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『リプレゼンティングジャパン、ショーヤ・タカハシ!』
名前がコールされる。声援に答えながら、リンク中央に向かっていく。こぶしを胸元に勢いよく引き寄せる動きでジャンプの感覚を確認し、深呼吸。そしてブレードを横にしてブレーキをかける。氷が削れる音が場内に残響した。
後、数秒で曲が鳴り始める。俺はその前に、もう一度心に刻むために呟く。
俺を、俺たらしめている誓い。それはただ一つ――
「絶対に逃げない」
白河はロミオを完璧に演じきった。
なら俺も演じ切ろう。例えどれだけ傷を負っても、決してあきらめずに戦い続ける、剣闘士になるのだ。
曲が始まるとともに、俺は腰から剣を抜いた。そして闘いへと向かう。
まず大事な一本目。
一蹴り一蹴り、しっかりとスピードを上げていく。そしてハーフターンからトウを突く――だが。
着氷の瞬間、俺は衝撃を吸収しきれずブレードが弾かれ転倒していた。
場内からため息が漏れる。
この状況で、この転倒はあまりに致命的。金メダルへの夢は絶たれた……おそらく誰もがそう思っているだろう。
俺自身が誰よりもそう思った。
この大事なところで、俺は失敗したのだ――。なんて愚かなやつ。
――でも。
転倒したのに、妙に冷静になっている時分がいた。今のジャンプは、勢いがありすぎた。逆に、それ以外は完璧。
原因はわかっている。後は、直すだけだ。
もちろん、俺はまだ諦めていなかった。
客観的には金メダルは絶望的なのに、それでもなぜか、妙な自信が身体の奥から湧き上がっていた。
そう、まだ始まったばかりだ。
次決めればいい。すごいやつを。誰もが驚くような至高の四回転を決めて見せればいい。
もう一度。
今度は、一蹴り一蹴りをコントロールして、助走をつけていく。
そして運命のターン。
急カーブから、トウを突く!
その瞬間、確信した。感覚でわかるのだ。振り返った瞬間、両の肩と氷面が完璧に平行になる瞬間がある。そんな時は絶対に成功する。
一回転一回転を味わうように。
そして、俺のブレードは、確かにオリンピックのリンクに、己の誓いを刻み込んでいた。
さらに、もう一度飛翔――ダブルのトウループ!
途端、リンクが激震した。
身体が妙な浮遊感に襲われていた。
続けてトリプルアクセル! 空を切り裂くように、高く鋭く跳びあがる。そしてパラシュートで落ちるように余裕で着氷。
円を描くサーキュラーステップを挟んで、演技は後半に入る。
そして、嵐の前の静けさが、リンクを覆った。
ここから5連続ジャンプ。
本来であれば、トリプルルッツの予定。だが、俺にもうそのつもりはなかった。
代わりに挑むのは――トリプルアクセル!
四回転に次ぐ最高難度の技も、今の俺にとってはなんてことない。楽々着氷して、さらにダブルトウループ、ダブルトウループと3連続のコンボにつなげる。
そしてトリプルフリップ、トリプルサルコウ、トリプルループと中難易度の技を息つく間もなく決める。
――次が最後のジャンプだ。
予定ではトリプルルッツ+ダブルトウ。
ここまで一見ノーミスだが、実は一つやり損ねているエレメンツがある。
演技後半最初のジャンプは、3+3+2を予定していたのだ。それが、3+2+2になった。だから最後のジャンプで、3+2を3+3に変えるのが妥当だ。
だから普通に考えれば、次はトリプルルッツ+トリプルトウループ。疲労が溜まった演技最後のジャンプにしてはかなり高難度。これでも十分チャレンジングだ。
だが己に問いかける、
それで、果たして逆転できるのか。金メダルが取れるのか。
いや、金メダルを取れるのかが問題じゃない。
大事なのは、果たして今までの演技が、金メダルに値するの、そして俺が俺であると証明するものなのかだ。
答えはNOだ。
「こんなの、俺の限界じゃない」
俺は演技中にもかかわらず、思わず呟いてしまった。
逃げないこと。それが俺のポリシーだ。それはつまり、限界に挑むということ。それで、俺の限界はトリプルルッツ+トリプルトウループなのか。
いや、違う。
そんなんじゃダメだ。
こんな誰でも跳べるようなジャンプを、限界なんて言わない。言ってはいけない。
そうだ。いつだって、逆転の方法は一つ――クワドラプルしか無い。
絶望的な状況でも、四回転に挑むこと。
それが、俺のアイデンティティー。
だが既にトウループを二回飛んでいるから、これ以上同じ種類のクワドには挑戦できない。
となると――
答えたはたった一つ。
クワドラプルルッツ+トリプルトウループ。




