アークシア語の成立①
アークシア語はアークシア王国・ゼルエルテルツィヴィヒアの公用語として使われている言語であり、北部大陸で最も話者が多い。
アンゲル語派俗アマトリア語群に属する。
成立の歴史
アークシア語は常にミソルア教とアール・クシャ(アークシア)の王族の変遷と関連している。
そもそもアークシア語の原型となった言語は神聖法典に記された『クシャの言葉』を読み解くための宗教的人工言語であった。
ミソルア教の開祖とされる神子クシャ・フェマは帝政ケーテア崩壊期にアルツェベルフ地方の小国家オーデンテリートの王族の一員として誕生した。彼は生涯をかけてウガリアやエヴェートニス(現在のアークシア王国の西域)とアルツェベルフのほぼ全域に神聖法典一巻に記載された教えを広めていった。
クシャ・フェマ自身の母語はアルツェベルフ語であったとされる。
当時のアークシア西域にはアマトリア語から派生したエヴェートニス語・ユーテリート語・レア語を中心に三十以上の言語が存在したが、神子クシャ・フェマ自身は非常に語学に堪能で、教え自体は全てその地域に合わせた言語で広められた。
しかし、彼が生涯を掛けて執筆したとされるミソルア教の聖典、神聖法典は全て同一の言語でもって記されていた。これが『クシャの言葉』であり、その文の読み方はクシャ・フェマの子らだけに伝えられたという。
クシャ・フェマの子孫はエヴェートニス地方、白の山脈の南端のあたりに住み着いた。
彼らは集落を作り、日常的にはアルツェベルフ語を元に、レア語・エヴェートニス語から語彙を取り入れたアードテレル語を話すようになっていった。
五代も経るとクシャ・フェマを祖とする一族は巨大な氏族となった。彼らは自分の子供達全てに対して非常に高度な言語教育を施した。即ちクシャの言葉である。
別の言語を話す民族を跨がって広がり続けたその氏族間では、唯一共通して教育を施されたクシャの言葉での意思疎通が最適な方法となっていった。
彼らが元々話していた言葉とクシャの言葉が混ざっていった結果、俗クシャ・フェマ語とも呼べる日常会話用の言語が発展し、また地方によって方言化していった。
そのうち、アードテレル語の語彙を大量に流入した俗クシャ・フェマ語が、古アークシア語の原型となった。