質問の意図と奪われた宝物
無事に秋の資格試験を終え、数週間後に届いた合否通知には「合格」の2文字が印字されていた。
講師のアドバイス通り、過去問題を何度も繰り返し解き明かした努力が実を結んだのだった。
小さな成功体験をひとつ胸に抱え、ひかるは冬休みの期間を利用して久しぶりに実家へと帰省した。
実家のドアを開けると、リビングからは賑やかな話し声が聞こえてきた。
覗いてみると、母親の周囲にカワギシの地域会員の女性たちが数人集まり、お茶を飲みながら談笑していた。
その中に、以前学園に自分の子どもを送り出していた母親がいた。
聞けば、その子も今年になって学園を離れて家へ戻ってきており、今は地元の中学校へ通っているのだという。
ひかるの妹もまた、小学校を卒業したと同時に学園を辞めて実家へ戻り、地元の中学校へ元気に通っていた。
周囲の友達とも上手く馴染み、学校生活を心から楽しんでいる様子を見て、ひかるは「良かったな」と素直に安堵していた。
リビングに姿を見せたひかるに気づくと、会員の1人が親しげな笑みを浮かべ、不意にこんな質問を投げかけてきた。
「ひかるちゃん、カワギシ学園に行って……やっぱり良かったでしょ?」
その問いを聞いた瞬間、ひかるの思考は一秒ほどフリーズした。
問いかけの裏にある「当然、良かったと言ってくれるだろう」という無邪気な確信。
相手が何を期待しているのかは分かった。
きっと「はい、すごく良かったです。かけがえのない仲間と出逢えて、一生ものの貴重な経験をさせてもらいました」という模範解答を待っているのだ。
けれど、ひかるの口からそんな嘘を吐くことはできなかった。
少しの間を置き、ひかるは静かに言葉を選んで答えた。
「……良いか悪いかは、分からないです。あのまま、こっちの中学校に通って、普通に高校へ進学した経験がないので。比較ができないんです」
求めていた返答とは違う素っ気ない言葉に、質問した会員は少し呆気取られたような表情を見せたが、すぐに「まあねぇ」と取り繕うように頷いた。
(学園に行って良かったって胸を張って言えるのは、あの生活が体質に合っていた人だけだ……)
ひかるは心の中でそう吐き捨てた。
親たちは、カワギシ学園の親たちが書いた「学園生はどこに行っても通用する」「たくましい人間力で社会に通用する」などと、前向きで良いことばかりが並べられた本を心の底から信じ込んでいる。
畑仕事や作業を要領よく手際よくこなし、明るく優しく、誰からも好かれるような「要領の良い子」たち。
そういう人間にとっては、あの集団生活も輝かしい青春の1ページになり得るのかもしれない。
けれど、ひかるは違った。学園に行っても根の暗い性格が直るわけでもなく、それどころか世間や人間に対する歪んだ批判心やひねくれた感情だけが肥大化していった。
父親や母親に対しても、大検や専門学校の学費を出してくれたことには心から感謝している。
けれど、親として心から信用し、信頼できているかと言えば、決してそうではなかった。
許せなかった事の一つとして、ひかるが学園へ入れられている間に、実家に残していた漫画本を親が勝手に処分したことだった。
問い詰めた時、母親は「学園での暮らしはテレビも漫画もゲームもないでしょ? だから家でも同じように処分した方がひかるのためだと思って」と悪びれもせずに言ったのだ。
その漫画本は、ひかるが小学生の頃から毎月のお小遣いや、お正月に貰ったお年玉をコツコツと貯め、自分の手で選び、大切に買い集めてきたかけがえのない宝物だった。
それを「子どものため」という自分勝手な善意と理念の押し付けで、跡形もなく破棄されたのだ。
自分の意志や大切にしていた世界をあっさりと踏みにじられた記憶は、どれほど時間が経とうと消えることはなかった。
それだけではない。学園時代のことを思い出そうとすると、自分がどれほど何もできず、何ひとつやり遂げることができない人間だったかという惨めさが、怒りとともに押し寄せてくる。
ひかるは、自分の考えていることや気持ちを人に伝えるのが苦手で、言葉にしてまとめる言語化も酷く苦手だった。
もしも自分に好き嫌いが激しくても他人の目など気にせず、「嫌なものは嫌だ」と自分の気持ちを強引に押し通せる強さがあったなら、ひかるももう少し生きやすかったのかもしれない。
作業ひとつ取っても要領が悪く、周りの子のようにテキパキこなせない。
朝起きることもできず、集団の輪に上手く馴染むこともできない。
何か一つのことをやり切ったという誇りも自信も持てないまま、ただ息を潜めて耐えるだけだった日々。
あの場所で刷り込まれた圧倒的な「劣等感」と不全感が、今でも容赦なく胸の奥を突き刺してくるのだ。
(私は、やっぱりあの場所で傷ついて……何も得られなかったんだ……)
お茶を飲む大人たちの無神経な笑い声を聞きながら、ひかるは1人、実家のリビングで消えない劣等感と静かな冷たさを胸に抱えていた。




