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万屋(よろずや)の夜

# 序文


---


 これから語られるのは、竜についての記録である。


 ただし、剣と炎の英雄譚ではない。荒野を焼く咆哮も、財宝の山に眠る黄金の瞳も、この記録にはほとんど登場しない。出てくるのは、粉まみれのパン窯と、よく喋るかぼちゃと、田舎の万屋の帳簿くらいのものである。


 それでも、これは竜の記録だ。


 おそらく、最後の竜の。


---


 大竜伐について、簡潔に記す。


 魔王領の制圧は、光の勇者とその同胞たちの献身によって成し遂げられた。勇者は魔王と共に消失し、残された世界には広大な旧魔王領と、そこに根づいた無数の種族が取り残された。


 戦後処理の要となったのは、勇者パーティの参謀であり、のちに「仮面の王」と呼ばれるゲールハーツである。彼は旧魔王領の諸種族——魔族、獣人、妖精、亜人——との融和政策を推し進め、大陸にかりそめの平和をもたらした。


 その代償が、竜だった。


 理由は複合的である。まず軍事。旧魔王領の制圧において最後まで人類に抵抗したのが竜であり、その戦闘力は他のいかなる種族とも比較にならなかった。戦後もなお各地に残存する竜は、新秩序にとって現実的な脅威だった。次に政治。魔族や獣人との融和を進めるうえで、「共通の敵」の存在は交渉の潤滑油になった。竜はその役割に最も適していた。そして経済。竜の素材——鱗、骨、血液、そして体内の魔石——は、当時の技術では他に代替のきかない高純度の魔力媒体であり、軍需産業と商業ギルドがこぞって討伐を後援した。


 政治と軍事と経済。三つの歯車が同じ方向に噛み合ったとき、止められる者はいなかった。


 大竜伐はおよそ二十年にわたって続いた。


 天空に逃れた一群がいたという伝承もあるが、確かなことは分からない。記録に残っているのは、大陸全土で竜の目撃情報が途絶えたという事実と、最後の取引記録だけである。


 辺境の小さなギルド支部に残された素材取引の伝票。品目は竜鱗の欠片、等級は最下級、買取価格は二百五十ゴールド。


 これが、公式の記録における竜の最後の痕跡だ。


 当時の成人男性の平均的な月収とほぼ同額である。


---


 本稿は、エスタ村の万屋に残されていた帳簿、書簡、および同村周辺で発見された複数の手記を底本として編纂したものである。一人称の語りは底本の文体を尊重し、大幅な改変は行っていない。


 内容の真偽については、筆者の立場からは判断を留保する。数千年の歳月は、事実と伝承の境を曖昧にする。ただ、底本の帳簿が二十四巻に及ぶこと、その筆跡が最終巻まで乱れていないことだけは、事実として申し添えておく。


 イーサファルト王立図書館には、特別閲覧の許可と、いつも窓際の同じ席を空けておいてくださることに、格別の感謝を申し上げる。


——イーサファルト王立図書館 特別閲覧室にて

 星の話から始めよう。


 と言っても、ロマンチックな話じゃない。僕にとって星というのは、つまり仕事道具のことだ。


 万屋ブランフォード。それが僕の店の名前で、エスタ村の東の端、裏山の麓にある平屋建ての古い家がそのまま店になっている。看板はフィーナが書いてくれた。字がうまい子で助かっている。僕が書いたら誰も読めない。


 何を売っているのかとよく聞かれるが、正直に言うと、何でも屋だ。農具の修理、薬草の仕分け、たまに鑑定。冒険者ギルドの星座盤の調整を請け負うこともある。要するに、星座を読めるということが僕の唯一の取り柄で、それ以外のことは周りの人間のほうがずっとうまい。


 星座、と聞いて夜空を思い浮かべた人は半分正解だ。


 この世界のあらゆるものには魔石がある。鉱物の中に、生き物の体の中に、空気の中にさえ微かに。そしてその魔石の並び方——配置を、僕らは星座と呼ぶ。夜空の星座が星を線で繋いで形を描くように、物の中の魔石も並び方ひとつで性質が変わる。


 たとえば鍬。農家のおじさんが「最近切れ味が悪い」と持ってくる。研いでも駄目。刃こぼれもない。こういうときは大抵、中の星座が崩れている。長く使ううちに魔石の配置がずれて、鍬としての「形」がぼやけてしまう。


 僕がやるのは、それを読んで、整えることだ。鍬座の星を、鍬座の理想的な形に近づける。そうすると、手入れの行き届いた上等な鍬と同じくらいの切れ味が戻る。


 ただし長くは持たない。僕が触った配置は、遅かれ早かれまた崩れる。だから農家のおじさんは季節ごとにやってくるし、僕は毎回「まいどあり」と言って銀貨を受け取る。


 創造じゃない。補助だ。もともとそこにある力を、本来の形に近づけるだけ。


 地味な仕事だと思うだろう。僕もそう思う。


 十五年前まではもう少し派手なことをしていた。Sランク冒険者。勇者パーティの補助魔法使い。世界を救う旅に同行した——と言えば聞こえはいいが、やっていたことは今と同じだ。仲間の武器の星座を読んで、整えて、少しだけ強くする。崩れたらまた整える。そういう地味な後方支援。


 光の勇者が魔王と共に消えた日、パーティは解散した。


 僕はしばらくぶらぶらして、このエスタ村に流れ着いて、万屋を開いた。理由は特にない。裏山の景色がよかったのと、村の入口のパン屋がうまかったのと——まあ、そんなところだ。


---


 万屋の紹介をしよう。


 まずフィーナ。エルフの薬師見習いで、助手で、帳簿係。この子がいなかったら僕の店は三日で潰れていた。台帳が全てだと信じている子で、「記録されていないことは起きていないのと同じです」が口癖。恐ろしい子だ。恐ろしいが、ありがたい。


 ガルモおばさん。村の入口でパン屋をやっているゴブリンの女性。元魔王軍の料理人だったらしいが、本人はあまり語らない。「昔のことはパンの下に敷くもんじゃないよ」と言って、いつも何かを焼いている。魔石を練り込んだパンが名物で、食べると半日くらい体が温かい。万屋の仕入れ先であり、僕の胃袋の命綱でもある。


 ミノタウロス。名前は知らない。本人が名乗らないのだ。ガルモおばさんの元同僚で、パン屋の窯番をやっている。寡黙を通り越して沈黙そのもの。薪を割り、火を熾し、窯の温度を一定に保つ。それだけを完璧にやる。一度だけ「いい窯だ」と言ったのを聞いたことがある。たぶんあれが最長記録だ。


 カボ。窓辺に置いてある、自我を持つかぼちゃだ。来客があると「いらっしゃい」と言い、閉店時間になると「おしまい」と言う。それ以外にも色々喋るが、大半は天気の文句だ。何者なのかよく分からないが、フィーナの台帳には「受付・窓辺担当・品種不明」とある。本人は気に入っているらしい。


 そして村長のおばあちゃん。正確には万屋のメンバーではないのだが、しょっちゅう来るので実質メンバーだ。紅茶を飲みに来て、縁側で編み物をして、たまにぎょっとすることを言う。「殿下もああいうお茶がお好きでねえ」。殿下って誰ですか。笑ってごまかされる。いつかちゃんと聞こうと思いつつ、十五年が過ぎた。


---


 そういう連中に囲まれて、僕はのんびり暮らしている。


 ——ということにしている。


---


 夜だ。


 晩秋のエスタ村は、日が落ちると急に冷え込む。万屋の暖炉に火を入れて、フィーナが帰って、カボが「おしまい」と言って黙って、一日が終わる。


 静かな時間だ。


 僕は店の裏口から出て、裏山に続く小道を少し登る。毎晩のことだ。この時間だけは、誰にも見られたくない。


 丘の上に出ると、空が開ける。


 晩秋の星空は澄んでいて、星座がよく見える。本物の星座——夜空のほうの。こっちは読むだけだ。整えることはできない。当たり前だ。あれは僕の手に余る。


 腕の中で、小さな塊がもぞりと動いた。


 白い。


 手のひらに乗るくらいの、白い生き物。鱗がある。翼の芽がある。尻尾がある。寝息を立てている。


 名前はポムル。


 ドラゴンだ。


 ——この世界で、おそらく最後の。


 経緯は、うまく説明できない。裏山で卵を見つけた、とだけ言っておく。どうしてあの場所に卵があったのか。誰が産んだのか。なぜあの時期に、あの場所に、僕がいたのか。考え始めると夜が明けてしまうので、考えないことにしている。


 考えないことにしているのは、他にもある。


 もしこの子の存在が外に漏れたら、何が起きるか。大竜伐の残り火を喜んで掻き回す連中がいること。素材としての値段がつくこと。あの仮面の王が、どんな判断を下すか。


 全部、考えないことにしている。


 考えても、手の中のこの子が温かいことは変わらないからだ。


 ポムルが薄目を開けた。暗闇の中で、金色の瞳がぼんやり光る。


「きゅう」


 と鳴いた。意味は分からない。「腹減った」かもしれないし、「寒い」かもしれない。


 目が覚めてしまったらしい。金色の瞳が、きょろきょろと夜空を追っている。星が気になるのだろうか。


「——あのね、ポムル」


 誰にも聞かれていないのを確認してから、僕は空を指さした。


「あの赤いの、見えるか。あれがキングスライム座。赤い星が四つ並んで、王冠の形になってる」


 ポムルの金色の瞳が、僕の指の先を追った。追った——ように見えた。たぶん指そのものを見ている。


「きゅ」


「で、そのとなり。ちょっと右。白い星が弧を描いてるやつ。あれがりゅうおう座」


 ポムルの視線が動いた。今度は確かに空を見ている。りゅうおう座の一番明るい星が、金色の瞳の中にぽつんと映った。


「きゅう」


「……うん。たぶんわかってないよね」


 わかっていない。赤ちゃんだ。当たり前だ。


 でもポムルは、僕が喋っている間じっとしていた。声を聞いているのか、星を見ているのか。どちらでもいいのかもしれない。暗い空の下で、誰かの声がして、温かいものに包まれていて、それで十分なのかもしれない。


 星紋が見える。白い鱗の表面に、かすかに光る線。ポムルだけの星座。生命の設計図そのもの。複雑で、美しくて、僕がこれまで読んできたどんな星座よりも——巨大だ。


 ドラゴンの星座は、夜空みたいだ。


 一つだけ、少し気になることがある。ポムルの星紋の中に、見る角度によってかすかに光が翳る場所がある。星が消えるというのとは違う。光が、一点に向かってわずかに歪んでいるように見える。


 気のせいかもしれない。赤ちゃんの星紋は不安定だ。成長すれば安定することもある。


 ——たぶん、大丈夫だ。


 ポムルが僕の指に鼻先を押しつけて、また目を閉じた。


「きゅう」


 もう一度。今度は甘えた声で。


 僕は腕の中の小さなドラゴンを毛布でくるみ直して、星を見上げた。


 晩秋の夜空は広い。星は静かに光っている。消えるものもある。生まれるものもある。僕には空の星座を整えることはできないが、この手の中の星座くらいは、守れるかもしれない。


 そう思わないと、やっていられなかった。


 裏山を下りて、万屋の裏口を閉める。暖炉の火がまだ残っている。ポムルを温かい場所に寝かせて、毛布をかけ直す。


 暖炉の上の棚に、ガルモおばさんのパンが一つ置いてあった。紙に包まれていて、まだほんのり温かい。いつ持ってきたんだろう。いつも気づいたらある。


 一口かじって、椅子に座って、帳簿を開く。今日の仕事の記録。鍬の調整一件、薬草の仕分け三束、カボが来客に「今日は曇りだから機嫌が悪い」と言って帰した客が一人。フィーナの字で全部書いてある。僕が書き足すことは何もない。


 帳簿を閉じる。


 静かな夜だ。


 万屋の煙突からは、暖炉の煙が細く昇っている。エスタ村の晩秋の夜。ドラゴンが絶滅した世界の片隅で、最後の一頭が暖炉のそばで眠っている。


 そのことを知っているのは、今のところ僕だけだ。

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