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 ♪


『女子シングルの代表選考は大激戦になっています!』

 アナウンサーの熱弁が、リンクの盛り上がりを視聴者に伝えてくれる。

 クリスマスイブに行われた女子ショートプログラム。暫定1位は河合藍。続いて近藤みずほ。そして君崎は3位につけていた。

 3人の差は本当に僅かで、ミス一つでひっくり返る点数だ。

 そして迎えたフリースケーティング。俺はホテルのテレビで観戦していた。

 最終グループの1番滑走が近藤。5番滑走が河合。6番滑走、つまり女子フリー最終滑走が君崎だ。

 たったいま、河合が会心の演技でフリースケーティングを終えたところだ。


――河合さんの得点。201.11。現在の順位は第1位です。


『200点を超えてきました!』

『これは、本当にすごい展開になりましたね』

『河合、後に滑る君崎に大きなプレッシャーをかけました』

 五輪の女子シングル代表枠は一つしかない。よって、君崎が五輪に行くためには、この全日本で1位を取らなければいけないんだが……

 確か、君崎のパーソナルベストは198点。つまりパーソナルベストをさらに超える演技をしなければ、五輪にはいけないのだ。

 滑走順が直後の君崎は、たぶん河合の演技も点数も見ていないだろう。だが、観客の反応で前の演技がどれほどのものだったかは大体分かってしまう。君崎が自分の置かれた状況を把握しているということを、その険しい表情が物語っていた。

『24四番。君崎凛さん。クリスタルパレス』 

 神埼コーチに背中を叩かれて、リンクに飛び出す。

『さぁ、君崎の演技です。ショートは僅差で3位』

 君崎が五輪に行くためにはミスが一切許されない、という状況だ。ノーミスは前提、その上で出来栄え点GOE、そして演技構成点でどこまで点数を積み上げられるかが勝負になるだろう。

『今シーズン急成長を遂げた天才ジャンパーです。五輪へかける思いは誰より強いはず。逆転のフリースケーティング。赤いドレスに込めた、その決意。曲目はトスカ』

 この状況。今彼女の心の中で起きている葛藤が、俺には手に取るようにわかる。即ち、挑戦すべきか、安全策でいくか。

『演技冒頭は四回転の予定ですが、挑んでくるでしょうか』

 四回転を含めてすべてのジャンプを成功させれば間違いなくオリンピックに行ける。

 だが四回転抜きでも、すべてのジャンプを完璧にこなせば、上位二人と互角の勝負にはなるだろう。だが、確実に勝てるとは言い切れない。

 そして、四回転に挑んでも、あるいは挑まなくても、転倒したら一巻の終わりだ。今まで人生をかけて目指してきたオリンピックへの道は閉ざされる。

 どの選択肢を選んでもある程度のリスクはある。だが、この一切ミスを許されない状況で挑む四回転は、途方もなくハイリスクだ。

 確かに前の大会では四回転を成功させたが、しかしそれでも、この人生がかかった状況で挑むのはリスクが大きい――

「でも、お前はやるよな」

 君崎はここで迷う選手ではない。彼女はマグレの勝利ではなく、自分で掴み取った勝利でなければ意味がないと思うはずだからだ。

 君崎は定位置につく前に、ジャンプの軌道の確認を行った――その種類は、トウループ。

 その姿を見て、会場にいた全ての観客が理解した。

『どうやら四回転に挑むようです』

『決まれば大きいですが、失敗すれば五輪は遠のきますね』

 ――君崎の『トスカ』が始まる。

 冒頭短い振り付けからすぐにジャンプへと向かう。

『さぁ、挑みます――」

 恐れなど知らぬそのハーフターンから、左足のトウをついて跳び上がる。その跳躍は完璧だった。

 まっすぐな軸で、美しい軌跡を描き四回転――

 ――降りたッ!

 と、誰もが思った次の瞬間。

 場内から悲鳴が上がった。その大きさは、観客たちが抱いていた期待の大きさに比例していた。

『あぁ、転倒です』

 弾かれた。 

 助走、空中姿勢、高さ、飛距離、全て完璧に見えた。見えたのだが、なぜか弾かれてしまった。

 運命が味方しなかった。そう言う他ない、そんな転倒だった。

『四回転のトウループ。転倒してしまいました。ですが回転は足りています」

  これはかなり厳しい戦いになってきた。だが、今ならまだ取り返せる。ダウングレードでさえなければ、転倒してもそこまで点数は低くならない。、

 ここからノーミスでいけば、まだ可能性はある。

『おっと、これは……どうやら二度目に挑むようです』

 そうか。これが彼女の決意なのだ。

 ここから無難に演技をしていけば、もしかしたら僅差で五輪への切符を得られるかもしれない。だが、それでは確実ではない。なにより意味がない。

 ここで四回転を決めれば、逆転の可能性はぐっと高くなる。そしてそれは自分でつかみ取った勝利になる。

 もちろん失敗すれば、オリンピックへの扉は完全に閉ざされてしまう。――それでも、彼女はリスクを取るのだ。

 簡単なターンから、勢いを殺さないように、跳び上がる。

 四回転――だが、

 跳び上がった瞬間に分かる。軸が歪んでいる――回転の途中で身体がバラけてそのまま転倒。

『二度目も転倒』

『今度は回転が足りていませんね』

 最悪のパターンだ。

 四回転は基礎点が高いので、例え転倒しても、ちゃんと周りきっていれば、三回転トウより高い点数がもらえる。

 だが、回転不足となるっと話は別だ。その場合、実質的には三回転と判断され、基礎点も三回転のものになる。さらにそこからGOEマイナス3点、転倒のディダクション1点が引かれ、トータルで0点扱いになってしまうのだ。

『大丈夫。ここから立て直していけるかが大事です。まだチャンスはあります』

 そう解説者の言うことは正しい。確かにまだ試合は終わっていない。少なくとも、君崎もそう思っているはずだ。

 だが、もう彼女が五輪に行くことはない。

 現在のフィギュアスケートは本質的には減点方式。失敗を取り返すのは極めて難しい

 そして、二つの転倒を埋めるような方法は存在しないのだ。

『さぁ次のジャンプはトリプルルッツからのコンビネーション。ここは決めたい……』

『トリプルルッツ、トリプルトウループ。これは決めました』

 そんな状況で、しかし彼女は懸命に滑り続けた。トリプルジャンプ、スピン、ステップと決めていく。大きなミスはない。

『最後のジャンプ』

『トリプルサルコウ、なんとか堪えました』

 そして最後のスピンコンビネーションで演技を締めくくると、彼女の迫真の演技に対して、観客たちは惜しみない拍手を送った。

 素晴らしい演技だった――冒頭で2回転倒した以外は。

 彼女はなんとか笑顔を浮かべて観客たちに手を振る。花束を拾い上げ、リンクの入り口で神崎コーチと抱擁。そのまま肩を抱かれて、キスアンドクライに入る。

 カメラに向かって控えめに手を振る。

 だが、その顔は明らかにひきつっていた。

 大体どれくらいの点数が出るのか、予想はつく。そしてそれが上位選手に及ばないのは明白だ。

 でも心のどこかで期待していた。俺だけじゃない、君崎自身もきっと。もしかしたら何かあるんじゃないかって。

 だが――

『君崎さんの得点』

 現実は残酷だった。

 その点数は、1位、2位を大きく下回る。

 そして、それは宣告された。

『現在の順位は、第3位です』 

 君崎がこれまでの人生をかけて目指してきたオリンピックへの扉が静かに閉まった瞬間だった。

 彼女は一度お辞儀をすると早々にキスアンドクライを立ち去った。


――君崎が君崎であることを証明すればいい。


 俺はそう言った。

 つまり、四回転に挑戦しろ。絶対成功すると言ったのだ。

 そして、結果がこれだ。

 どうして、昨日の俺はあんなにも無責任なことを言ってしまったのだろう。

 今の彼女になんて言うべきなのだろう。謝罪するべきなのか、それとも慰めるべきなのか。わからなかった。


 ♪

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