三」「どっち!」「三!」。フィーナと二人で言い合いながら笑っている声が、作業場から聞こえてきた。
ガルモは何も言わずにパンを焼いた。朝昼晩、作業場に差し入れが届く。ミノタウロスが焼き窯に薪をくべ、カボが「月が移動しました。南南西」と窓辺から報告する。
親の星座はまだ見つかっていない。ポムルの星紋の地図は、まだ半分も完成していない。闇の魔石はいつまた形成されるか分からない。
でも——ひとりではなかった。
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その夜、僕はひとりで草稿を読んでいた。
二代目魔王の筆跡を追いながら、混血種の星座構造について書かれた断片を繋ぎ合わせている。文体は几帳面だが、所々に走り書きの注釈がある。この人は——魔王は、モンスターの命を記述することに情熱を持っていた。ただ、救うところまでは手が届かなかった。あるいは、そこまで手を伸ばす余裕がなかったのかもしれない。世界を滅ぼす星の予言を抱えて、方舟を作ることに必死だった人だ。
足音がした。
ガルモが作業場の入口に立っていた。何も言わなかった。テーブルの端にパンを一つ置いて、そのまま帰っていった。
焼きたてだった。湯気が細く昇っている。
僕はしばらくそのパンを見ていた。それから草稿に目を戻した。
手は、もう震えていなかった。




