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とうとう迎えた男子シングルショートプログラム当日。会場入りし、控え室に向かうと、いつものメンバーが勢ぞろいしていた。アメリカのブラック、カナダのウェア、ロシアのベルキナ……世界選手権やグランプリファイナルでおなじみの顔ぶれ。
だが、その雰囲気はいつもとはまったく違う。
基本的に試合前は、仲のいい選手同士でも雑談をしたりというような雰囲気ではないものだ。だが、それでも、ここまで沈黙が支配する控室も珍しい。世界選手権やグランプリファイナルですら、こんな空気ではなかった。
「おはよう」
仲のいい選手たちに声をかけると、いつもより低めのトーンで返事が返ってくる。荷物を置きながらさりげなく周りの選手を見ると、どの選手も露骨に表情が硬かった。特に、メダルを狙うようなトップ選手ほどその傾向が強い。
これがオリンピックなのだ。
と、俺の少し後に白河がやってくる。彼は「おはよー。いよいよだねー」と気の抜けた挨拶をしてから、俺の尻を触ってきた。
「てめぇ、まじで噂になるからやめろ」
彼の表情からは、少しも緊張が窺えなかった。本当に緊張していないのか、それとも窺わせないように感情を隠しているのか。
「じゃ、ショート後の記者会見で会おう」
それは普段謙虚な彼にしては、少し珍しい、自信を覗かせる発言だった。
それから少しして、とうとう第一グループの演技が始まる。俺はウォームアップをしながら、画面越しに演技を眺めた。
……このリンクを包む異様な雰囲気は、画面越しにでも感じられる。
一番滑走の元世界王者、ケビン・ブラックの演技がそれを象徴していた。抜群の安定感が彼の持ち味なのだが、今日は違った。冒頭トリプルアクセルで転倒すると、その後のコンビネーションも3+2になる。さらにステップからのジャンプも転倒。ジャンプは何一つ決まらなかった。当然、点数は元世界王者のものとは思えないものになり、金メダルはおろか、入賞も危ぶまれる。いや、それどころか下手すればフリーに進めないかもしれない。
優勝候補がメダル争いからいきなり脱落したのだ。その衝撃はあまりに大きい。
だが、番狂わせはそれだけではなかった。第2グループでも大波乱があった。前回五輪の覇者、ロシアの英雄アレクサンドル・ベルキナが四回転でまさかの転倒。そもそも出場大会が少ないとはいえ、なんと彼はこの4年間、公式大会で転倒が一度もなかった。4年ぶりの転倒が、よりによって五輪、しかもショート。他は完璧に決めたので、まだメダルへの可能性は残されているが、しかしレジェンドの転倒は観客はもちろん選手にとっても衝撃的だろう。
一方で、思いがけずいい演技をする者もいた。特に現在暫定一のエブラハム・アッカーは、グランプリシリーズの出場権が1試合しかない、世界ランキング50番台の無名選手だ。しかし、彼がなんと70点台後半の得点をたたき出し、現在1位。俺は演技を見ていないが、どうやら四回転を決め、技術点で得点を稼いだらしい
オリンピックでは何が起こるかわからない。それを痛感させられる。
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