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 ♪


 NHK杯最終日。女子シングルフリースケーティングが行われる。

 昨日はテレビ観戦だったが、今日はわざわざ会場に足を運んでいる。いつもならそんなことはしないのだが、今日は心の中で期待しているのだ。

 現在第2グループの後半。既に氷の舞台は熱狂に包まれている。

 ここまで、レイノルズ、河合を始め、主要選手のほとんどが、力を出し切ってそれなりの点数を出している。君崎はショート1位でフリーに望むが、決して油断できる状況ではない。少しでもミスをすれば、金メダルは彼女の手から簡単に転がり落ちるだろう。

『10番。君崎凛さん。日本』

 神埼コーチに背中を押されてリンクに出ていく。

 彼女は声援に答えた後、演技前最後の調整を始める――

 ――それを見て、会場がざわついた。

 ジャンプの軌道を確認する。それは、明らかにトウループの軌道だった。

 彼女は女子としては最高難度のトリプルルッツを得意としている。それは誰もが知る事実だ。だから、彼女の演技はいつもルッツのコンボから始まる。それなのに、彼女は今ターンして左足でトウを突くという、トウループの確認をしているのだ。

 普通、試合前にトウループの軌道を確認するのは、四回転に挑むときだけだ。そしてその光景はよく見られる――男子シングルなら。

 女子ではまずみられない。なぜなら、女子が四回転トルウープを跳ぶなんて、ありえないことだから。

 そもそも君崎が四回転に挑戦していることを世間は知らない。

 それゆえ、客たちは理解できないのだ。彼女が一体なにをしようとしているのかを。

 そう、俺と神崎コーチだけが確信している。

 ――世界を、驚かせてやれよ。

 勝負のことはもうどうでもよかった。俺が1位を取ったので、もう負けることはないってのはもちろんあるんだけど。

 それよりも、いまワクワクしていた。まさに今、新たな時代の幕開けが迫っているんだから。

 曲は、オペラ『トスカ』。そのドラマティックなメロディで、多くのスケーターたちに愛された曲だ。

 その主旋律を、ギターが儚げに奏でる。 

 軽い振り付けをしてから、ジャンプへ向かうために助走に入る。いつもより多めのクロスオーバーでスピードをつけていく。

 そしてハーフターンから左足のトウを突き、右足で跳び上がる――四回転!

 ――だが。次の瞬間、会場から、ため息が漏れた。

 勢い余って転倒。

 わずかに生まれた空白。

 すぐに起き上がり演技を続ける。

 回転はしっかり四回転。回り切っていた。それゆえ失敗の影響は最小限。

 回りすぎての転倒に見えた。決して調子は悪くなさそうだ。ここから、立て直していけば、メダルは十分狙える――だが。

 会場の誰もが息を呑んだ。

 次のジャンプに向かうその軌道が、トウループのものだったから。

「おいおい、まさか」

 二度目に挑戦する気か!?

 もう取り返しがつかない。ここで失敗したら、入賞は絶望的。

 そんなプレッシャーの中で、二度目に挑むというのか。

 しかも、次はコンボにしなければいけない。同じ種類のジャンプを、一つのプログラムで二回跳ぶ場合、どちらか一度はコンビネーションでなければいけない<ザヤックルール>があるからだ。

 この状況でニ度目に挑むなど、無謀だ。

 だが、彼女は確実にこなして、メダルを取るつもりなどない――。

 俺は知らず知らずのうちに身を取り出す。いや、たぶんこの会場の誰もがそうだ。

 限界に挑戦する姿が、人の感動を呼ぶ。今日の彼女の演技がまさにそれだ。

 恐れなど、最初から知らないのだ、とでも言わんばかりのスピード。見ているこちらがハラハラするその勢いから、彼女は再び跳び上がる。

 一、二、三、四――回転ッ!!

 クワドラプルトウループ! 勢いをなんとか膝のクッションで吸収。深くしゃがみ込む。そして、そこからなんとかシングルトウループをつける!

 なんてやつだ!

 女子で世界初のクワドトウを、しかもコンビネーションで、決めやがった。

 だが、これだけの技を決めても、まだまだ演技は続いていく。いくら四回転の成功させても、ここからミスをしてしまえば、至高の座からは一瞬で転がり落ちてしまう。そして一度転がり落ちればもうそこに戻ることはできない。

 だが、彼女は集中力を切らさなかった。そこから、ジャンプで僅かなミスはあったものの、転倒もなく最後までまとめ上げていく。

 アクセルを除く5種類の三回転をすべて着氷してきた。

 演技は終盤。悲劇的な旋律に、シンバルとティンパニーが入って雄大さを際立たせる。その躍動の中、ステップでリンクを駆け抜ける。

 そしてレイバックスピン。背中をのけ反らせてキャッチフット、そこからビールマンポジションに移行してフィニッシュ――。

 今日一番の拍手がリンクを揺らした。

 俺も手が痛くなるほど大きな拍手を送っていた。

 君崎はリンクサイドに戻ってくるとき、たまたま目が合った。

 ――彼女はこちらにVサインを送ってきた。

 俺はそれに拍手で答える。

 他人の演技に心を動かされる。それは長いこと忘れていたことだった。

 誰も四回転を跳ばないこの時代に、果敢に四回転に挑み、そして成功させた。限界に挑戦する彼女のスケートが、俺の心に焼き付いて離れなかった。


 ♪


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