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本日、ポムル、しゃべる。

 その日は朝から嫌な予感がしていた。


 カボが「今日は晴れだけど嫌な風が吹いてる」と言ったのだ。カボの天気予報は当たらないが、不吉な予言だけは妙に当たる。かぼちゃの勘を侮ってはいけない。十五年の付き合いで学んだ数少ない教訓の一つだ。


 フィーナが帳簿を広げ、ガルモおばさんの朝パンをかじりながら今日の予定を読み上げている。ギルドの星座盤の更新依頼が一件、街まで出る必要がある。それ以外は平和な一日——のはずだった。


 扉が蹴り開けられた。


 比喩じゃない。本当に蹴り開けられた。カボが「いらっしゃい、乱暴」と言った。


「よう、ルーク! 生きてたか!」


 サージだった。


 僕の全身から血の気が引いた。


 サージ。元勇者パーティの遊撃手。放浪しながら大陸中を歩き回っている男。腰に下げた革袋からは呪いのアイテムがじゃらじゃら音を立てていて、見た目だけなら山賊と区別がつかない。旧友であり、戦友であり、僕が今もっとも家に上げたくない人間の一人だった。


 理由は一つ。裏山から連れてきた白い生き物が、今まさに暖炉の横の籠の中で寝ている。


「久しぶりだな! 元気そうで何より! つーか相変わらず辺鄙なとこに住んでんな!」


 サージは声がでかい。ポムルが起きる。起きたら鳴く。鳴いたら——


「あっ、そうだ!」


 僕は棚に手を伸ばした。先月、鑑定依頼で預かったまま返しそびれていた装備品。暗闇の呪いが付与されたゴーグル。装着すると視界が完全に消える。鑑定結果は「誰が使うんだこんなもの」だった。


 今、使い道が見つかった。


「サージ、これ! これつけてみてくれ!」


「おっ、なんだなんだ、新しい呪具か? どれどれ——」


 サージはこういうとき絶対に断らない。呪いのアイテムに対する好奇心が、常人の警戒心を完全に凌駕している。迷いなくゴーグルを装着した。


「——ぐおっ! 見えない! 何も見えないぞ!」


「ちょっと待ってて、すぐ戻るから!」


「おう! だがなんのこれしき! 俺の勘を舐めるなよ! あ、柱。柱だな今の」


 その隙に籠ごとポムルを抱えて裏口に走った。裏山の中腹にある洞穴——ポムルの本来の寝床に押し込む。ポムルは寝ぼけた目で僕を見た。金色の瞳がきょとんとしている。


「いい子にしてて。静かに。お願いだから」


「きゅ」


 頼むから寝ててくれ。


 万屋に戻ると、サージはゴーグルをつけたまま暖炉の前の椅子にどっかり座っていた。フィーナがおろおろしている。


「あの、ルークさん、この方はどなたで……」


「旧友。無害。たぶん」


「ルーク! この呪い結構すごいぞ! 視界ゼロだが他の感覚がめちゃくちゃ鋭くなってる! もしかしてこれ当たりじゃないか!?」


「…………マジで?」


 呪いのアイテムを喜ぶ人間を、僕はサージ以外に知らない。


---


 落ち着いてから——サージにゴーグルを外させてから——話を聞いた。


 目的は鑑定依頼だった。旅の途中で手に入れた呪具をいくつか持ってきたらしい。テーブルの上に並べられたのは、指輪が二つ、短剣が一本、よく分からない骨のお守りが一つ。どれも禍々しい気配を纏っている。フィーナが一歩下がった。正しい判断だ。


「で、見てくれよ。特にこの短剣。柄を握ると手が痺れるんだが、切れ味が尋常じゃない」


「手が痺れる短剣を常用してるのか」


「痺れは気合いで治る」


 治らない。普通は治らない。だがサージは本当に気合いで治すのだ。呪いのデメリットを根性でねじ伏せて、メリットだけを享受する。それがこの男の戦い方だった。


 僕は短剣を受け取り、星座を読んだ。


 目を閉じると、魔石の配列が浮かび上がる。短剣の星座。基本構造は刃物の典型だが、途中から配列がねじれている。呪いの正体はこのねじれだ。本来まっすぐ流れるはずの魔力が、握り手のところで渦を巻いて逆流している。だから痺れる。だが同時に、その渦が刃先の魔力密度を異常に高めている。


「呪いの構造は分かった。解呪はできるが、そうすると切れ味も普通に戻る」


「じゃあ要らない」


「だろうな」


 僕の役割はいつもこうだ。構造を読んで、説明して、選択肢を出す。使うかどうかは本人が決める。


 勇者パーティの頃から変わらない。僕が見つけて、サージが使う。「こんなの誰が使うんだ」と僕が言うと、「俺だ!」と手を挙げる男がいた。補助役と遊撃手。そういう関係だった。


「他のも見ておく。明日までに鑑定書を書くよ」


「助かる。さすが元Sランク」


「元、な」


「元も今も変わんねえよ、お前は。相変わらず星を読む目だけは化け物だ」


 褒められている気がしない。


---


 鑑定作業の合間に、紅茶を淹れた。フィーナが気を利かせて席を外してくれた。カボが「お客さん長い」と呟いたが、無視した。


「で、どうなんだ最近」


 サージが紅茶をずずっと啜りながら聞いてきた。


「どう、とは」


「ゲールハーツの話。聞いてるか」


 心臓が一拍跳ねた。顔には出さない。十五年の訓練の成果だ。


「噂くらいは。融和政策の第三段階がどうとか」


「まーな。あの仮面野郎も忙しいこった。魔族と獣人と妖精の権利章典を同時に通そうとしてるらしい。胃に穴が開くぞ」


「元気なんだな」


「元気かどうかは知らん。忙しそうではある」


 サージは紅茶を置いて、天井を見上げた。


「なあ、ルーク。ドラゴンの話って最近聞くか」


 心臓が、今度は二拍跳ねた。


「……聞かないな。絶滅したんだから」


「だよなあ。まー、今でもドラゴンが出現したら大騒ぎだろうけどな。なんせ賞金がやばい。懸賞金じゃなくて素材の値段のほうな。生きてる竜なんか見つかった日にゃ、大陸中から人が押し寄せる」


「……そうだろうな」


「お前さ、裏山に何かいないか? 来る途中なんか気配がした気がしたんだが」


「猪ならいる」


「猪かあ」


 サージは「ふーん」と言って、紅茶を飲み干した。


 この男は勘が鋭い。勘が鋭いが、同時に、他人の事情には踏み込まない美徳も持っている。パーティの頃からそうだった。気づいていても、聞かない。聞かないことで守る、ということを知っている男だ。


 ——たぶん。


 たぶん、だが。


「じゃ、そろそろ行くわ。鑑定書は取りに来る」


「泊まっていかないのか」


「いや、南のほうで気になる遺跡があってな。明日には発ちたい。——ああ、あのゴーグル、買い取ってくれ。俺が使う」


「……本気か」


「暗闇で感覚が研ぎ澄まされる呪具だぞ? むしろなんでお前が要らないのか分からない」


 分かってほしい。僕は補助役だ。前線には出ない。


 代金を払い、サージを見送った。村の街道をずんずん歩いていく後ろ姿を見届けてから、ようやく息を吐いた。


---


 ——と、安心したのも束の間だ。


 今日はギルドの星座盤更新がある。街まで出なければならない。


 問題はポムルだ。サージが近辺にいるかもしれない。「南に行く」と言ったが、あの男の言う南は東かもしれないし西かもしれない。万が一にも裏山の洞穴を見つけられたら終わりだ。


 連れていくしかない。


 僕は洞穴からポムルを回収し、マントの内側に抱えた。白い鱗がマントの裏地にちょこんと収まる。まだ手のひらサイズより少し大きいくらいだ。


「きゅう」


「静かに。今日は街に行く。大人しくしてるんだぞ」


「きゅきゅ」


 大人しくする気配がまるでない。


---


 エスタ村から街までは馬車で半日ほどだ。乗合馬車の隅に座って、マントをしっかり押さえる。隣の席の婦人が僕のマントを見て「猫ちゃん?」と聞いた。


「ええ、猫です。人見知りなので」


「まあ、可愛い声ね。きゅうきゅう鳴くのね」


「……そういう種類の猫でして」


 生きた心地がしない。ポムルはマントの中でもぞもぞ動いている。尻尾が裾から出かけて、慌てて押し込んだ。


 街に着いた。


 港町カナリアは、戦後もっとも栄えた交易都市のひとつだ。僕が最後に冒険者をやっていた頃はまだ瓦礫が残っていた埠頭通りに、今は色とりどりの日除けが連なっている。蒸気船の汽笛が鳴って、マントの中でポムルの翼がぴくぴく動いた。初めて聞く音が珍しいらしい。


 目抜き通りに出て、すぐに気づく。


 ここ数年で急に増えたものが三つある。蒸気カフェ。魔石アクセサリーの露店。そしてモンスター連れの若者だ。


 肩にスライムを乗せた商家の娘が、カフェのテラス席で友人と笑っている。革紐で繋いだ小型ワイバーンを散歩させる退役軍人が道の真ん中をゆっくり歩いている。マントの裏にフェアリーを住まわせた学生が、古書店の軒先で立ち読きしている。


 十年前なら衛兵に通報されていた光景が、今では「おしゃれ」と呼ばれている。


 ギルドの掲示板の横にはテイマー協会の広告が貼られていた。「あなたの相棒、見つけませんか?」。可愛らしい書体の下に、小さく免許番号の記載がある。戦争で余った魔獣用の檻が、今はペットショップのショーケースに作り替えられて、通りの一角にずらりと並んでいた。


 彼らは堂々としている。首輪をつけたモンスターと一緒に、陽の当たる通りを歩いている。


 僕はマントの内側を押さえながら、日陰を選んで歩いている。


 同じ「モンスターを連れた人間」だ。だが僕とテイマーたちの間には、通りの幅よりずっと広い距離がある。彼らの相棒は登録証があり、首輪があり、法がある。僕が抱えているのは——この世に存在してはいけないことになっている生き物だ。


 ギルド支部の前を通りかかったとき、テイマーらしい青年が角を曲がってきた。肩に乗せた鷹型のモンスターが、じっとこちらに——マントのあたりに目を向ける。モンスターは同族の気配に敏感だ。


 僕はさりげなく通りの反対側に渡り、干物屋の軒先に身を寄せた。布の隙間から、小さな白い手がちょこんと出ている。


「ポムル、手」


 小声で言うと、手がひっこんだ。代わりにマント越しに、くぅ、と小さな声が漏れる。


 テイマーの青年はすれ違い、そのまま行った。鷹が一度だけ首を巡らせたが、青年は気づかなかった。


 息を吐く。


 ギルド支部で星座盤の更新を済ませ、帰る前に少し通りを歩いた。砂糖屋のお婆さんが「あんた久しぶりだねえ」と飴玉をくれた。ポムルの分も、と思ったが、竜が飴を食べていいのかが分からない。たぶん大丈夫だろう。たぶん。


 問題は、帰り道で起きた。


---


 通りの角で、男に声をかけられた。


 革鎧に長剣。胸元にドラゴンの牙を模したペンダント。腰に「竜殺し」と刺繍された布を巻いている。


 ドラグナー。


 ——の格好をした男。


 本物のドラグナーは迷宮都市に常駐している。辺境の港町をうろついているはずがない。僕はそれを知っている。


「おう、兄ちゃん。変わったトカゲ連れてんな」


 マントの隙間から、ポムルの顔がひょこっと覗いていた。白い鱗。金色の目。どう見てもトカゲではないのだが、この男はそう見えるらしい。


「ええ、まあ。よく言われます」


「テイマーか? 最近多いよな、モンスター飼うの。俺も昔ワイバーンの子を飼おうとしたことがあるんだが——」


 始まった。


「——その前にドラゴンの話をしていいか? 俺さ、ドラグナーなんだよ。本物の。いや嘘じゃねえって。見ろよこのペンダント、ドラゴンの牙だぜ? ……いやまあ厳密に言うとオオトカゲの牙なんだが、オオトカゲもトカゲもドラゴンも似たようなもんだろ? で、俺が三年前にダンジョンの第七層でよ——」


 止まらない。ドラゴンキラー自慢が止まらない。


 僕は内心で遠い目をしていた。本物のドラゴンはお前のマントの中にいるんだが。そして本物のドラゴンの恐ろしさは、お前が語っているものの百倍——いや、千倍だ。


「——でっけえ尻尾でさ、ぶん回されてよ、俺は咄嗟に——」


 それはたぶんオオトカゲだ。


「——ったく今時のテイマーはよ、モンスターの怖さを知らねえんだよな。俺みたいな本物がもっと——」


 本物はみんな迷宮都市だろ。


「——おっ、そのトカゲ白いな。珍しいな。アルビノか? ちょっと触っていいか?」


「あ、すみません、この子人見知りで——」


「ねぇ、このおじちゃんだれ?」


 時が、止まった。


 マントの隙間から顔を出したポムルが、澄んだ声でそう言った。金色の瞳がドラグナーの男をまっすぐ見上げている。


「…………」


「…………」


 僕とドラグナーの口が同時に開いた。


「「しゃべったあああ!?」」


 いや、僕が驚いている場合じゃない。だが驚いた。本当に驚いた。聞き間違いじゃない。はっきりと、人間の言葉で——


「ねぇ、パパ。このおじちゃん、さっきからずっとトカゲの話してるけど、トカゲじゃないよね?」


「黙っ——黙ってくれポムル——」


 ドラグナーの男は顔面蒼白だった。口をぱくぱくさせている。


「しゃ……しゃべっ……おい兄ちゃん、このトカゲ今しゃべ……」


「いえ、腹話術です」


「腹話術!?」


「パパ、腹話術って何?」


「お願いだから黙って——」


 ドラグナーの男の膝が崩れた。地面にへたりこんで、両手をついている。


「す、すみません嘘です……俺ドラグナーじゃないです……このペンダントオオトカゲの爪です……なんかカッコいいかなーと思ってたんですうう……」


 別にそれを告白してほしかったわけではないのだが、男は地面に額をこすりつけている。喋るトカゲの衝撃で全てを白状する人間を初めて見た。


 今だ。


「では失礼します」


 僕はマントをばさりと翻し、全力で路地に飛び込んだ。


---


 帰りの馬車の中で、マントの中からポムルの声が聞こえ続けた。


「パパ、外みたい」


「駄目」


「あのぽっぽ、もう一回みたい」


「蒸気船な。今度な」


「ねえ、さっきのおじちゃん、なんで泣いてたの?」


「色々あるんだ、大人には」


「パパも泣きそうだったよ?」


「……泣いてない」


「むきゅう」


 僕は馬車の窓に額をつけて、流れていく街道の景色を見ていた。


 テイマー文化が悪いとは思わない。モンスターを敵としてしか見なかった時代より、ずっとましだ。少なくとも「生かす」方向には向かっている。


 ただ——生かすことと、共に生きることは違う。


 首輪をつけて従わせるのと、暖炉の横で一緒にパンを食べるのは、似ているようで全く違う。


 その違いを、僕はうまく言葉にできない。できないから、黙って馬車に揺られている。マントの内側で、小さな寝息が聞こえ始めた。喋り疲れたらしい。さっきまであんなに元気だったのに、眠るのは一瞬だ。


 子供だな、と思う。


 竜の子供だ。


---


 エスタ村に着いたのは日暮れ前だった。


 万屋の扉を開けると、フィーナが帳簿を広げて待っていた。カボが「おかえり、遅い」と言った。暖炉の火が静かに燃えている。


 テーブルの上に、紙が一枚。


 サージの置き手紙だった。


> *ルークへ*

>

> *鑑定書は急がなくていい。また取りに来る。*

>

> *P.S. 最近ドラゴンの彼女できた?*


 ぐしゃっ。


 握り潰して、ゴミ箱にシュートした。入った。


「ルークさん? 今の手紙、何て——」


「フィーナ」


 僕はマントの中からポムルを出した。白い鱗が暖炉の明かりを受けてきらきら光る。金色の瞳がフィーナを見上げて、小さな口が開いた。


「こんばんは。ぼく、ポムル」


 フィーナの台帳が手から落ちた。


「大変だ」


 僕は言った。


「台帳に。台帳に記録してくれ」


 フィーナは台帳を拾い上げ、震える手でペンを取り、一行だけ書いた。


 僕はそれを覗き込んだ。


> *本日、ポムル、しゃべる。*


 それだけだった。字は震えていたが、正確だった。フィーナは正確だ。いつだって。


---


 大変な一日だった。


 サージが来て、暗闇ゴーグルを売りつけられ、ポムルを背負って街に出て、偽ドラグナーに絡まれ、ポムルが人前で初めて喋り、全力で逃げて、置き手紙を握り潰して、フィーナに全てを打ち明けた。


 でも一番大変なのは、そういうことじゃない。


 一番大変なのは——この子が、喋り始めたことだ。


 暖炉の横の籠の中で、ポムルが毛布にくるまって眠っている。今日一日の冒険で疲れたのだろう。小さな寝息を立てている。


「きゅう」


 寝言だ。


 いや——寝言にしては、少し違った。


「……ぱぱ」


 小さな声だった。


 僕は毛布をかけ直して、暖炉に薪をくべた。


 大変な一日だった。明日は、もっと大変になるだろう。

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