13
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午前中の練習が終わった後、家に戻ってシャワーを浴び、出かける準備をする。
「やべぇな……」
普段、練習漬けの毎日だから練習や試合以外でほとんど出かけることがない。俺にとって出かける=練習・合宿・大会であり、それなら恰好はジャージで十分なので、私服を買うという習慣がないのだ。
だからクローゼットを覗いてもデートに使えるような服がまったくなかった。
「……いっそ、日本代表のジャンパーとか?」
もちろんそんなわけにもいかない。とはいえ、どれだけ悩んでも、服が湧き出てくるわけもなく、結局、一本だけ持っていたジーパンに白シャツというなんともいえない、ファッションセンスゼロな男が出来上がる。ファッションセンスゼロな俺が見ても、ファッションセンスゼロなのだから、これは客観的に見たらかなりファッションセンスゼロなんだろう。
今のこの姿を、ファンの皆様が見たらなんて思うだろう……。
だが、こればかりはどうしようもない。俺は諦めて、その恰好で一階に降りて行く。君崎は既に玄関で待っていた。
「悪い、待たせた」
「いや、ぜんぜん」
君崎のいでたちは、端的に言うとバッチリだった。服の名前がわからないので、言葉で表現できないが、とにかくモサい感じが一切しない。
そんなオシャレな君崎は、俺の姿を見て、
「……やっぱ、まともな服持ってなかったの。服屋に行く服がないとはまさにこのことだね」
そんな厳しい評価を下した。
「レベル0、GOE-3点」
レベル0でそもそも得点がないのに、わざわざGOE-3点とつけてくるあたり手厳しい。
「このコーディネートが許されるのは中学生まで」
チャンピオンの私服は中学生レベルらしい。
「悪かったな」
「ま、いいや。とりあえず行こっか」
私服はレベル0の評価だったが、それでお出かけがなくなる、なんてこともなかたようで、ひとまず安心した。
家を出て、駅まで十分ほど歩く。電車に乗って地元の駅から二駅。俺たちは教科書にも名前が乗っている某財閥の名前を関したアウトレットモールにやってきた。
平日の昼間だが、それなりの人込み。
「しかし、見事に服屋さんばっかりだな……」
「スケート靴のショップがあるとでも思ったの?」
「いや、さすがにそれはねぇよ」
「今日は、もっさい恰好をした勝也に服を買いに来たの。まぁ、スケート選手だし、そんなにしょっちゅう出かけることもないだろうけど、一着くらいはちゃんとした服を持ってたほうがいいでしょ?」
「……まぁそれはそうかもしれない」
――世界チャンピオン、私服のセンスはレベル0。
なんて記事がメディアを騒がせた日には、フィギュアスケート男子シングル全体の印象が悪くなりかねない。
「最近は本当にちょっとしたことで叩かれるからなぁ。フィギュアスケートの顔として、気を付けなければ」
「どこまで自信家なの……」
君崎は心底、呆れたという顔をした。
「まぁ、今日は私がちゃんと世界チャンピオンにふさわしいコーデをしてあげるから」
「……よろしくお願いします」
「じゃ、とりあえず……」
と、彼女は近くにあった店を指さしてそこにズカズカ入っていく。どうやら、有名なブランドらしいのだが、俺にはさっぱりわからない。
店に入ると、すぐさま店員が話しかけてくる。
「今日はどんな服をお探しですか?」
服屋に行くと毎回思うんだけど、店員がいきなり声かけてくるの本当に怖いんですけど。なんなの。
「えっと……」
俺が何と答えていいのかまごついていると、横から君崎が助け舟を出してくれる。
「とりあえず、この人の服を一式揃えたくて。ほら、服のセンスゼロでしょ?」
と俺を指さしてそんなことを言う君崎。すると店員は苦笑い。
「いやあ……確かに?」
おい待て。確かに? じゃねぇよ。この店どんな教育してんだよ。接客態度として問題大ありだろ。
「ってわけで。とりあえず――」
ただ、あとは基本的に君崎がどうにかしてくれるようで、俺は君崎についていく。
「はい、じゃぁこれ着てみて」
君崎に渡された服。まぁ確かに、なんかカッコいい……気もする? というより、しっくりくると言った方が正しいのかもしれない。これなら服屋に行くのも恥ずかしくなくなりそうだ。
と、値札を裏返して驚く。
「うわ、高っ」
服一着で1万円とか。
だが、君崎は、
「ユニクロ基準で考えたらダメだから」
「……悪かったな」
「それに、ちょっと高くてもいいじゃない。私お金なら持ってるから」
女子高生のセリフとしていかがなものか。
「あんたと違って、私CM料たくさんもらってるから」
……今年のCM出演数ランキング第4位でしたっけ。
「俺だって賞金いっぱい貰ってるからな。別に金には困ってない」
「じゃぁ今度何か奢ってもらいましょう」
と、一通り店内を見ていき、君崎は何枚か服を取ると、俺に着てみてという。俺は黙って更衣室に入って着替える。
「ああ、意外とサイズあってない。じゃぁ次はこれ着て」
俺は試着室の前で、君崎が次から次に持ってくる服を着ては脱いで、着ては脱いで。マネキンになった気分だった。
それから店を転々としていき、最終的に何着かの服を購入。
「とりあえずこれいいじゃん。カッコいいよ」
……確かに、うん、少なくとも今日の俺の恰好よりはずいぶんマシだ。
「少なくともさっきまでの恰好より数倍いい」
と、君崎は満足したようで、俺に服を脱ぐように指示して、それをそのままレジに持って行った。チラッと値段を見ると、まぁまぁ大変なお値段になっていた。これがCM出演数年間第4位の実力か。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
「どういたしまして。それより、なんかおなか減ったねぇー」
時計を見るともう2時だった。練習後に昼食は済ませてあったが、食べたのは11時くらいだったし、かなり歩き回ったこともあって割とお腹が減ってきた。
「そうだ、駅の向こう側のパンケーキ屋さん、行こうか」
「……そんなのアスリートが食べていいのか?」
“パンケーキ”というのが、いつものホットケーキミックスで作られたようなやつではなく、めちゃくちゃホイップクリームやらフルーツやらが乗ったやつだということは流石に俺でも知っていた。
「大丈夫。低カロリーがウリのお店ができたんだよ。アスリートにも優しいから」
というわけで、アウトレットから5分ほど歩き、目当てのお店に向かう。
店内はそれなりに混んでいたが、並ぶほどではなくすぐに席を案内される。
「私はふわふわ"スフレパンケーキのセット。アイスコーヒーで」
メニューを開くなり、君崎は戸惑いなく注文した。
「自分……これで」
俺は妙に長くて可愛い名前を口にするのが恥ずかしくて、メニューの写真を指さす。
「はい。幸せな夢ののとろふわパンケーキセットですね」
「なにそれ勝也、可愛い」
「いやいや、この店可愛いメニューしかないから」
だいたい、なんだ幸せで夢って、どんだけのパンケーキが出てくるんだ。
「お飲み物はどうされますか」
「アイスティーで」
「俺はアイスコーヒーで」
その後数分たわいもない雑談をしていると、先に飲み物が運ばれてくる。
「パンケーキはもうしばらくお待ちください」
「はーい」
再び二人になる。そこで俺は、前々から気になっていたことを聞くことにした。
「ところでさ」
「なに?」
「これ聞いていいのかわからないけど」
「とか言って、聞く気満々だよね」
「まぁそうだね」
「で?」
「なんでこんな時期にコーチを変えたんだ?」
五輪まで半年というタイミングでコーチを変えるなんて、普通ならありえない。
しかも前のコーチ、ニコライ・アレヒンは、スケート関係者なら誰でも知っている“金メダルメーカー”。一方神埼コーチは、まだまだ実績がなく、客観的には一流コーチとは言えない。
もちろん、俺は長いこと一緒にいるから、コーチの良さを理解しているが、逆になぜ君崎が神埼コーチを選んだのかが気になるのだ。
「別に前のコーチが悪かったわけじゃないんだ。ううん、それどこからあの人はすごい人だった。でも私と方針が違ったの。前のコーチはとにかく計算高くて、戦略家だった」
確かに、アレヒンは選手ごとに“勝てる戦略”を立ててくれることで有名だ。選手の得手不得手、ルール・環境に合わせて最適な演技を作り上げる。その結果、何人ものチャンピオンを生み出してきたのだ。
「私が勝つためには、三回転の質とか、スピンステップ、つなぎを頑張るべきだっていうのがコーチの方針だった」
新採点システムに移行した時、一番早くそれに対応したのが彼だった。それまでの「ジャンプの難易度」と「表現力」重視の採点が、ジャンプ・スピン・ステップすべてのエレメンツの「完成度」と、基礎的な「スケーティングスキル」重視の採点に変わったことに、彼はすぐ気が付いた。そしてそのルールの下で効率よく得点を稼ぐ術を選手に教えていったのだ。
「もちろん、ジャンプ以外の要素は大事。でも、私はそれだけじゃいやだった。80点を確実に取れる演技じゃなくて、うまく行けば100点を取れる、そんな演技を目指していきたかった」
彼女の念頭にあるのは、当然四回転だ。
現行のルールでは、四回転はハイリスクローリターンというのが定説だ。
確かに成功すれば、他のジャンプよりいくらか高い得点を貰える。しかし僅かにでも回転が足らなければ、スコア上三回転として扱われる。そしてその場合、「質の悪い三回転」とみなされるため、例え着氷しても無難な三回転以下の得点しかもらえない。転倒すれば、ディダクション(ルール違反による減点)も含めてゼロ点ということになる。
それだけのリスクがあるにも関わらず、四回転の基礎点は、完璧なトリプルアクセルとさほど変わらないのだ。
そんなわけで男子さえ四回転を跳ばない時代に、女子が四回転をプログラムに組み込むという「無謀」を、アルヒンコーチは許さなかっただろう。戦略として間違いだからだ。
「でも神埼コーチは、やりたいようにやらせてくれるって聞いたから。だからここに来たの」
確かに、神崎コーチの座右の銘は“自主性”だ。もちろん客観的なアドバイスはしてくれるが、それを採用するかは選手次第。基本的にはやりたいようにさせてくれる。だから俺は、実績がなくても神崎コーチに教わりたいのだ。
「俺も、お前とまったく同じ人種なんだな」
新採点システムに移行してから、スケート界は妙に縮こまってしまって、誰も難しい技に挑戦しようとしなくなった。時代が求めていないのだと。
俺たちははそんな時代に抗いたいのだ。
「実は、四回転に挑戦したいって言ったとき、周りの人たちに言われたの。できるわけないって」
そんなのやってみないとわからないじゃないか。そう思うと同時に、周りのやつらが無理だと思うのも無理ないとも思った。
それくらい、女子が四回転を跳ぶということは、考えられないことだったから。
「私はみんなが無理だっていうことを実現して見せたかった。だから、神崎コーチのところに来てよかったと思う」
正直、神崎コーチの指導力は、世界のトップコーチたちに比べれば、それほどでもないと思う。別に現役時代ジャンプが得意だったわけでもないし、表現力が特別豊かだったわけでもない。
でも神崎コーチには、他のコーチより絶対的に勝っている部分が一つある。それは「選手の勝ちを求めない」ことだ。神崎コーチは常に、“選手がどうしたいのか”を重視する。
だからこそ、この安定性第一の時代に、神崎コーチは四回転を跳ぶことを許してくれる。俺たちがそうしたいという思いを最優先にしてくれるから。
その結果、君崎は見事に女子として初めて四回転を成功させた。
「でもまだこれからだけどね」
そう、俺たちの目標はあくまでオリンピック。そこで至高の演技をすることだ。
「もう一度四回転を、オリンピックの舞台で成功させたい」
旧採点システム時代の末期、つまり今から8年ほど前。フィギュアスケーターたちは、競って四回転を跳んでいた。時代がそれを求めていたから。ソルトレイクシティオリンピックでは、ある選手がショートフリー合わせて4本の四回転を跳んだかと思えば、ある選手が四回転+三回転+三回転を決めて見せた。まさしく死闘だった。あれは、間違いなくフィギュアスケートの最盛期だった。
しかし今では見る影もない。新採点システムに移行してから、フィギュアスケートは間違いなく退化している。そんな中で、俺と同じく時代に抗う反逆者が、俺の新しいリンクメイトなのだ。ようやく仲間を見つけた。そんな気持ちになった。
「じゃ、そろそろ帰ろっか」
リンクの改装もそろそろ終わるはずだ。夜かららはまた練習できるはずだった。
「おう」
会計を済ませ店を出る。駅に向かって歩いていると、突然後ろから大きな声がした。
「すげぇぇ!」
振り返ると、小学生くらいのキッズたちが俺たちの方を見ていた。どうやら下校中の小学生の集団らしい。
大人なら、街で有名人を見かけても声をかけたりはしない。スケートファンなら尚更そういうことには気を遣う。だが、子供は正直だ。
「やべぇぇぇ!」
実にキッズらしい言葉を叫びながら駆け寄ってきた。俺たちはあっという間に取り囲まれてしまう。
いやはや、これが有名税というやつか。まったく、有名すぎるのも困りものだな。
「君崎凛だ!」
「やべぇ本物だ!」
「握手して!」
「サインちょーだい!」
と、キッズたちは君崎に対してマシンガンのように言葉をぶつける。
おいおい、どうした、キッズたち。目の前に君崎凛よりも遥かにスゴい、世界最強のスケーターがいるぞ。
世界ランク1位、世界王者の高橋勝也だぞ。
「ところで」
と、一人がようやく俺のほうをみた。
「お兄ちゃん誰?」
おっと、聞き間違いかな。
「君崎凛の彼氏? 芸人?」
「どっちでもないわっ!」
世間知らずにも程があるだろ。まさか世界チャンピオンの俺を知らないとは。
「まったく君たち。もっとニュースを見なさい。お兄ちゃんが、世界チャンピオンの高橋勝也だよ?」
「誰それ」
「お前知ってる?」
「いや、知らん」
おいおい、このガキどもの家にはテレビも新聞もないのかな?
「世界チャンピオンって、白河悠人じゃないの?」
どうやら、このガキども、白河悠人のことは知っているらしい。これほどの屈辱があるだろうか。
「まぁいいや」
と、ガキどもは俺への興味を完全に失い、
「それよりサインして!」
ランドセルから取り出した“連絡帳”を君崎に差し出した。快くサインする君崎。
「はい、どうぞ」
「すげぇ!」
「まじすげぇ!」
「じゃぁ、私たち行かなきゃいけないから」
君崎がそう言うと、
「じゃぁな!」
「オリンピック頑張れよ!」
と君崎にいいなながら、くそガキどもは歩いていった。
「……」
俺はあまりの出来事に、一瞬思考回路がストップする。
――そうだ、事実関係を確認しなければ。
携帯を取り出して、電話を掛ける。
「もしもし!」
と、ユキの天使のような声が電話越しに聞こえてくる。
「勝也兄ちゃん、どうしたの?」
「大事なことを聞くぞ」
「え、なに?」
「世界で一番強いスケーターは誰だ?」
「それは勝也兄ちゃん!」
そうだ、そうだろう。ユキには真実が見えている。うん。
「世界でもっとも観客を感動させるスケーターは誰だ?」
「勝也兄ちゃん!」
あのキッズたちは、毎日勉強もしないでテレビでバラエティばっかりみているに違いない。確かに、君崎凛はよく出てくるからなな。一方俺は硬派なので、バラエティなんて軟弱なものには出ない。
いや出演オファーが来たことはないけど、仮に来たとしても出ない。だから君崎のことは知っていたが、俺のことを知らなかっのだ。うん、納得がいった。
あのキッズたちの言葉を真に受けてはいけないのだ。
「あんた、どんだけ自意識過剰なの……」
君崎が俺のことを白い目で見ていた。
「いや、事実関係を確認していただけだよ」
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